のぶさんの花便り

デジカメと花に夢中な《のぶさん》ですが
これからは、風景やスナップにチャレンジ

東京さわやか散歩 参の32 ⑤

2021年06月30日 04時14分32秒 | 写真

中神から昭和記念公園

 
昭和天皇御在位五十年記念事業」の一環として、「現在及び将来を担う国民が自然的環境の中で健全な心身を育み、英知を養う場とする」
ために、戦後米軍旧立川飛行場を接収した立川市と昭島市の両市にまたがる立川基地跡地のうち、180haを記念公園として建設すること
が閣議決定され、「緑の回復と人間性の向上」をテーマに1978年昭和53年)度より国土交通省の手で施設整備が進められてきた。
1983年(昭和58年)10月26日、昭和天皇臨席のもとに約70haで開園した後、レインボープールや子供の森、日本庭園、砂川口、盆栽苑等次
々と施設が整備され、2005年平成17年)11月にはみどりの文化ゾーンが共用され、同時に昭和天皇記念館が開館した。 
                                                       出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

(昭和記念公園 : 東京都立川市 2013.11.17 撮影) 


東京さわやか散歩 参の32 ④

2021年06月29日 02時45分39秒 | 写真

中神から昭和記念公園

 
元和、寳暦と両度火災に罹り資料もないため由緒不詳である。その後二十世瀬沼宥勝代の昭和35年頃本堂の屋根を麦藁葺から瓦葺にし、
昭和44年に庫裏を改築し、昭和48年に観音堂を移築し、境内が整備された。

寳積寺の位置は南に多摩川があり、西に富士山が見える高台にある。昔は周囲は田と畑であり、農村地帯でありましたが、寳積寺と多摩川の
間にバイパスが出来るにおよんで、急激に都市化された。農村地域における先祖代々を供養する事を中心とした宗教意識が、どのように変化
して行くか関心のある所である。
著名人のお墓としては、鈴木俊一元東京都知事の両親のお墓がある。

          

 
立川市歴史民俗資料館は、市の歴史や文化、自然風土に関する市民の知識と理解を深め、市民文化の向上に寄与するため、昭和60年
12月1日に開館しました。故井上重雄氏のご厚意により、400年間にわたり受け継がれてきた土地の一部をご寄贈いただき、開館の運びと
なりました。 

(宝積寺~立川市歴史民俗資料館 : 東京都昭島市・立川市 2013.11.17 撮影) 


東京さわやか散歩 参の32 ③

2021年06月28日 01時48分24秒 | 写真

中神から昭和記念公園

           
広福寺は貞治二年(1363)に直庵啓端(じきあんけいたん)を開山として創建された禅宗寺院です。直庵は武蔵御嶽神社別当寺である世尊寺
・鎌倉五山第一位の建長寺・多摩の名刹である普済寺の住職を歴任した高僧。
開基は福島宗心大師。当地を治めていた領主福島氏の女性であり、当山は福島一族の菩提寺として創建されたと伝えられています。
境内には福島宗心をはじめ福島氏の墓塔と考えられる中世の宝篋印塔が数基現存しています。
江戸時代初期、荒廃していた当山は内藤源左衛門正頼(正久とも)によって再興されます。内藤氏は甲斐武田家旧臣で、徳川将軍家に仕
えた直参旗本であり、代々福島村を知行地とした当山の大檀那です。境内には元和八年(1622)に没した正頼をはじめとする内藤家累代の
墓碑が現存しています。
広福寺は650年以上の長きにわたり、昭島市域とともに歴史を歩んでまいりました。

 

           
郷地稲荷神社は、昭島市郷地町にある神社です。郷地稲荷神社は、天文年間(1532-1555)祭神を当地に勧請、元和元年(1615)の再建
と伝えられるといい、昭和30年まで神饌幣帛料が奉納されていたといいます。  

(広福寺~稲荷神社 : 東京都昭島市 2013.11.17 撮影)


東京さわやか散歩 参の32 ②

2021年06月27日 04時02分15秒 | 写真

中神から昭和記念公園

 
JR青梅線中神駅の南、徒歩12分。寛永元年(1624)、夢窓国師を勧請開山として萬松和尚によって創建された。立川氏一族の館があった
ところと伝えられるが、明らかではない。
旧本堂は第二次世界大戦の戦災で被災し、現在の本堂は昭和36年(1961年)に再建されたもの。建物の特異なたたずまいが目を引く。
本堂の手前にある古い鐘楼は文化13年(1816)の造立で、地元の豪商によって寄進されたものといわれる。
寺では江戸時代後期には寺子屋が開かれ、明治時代には小学校が置かれるなど、この地域の教育との関わりが深い。

