のぶさんの花便り

デジカメと花に夢中な《のぶさん》ですが
これからは、風景やスナップにチャレンジ

東京さわやか散歩 壱の11 ①

2019年09月17日 01時38分41秒 | 写真

谷中霊園から根津神社

近隣の人々から「おすわさま」として親しまれる諏方神社は、JR山手線・京浜東北線の西日暮里駅と日暮里駅の間の、線路を見下ろす眺めのいい高台
(諏訪台)に鎮座する神社だ。祭神は建御名方命。全国におよそ25,000社あるといわれる諏訪神社(諏訪大社を本社とする諏訪信仰の神社)の一つで、
創建は1202年(元久2年)、鎌倉時代の武将・豊島佐衛門尉経泰によって諏訪大社より勧請されたのがその始まりと伝えられている。
文安年間(1444年~1449年)に太田道灌が神領を寄進、さらに江戸時代には徳川三代将軍家光から社領5石の朱印を与えられている。現在の場所に
社殿が造営されたのは1635年(寬永12年)。以降、かつて新堀村と呼ばれた今の日暮里周辺から、谷中生姜で知られる谷中周辺にかけての総鎮守とし
て人々の崇敬を受け、現在も地域の人々に広く信仰されている。例年8月の末に行われる例大祭では、境内及び周辺道路に露店が立ち並び、多くの
人々で賑わう。

養福寺は真言宗豊山派の寺院。谷中、根津、千駄木のいわゆる谷根千といわれる下町情緒あふれる谷中日暮里地区にあり、交通も至便。
山手線・京浜東北線・常磐線・京成線「日暮里駅」北口より徒歩5分の立地。四季折々の季節の花々や緑に彩られた境内には、壮大な仁王門や鐘楼堂がある。

養福寺は元和6年(1620)法印乗蓮によって開かれた。中興開山は木食義高上人。初めは田端東覚寺末だったが、明治43年には離末して田端興楽寺に加末した。
養福寺には、本堂の他に仁王門、鐘楼堂、観音堂、地蔵堂などがあったが、第2次世界大戦の戦火により仁王門のみを残してそのすべてを焼失してしまった。

現在の本堂は昭和40年、客殿は昭和45年、鐘楼堂は昭和48年にそれぞれ再建されたもの。焼失を免れた仁王門は宝永年間の建立で、祀られている仁王
像は胎内奉納銘札により宝永5年(1701)の造立と確認され、種々の調査の末、仁王門は昭和63年に荒川区の指定文化財に認定された。

今回は、11番目の《谷中霊園から根津神社》を歩いてきました。JR山手線:西日暮里駅を下車、起点として歩きはじめます。
谷中界隈は、墓と寺そして多くの坂道があり、趣のあるデジカメ散歩が楽しめます。  

(諏方神社~養福寺 : 東京都荒川区 2011.03.29 撮影)