のぶさんの花便り

デジカメと花に夢中な《のぶさん》ですが
これからは、風景やスナップにチャレンジ

東京さわやか散歩 壱の11 ⑤

2019年09月21日 05時28分06秒 | 写真

谷中霊園から根津神社

浄名院は、寛文6年(1666)、上野寛永寺36坊のひとつとして開かれました。江戸時代の寺の隆盛の陰で不徳な僧も生まれたため、妙立和尚が不徳な僧を
戒め、清い信仰を広めようと安楽律宗を開き、これを引き継いだ38世妙運大和尚が民衆を救うために八万四千体の石地蔵建立を発願しました。
現在では2万体を超える像が造立されています。 

寛永寺は天台宗の別格大本山のお寺です。寛永2(1625)年に、徳川幕府の安泰と万民の平安を祈願するため、江戸城の鬼門(東北)にあたる上野の台地
に、慈眼大師(じげんだいし)天海(てんかい)大僧正によって建立されました。

後には第四代将軍・德川家綱公の霊廟が造営され、将軍家の菩提寺も兼ねるようになりました。また東叡山主を皇室から迎えた(輪王寺宮)ことで、江戸時代
には格式と規模において我が国随一の大寺院となったのです。
しかし幕末の上野戦争により、敷地の大部分が上野公園となりました。
また関東大震災や太平洋戦争の被害もありましたが、戦後は新たに霊園を造営し一般のお檀家さまを受け入れるなど、開かれたお寺としての役割を果たす
ことを目指しています。

寛永寺は来る創建400周年(2025年)に向けて、上野に刻まれた歴史の重みを今に伝えています。

大行寺は、天正16年(1588)圓妙院日感上人を開山として創建した法華経を唯一の拠所とする日蓮宗の寺院。久遠実成のお釈迦様をご本尊とし、本堂には
開運毘沙門天王も安置されている。
大行寺に建立されている永代供養塔は、當山に縁を持ち、お墓の継承者のない方に大行寺が代って永代供養する納骨供養塔。
大行寺の在る谷中は、江戸時代に江戸城周辺の寺院が徐々に集まり、江戸の発展と共に寺町として栄えた地。大行寺は現在八十を超える谷中の寺院の中
でも、最も古くから在る寺の一つ。  

(浄名院~大行寺 : 東京都台東区 2011.03.29 撮影)