          

 
口伝によると、中神熊野神社の創建は、延文5年(1360)頃、紀州・熊野大社から分霊を勧請奉斎されたもので、約650年の歴史を持っている。
祭神は、伊弉冉尊、速玉之男命、事解男命の三柱。現在の社殿は、嘉永5年(1852)中神村の豪商・中野久次郎が再建奉納したものである。
境内には、昭島市の天然記念物に指定された樹齢400年と言われる銀杏がある。

 
臨済宗建長寺派寺院の恵日庵は、福厳寺の境外仏堂です。恵日庵の草創は不詳ながら、現在の堂は文化2年(1805)に中神の豪商中野
久二郎氏が寄進したものだといい、概ね福厳寺の隠居所に充てられていたといいます。

(福厳寺~恵日庵 : 東京都昭島市 2013.11.17 撮影)


東京さわやか散歩 参の32 ①

2021年06月26日 03時59分06秒 | 写真

中神から昭和記念公園

 
二つの碑は、平成15年(2003)に開通した都道(多摩大橋通り)の脇に設置されています。
右側の「地名 築地を後世に伝える碑」(平成16年3月教育委員会設置)には、築地村は「多摩川の中州に土盛りして集落地を築き開村」、
「その後は集落名、村名、町名として存続」したものの「昭和四十年の住居表示実施により築地の地名は消滅」と書かれています。
左側の「築地村移村弐百年記念碑」は、多摩川洪水で一村が流失した文化8年(1811)から200年目の平成23年(2011)に築地地区自治会
が建立しました。

          

 
十二神社は、昭島市玉川町にある神社です。十二神社の創建年代等は不詳ながら、かつて多摩川の中洲にあったといいます。
多摩川の中洲にあった築地村が文化8年(1811)洪水により流失、村民と共に(村ごと)当地へ移転したといいます。

          

 
当山は、八王子市高月町の円通寺の末寺で、長い間、昭島市拝島町の本覚院(拝島大師)が兼務していました。
山号は、築当山(一説に築地山)寺号は、真覚寺ですが、文化8年(1811)の多摩川の大洪水により流失し、河畔より築地村(現玉川町の前名は
築地町)一村と共に現在地に移住して200年近くにになります。

本尊阿弥陀如来坐像、目黄不動明王、阿弥陀如来立像と墓石塔類以外は流失し、開山、開基、開創は不詳ですが、墓石文の年号などを考慮
に入れると、慶長年間(1600年前後)と推測されます。

開山より、大洪水で流失するまでの200年間に4名の住職の墓石塔しか残っておらず、当地移住後の200年間は、住職の記録も無く、墓石類も
存在していません。 

(築地村移村200年記念碑~真覚寺 : 東京都昭島市 2013.11.17 撮影)


東京さわやか散歩 参の31 ⑦

2021年06月25日 03時47分18秒 | 写真

小平から狭山・境緑道

 
大正12年につくられた水道施設の上を走る緑道。今も水が地下を流れています。サイクリングロードと歩行者専用の遊歩道が、境浄水場か
ら多摩湖まで一直線に延びています。
 沿道には季節ごとの行事が行われる「ふるさと村」や「たけのこ公園」などの施設があり、また花小金
井付近では、春には見事な桜のトンネルを楽しめます。

 

(狭山・境緑道 : 東京都小平市 2013.11.08 撮影) 


東京さわやか散歩 参の31 ⑥

2021年06月24日 06時50分56秒 | 写真

小平から狭山・境緑道

          

 
小平の地は、江戸時代初期の玉川上水の開通にともなって開発が行われた新田村落です。かつては、青梅街道をはじめ、東西に走る各街
道沿いに屋敷森に囲まれた農家が並び、街道をはさんで農家の南北には短冊型の畑が続いていました。しかし近年は、小平の面影も大きく
変わりつつあります。 こうした中で小平市は、寄贈を受けた旧小川家住宅玄関棟ほか4棟の建物を解体保管してきました。
市民の皆さんの郷土の文化に対する関心の高まりに応え、これらを文化遺産として後世に伝えていくために、「旧神山家住宅主屋」、「旧鈴木
家住宅穀櫃」「旧小川家住宅玄関棟」「旧小平小川郵便局舎」を移築復元し、「開拓当初の復元住居」「水車小屋」「消防小屋」等を建築し、平
成5年5月に小平ふるさと村として開村しました。

(小平ふるさと村 : 東京都小平市 2013.11.08 撮影) 


東京さわやか散歩 参の31 ⑤

2021年06月23日 04時04分34秒 | 写真

小平から狭山・境緑道

 
狭山・境緑道の桜並木を抜けていくと、竹林のある原っぱのような公園が見えてきます。 たけのこ公園は、昭和53年にこの竹林の保存とシン
ボル化をめざして造られ、子どもたちが自然のなかで遊びやすい公園となっています。

管理棟や炊事場はありませんが、バーベキューサイトが4つあるので家族や仲間で楽しめます。

 
「小平ふるさと村」は、江戸時代の新田開発にともない発展した、小平の歴史と暮らしを今に伝える古民家園。時代別に3つのゾーンにわか
れ、当時の建物を移築・復元して展示しているほか、さまざまなイベントも開催されています。

小平産の「地粉」を使って作る地域の伝統食「小平糧うどん」は、土日祝日のランチに各日50食限定で味わうことができます。茶色みがかっ
た強いコシの麺が甘めのつけ汁によく合う郷土料理を、茅葺き屋根の古民家で堪能することができます。

(たけのこ公園~小平ふるさと村 : 東京都小平市 2013.11.08 撮影)  


東京さわやか散歩 参の31 ④

2021年06月22日 05時04分22秒 | 写真

小平から狭山・境緑道

           
多摩湖から境浄水場までの水道管を布設した道路を緑化したのが、狭山・境緑道です。現在は、西東京市から東大和市までの10.5kmに
わたって開園しています。

緑道沿いには、サツキ、ヤマブキ、アジサイ、サルスベリなど花の咲く樹木が多く、花の季節には彩りも鮮やかに装います。緑道と並行して
自転車・歩行者専用道が通っており、都立小金井公園、狭山公園とあわせて散策やサイクリングを楽しむことができます。

 
真言宗豊山派寺院の延命寺は、伽羅陀山と号します。延命寺の創建年代等は不詳ながら、中藤真福寺の塔頭の一つだったといいます。
享保年間の野中新田開発に際して入村した者たちの願いにより、野中善左衛門が開基となり享保18年(1733)当地へ引寺、隆翁(天文2年
1533年寂)を開山、浄範和尚が中興したといいます。


(狭山・境緑道~延命寺 : 東京都小平市 2013.11.08 撮影)


東京さわやか散歩 参の31 ③

2021年06月21日 03時58分18秒 | 写真

小平から狭山・境緑道


都立 小平霊園は、昭和23年に開設された都立の公園墓地です。総面積約65万㎡のうち、墓所として利用されているのは約半分、のこりは
樹林や草地、武蔵野の面影を留める雑木林などになっています。

西武新宿線「小平駅」から徒歩約3分と非常に便利な立地で、霊園までの参道は堂々たるケヤキの並木道になっています。
主要園路にもケヤキやサクラ、珍しいリギダマツなどが並木として植えられています。春のソメイヨシノのトンネルは見事で、サクラの名所として
も知られます。

          


あじさい公園の西側と南側を囲むように整備された遊歩道には、「あじさいの小径」という愛称が付いている。その脇を流れているのが小川
用水です。  

(都立小平霊園~あじさいの小径 : 東京都小平市 2013.11.08 撮影)


東京さわやか散歩 参の31 ②

2021年06月20日 06時20分41秒 | 写真

小平から狭山・境緑道

          

           
ガスミュージアムは、東京ガスの事業の歴史とくらしとガスのかかわりをご紹介する歴史博物館です。
明治のはじめにガス灯が灯って以来、台所やお風呂・暖房などいつも私たちのくらしと共にあった、ガスの歴史を赤レンガの洋館の中でゆっ
くりお楽しみいただけます。
また、地域の人々の文化的交流の場となることをめざしており、明治錦絵の企画展やスケッチ展、コンサート、ファ
ミリーイベント等を定期的に開催しています。

レンガの建物に囲まれた中庭は芝生と緑が広がっています。ウォーキングをかねてリフレッシュにもお立ち寄りください。

(稲荷がす資料館 : 東京都小平市 2013.11.08 撮影)


東京さわやか散歩 参の31 ①

2021年06月19日 06時49分45秒 | 写真

小平から狭山・境緑道

 
大沼田稲荷神社は、小平市大沼町にある稲荷神社です。大沼田稲荷神社は、享保9年(1724)に開発の始まった大沼田新田の鎮守として、
元文元年(1736)
青梅市今寺の稲荷社を勧請して泉蔵院内に創建したといい、明治元年当地へ遷座、明治6年には村社に列格したといいます。

 
日本プロサッカーリーグJリーグ)所属クラブ。欧文表記はF.C.TOKYO。法人名は「東京フットボールクラブ株式会社」。ホームタウン、活動
区域を東京都としている。ホームスタジアムは味の素(あじのもと)スタジアム(収容人員5万)。マスコットは狸をモデルにした「東京ドロンパ」。
クラブカラーはブルー、レッド。
 
1935年(昭和10)に東京ガスサッカー部として創部。1986年関東リーグ昇格、1991年(平成3)日本サッカーリーグ二部昇格を経て、1992年
に第1回JFL一部に参加した。1998年に運営法人を設立。翌1999年にチーム名をFC東京に改称してJリーグディビジョン2(J2)に参加し、
2000年ディビジョン1(J1)昇格を果たした。東京都で初のJリーグクラブである。

 

(稲荷神社~FC東京 : 東京都小平市 2013.11.08 撮影)


東京さわやか散歩 参の30 ⑥

2021年06月18日 04時58分40秒 | 写真

東大農場と公園めぐり

          

 
西武池袋線ひばりが丘駅南口から谷戸新道を田無方面へ、(バス停・住友重機械工業前)の東側に広がる公園です。園内は東西に長く起
伏に富んだ造りになっています。遊具は木製遊具などがあり、タイヤブランコなどはいつも子どもたちでにぎわっています。
また、観察池が上と下の二箇所あり、その間にせせらぎが流れていて、珍しい手押しポンプもあるので、貴重な体験ができます。
園内を一周する小道を歩くと頂上の藤棚の下にベンチがあり、池や草木を楽しみながら休憩できます。

 

(谷せせらぎ公園 : 東京都西東京市 2013.11.05 撮影)  


東京さわやか散歩 参の30 ⑤

2021年06月17日 19時03分29秒 | 写真

東大農場と公園めぐり

          

 
この公園は、1995(平成7)年、企業が地域貢献のために市民に開放したもの。開園時間は7~17時とあるが不定期で閉まっている。
アカマツ・クヌギ・ケヤキなどの高木は、中島航空金属が、日特金属㈱、住友重機工業㈱田無製造所と社名を変えて生きてきたのに合わせ
て、工場を守りながら同じ敷地で生きてきた武蔵野の雑木林の生き残り。
公園は見通しのきく何げない造りだが、いつもきれいに管理されて
いる。敷石にリサイクル技術を生かした製品を使っているという。道路に沿って常緑樹のヒマラヤスギ、生垣のベニカナメモチ、ツツジかササ
の3段の植物を配し、音と人目を遮断。
下草は林の南東にシラユキゲシやキバナオドリコソウなど。中木に野鳥が好みそうな実の生るイヌビワやクワなどが入る。
4、5年前、クヌギの大木のそばに丈の短いキンランが生え出ていた。その後中央に汚水処理用のタンクを埋め込む工事をしたせいか、その
姿を見ていない。
現在公園創設時の面積は減らされ、園と工場をつなぐ道も閉ざされたが、「発想の森」の名にふさわしく、街中にあって街と
隔絶された武蔵野の森をイメージできる空間。もしかして眠りから覚めた山野草に会えるかも……。

(発想の森 : 東京都西東京市 2013.11.05 撮影)  


東京さわやか散歩 参の30 ④

2021年06月16日 07時43分02秒 | 写真

東大農場と公園めぐり

 
 谷戸新道の(バス停・谷戸小学校)から西へ100メートル程入った東大農場北側に位置する、市内最大規模の市立公園です。
公園内には、アプローチゾーン・プレーゾーン・雑木林ゾーン・原っぱゾーンの四つが配置されています。散策や四季折々の自然観察、ス
ポーツ・レクリエーションなど市民の皆さんの憩いの場として大変親しまれています。

(西東京いこいの森公園 : 東京都西東京市 2013.11.05 撮影)