のぶさんの花便り

デジカメと花に夢中な《のぶさん》ですが
これからは、風景やスナップにチャレンジ

東京さわやか散歩 参の19 ④

2021年04月19日 06時53分57秒 | 写真

旧川越街道と城北中央公園

 
創建は長禄年間といわれ、赤塚城主千葉自胤が信州諏訪大社の分霊を勧請してこの地に祀り、赤塚城の鬼門除けにしたと伝えられています。
徳丸北野神社とともに、国重要無形文化財に指定されている「田遊び」や区無形民俗文化財の「獅子舞」が伝承されています。
田遊びは、諏訪神社、北野神社ともに板橋十景に選ばれています。

               
鎌倉幕府の執権北条時頼によって創建されたと伝えられている真言宗寺院です。鐘撞堂の銅鐘は江戸時代の作で国の重要美術品です。
前立ち本尊の紅頗梨色阿弥陀如来像は孔雀座に坐す江戸期の作です。厨子に入った釈迦四面像は、武田信玄の守本尊であったと伝え
られています。古文書は江戸時代から昭和期にかけての寺院経営や周辺の真言宗寺院の様子を明らかにする資料です。
庫裡は、明治35年(1902)麹町に建てられた旧伯爵松平基則邸を昭和5年に移築したものです。

 
創建年代は不明である。ただ当寺の過去帳の開始年が「承応元年(1652年)」であること、開山の長栄が「寛文10年(1670年)寂」であること
から、江戸時代前期には既に存在していたものと推測される。寺の記録が部分的に散逸しているので、歴代住職名や順序などは部分的に
しか判明していない。ある時期に「長福寺」と称していたこともあるという
現在ある本堂は、1782年天明2年)に建てられたものである。
その後、1919年大正8年)と1960年昭和35年)に改築されて、現在に至っている。  出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 

(諏訪神社~長命寺  : 東京都板橋区 2013.09.09 撮影) 

 

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東京さわやか散歩 参の19 ③

2021年04月18日 05時13分25秒 | 写真

旧川越街道と城北中央公園

  
円明院は、慧日山円明院西光寺といい真言宗豊山派の寺院です。豊島八十八ヶ所の第二十七番札所で、本尊は不動明王です。
開基と伝えられる賢栄阿闍梨の名を刻んだ文亀2年(1502)の板碑があります。また、弁財天座像を線刻した文亀元年(1501)のみごとな板
碑があります。この板碑は、大正4年(1915)に寺の裏山の土窟から偶然発見されたもので、造立当時は田柄川の清流が門前を流れる風景
が美しく、水との関係のある弁財天を信仰したものと思われます。村人たちはこれを懇ろに供養し、穴守弁財天として祀りました。
毎月3日、21日の縁日には多くの参詣人で賑わったといいます。

  
栗原遺跡は、昭和30年(1955年)に立教学院総合運動場造成の際に、発掘調査された遺跡で、このあたりの旧小字「栗原」を遺跡名とした
ものです。
昭和30~31年(1955~1956年)にかけての調査では、赤土(関東ローム層)の中から、黒曜石製の石器が出土し、旧石器時代か
ら、この地で人々が生活していることが分かりました。また、縄文土器が出土するとともに、弥生~平安時代の竪穴住居跡が発見されていま
す。このあたりは、石神井川と田柄川にはさまれた台地で、日当たりもよく、生活に欠かせない水の得やすい土地であったため、長い間、人
々が生活していたことがしのばれます。

 
石神井川沿いの起伏に富んだ敷地に、野球場、競技場などの運動施設を備えた、23区北部における最大の運動公園です。
ここでは木々の緑の映える中で、存分にスポーツを楽しむことができます。また、児童公園や広場にも樹木が多く、散策も楽しめます。
この公園の前身は、昭和17年の防空緑地。それが戦後の都市公園計画にひきつがれ、同32年に上板橋緑地として開園しました。
同45年から現在の名称になっています。
   
(円明院~田柄川緑道~城北中央公園  : 東京都練馬区 2013.09.09 撮影) 

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東京さわやか散歩 参の19 ②

2021年04月17日 07時21分25秒 | 写真

旧川越街道と城北中央公園


城北中央公園から光が丘の秋の陽公園までを結ぶ、全長4.7㎞の遊歩道です。サクラやコブシ、コナラ、クヌギなど様々な植物が植えられて
おり、四季折々の風景が楽しめます。

 
デュランタは藤色や白の小花が集まって房状に垂れ下がって咲く人気の熱帯花木で、夏の鉢物としてよく流通しています。また、観葉植物
として観賞される品種も一般に出回っており、沖縄などの熱帯地域では生け垣としてよく植えられています。丈夫で開花期間が長く、霜に当
てなければ戸外でもよく冬越しするので、暖地では庭木として植えることができます。

 
真言宗豊山派寺院の金乗院は、如意山萬徳寺と号します。金乗院は、名主木下大炊之輔が開基となり、僧行栄が文禄年間(1592-6)に建
立したといいます。慶安2年(1649)には3代将軍徳川家光より寺領18石9斗余の御朱印状を拝領、近隣に末寺を擁する中本寺格の寺院でし
た。延宝5年(1677)に徳川綱吉が脚症の静養のために御殿(徳川綱吉御殿跡)を構えて住んでいた際には、御殿に度々伺候していたことか
ら、徳川綱吉の江戸城帰城後には、御殿を拝領、その材木で寺観を一新したといいます。文久元年(1861)門前にあった須賀神社の祭りの
時火災に遭い全焼、昭和32年に再建しました。

(田柄川緑道~金乗院  : 東京都練馬区 2013.09.09 撮影) 

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東京さわやか散歩 参の19 ①

2021年04月16日 08時47分10秒 | 写真

旧川越街道と城北中央公園

              

 
練馬区北町2丁目の旧川越街道沿いに区内最大の石仏を有する北町観音堂があります。
ここには、天和2年(1682)銘の「北町聖観音座像」をはじめ馬頭観音や庚申塔などの石造物があります。江戸周辺を探訪した小石川の僧が
記した紀行文『遊歴雑記』にも、文化12年(1815)にここを訪れた記述があり、往来の人々の信仰や赤塚村ヘの分岐点の目印になっています。

ちっちゃな仁王門には、右阿形像、左吽形像。重厚な造りの像で、両像の背には「天和3年、奉立之施主光岳宗智」の銘があり、聖観音座
像建立の翌年に建てられたことが分かります。

 
江戸幕府5代将軍・徳川綱吉の頃、町をあげての祭礼もあったという。下練馬上宿・中宿の丸吉講によって、江戸時代に築山されたものと
考えられる富士塚は「下練馬富士」と称され、明治初頭にも数度改修・増築の記録があり、1927(昭和2)年にも修復が行われた。

旧川越街道の宿場町として賑わった土地柄であり、同時に富士大山道の道筋でもあったため、当社が庶民の崇敬を集めていたと考えられ
ている。
1993(平成5)年に「下練馬の富士塚」として練馬区有形民俗文化財の指定を受け、2014(平成26)年には大改修が行われた。

 
旧川越街道は、川越城と江戸城を結ぶ道として室町時代に開かれました。江戸時代には中山道の脇街道として整備され、区内で唯一の
宿場町『下練馬宿』がありました。街道沿いには、北町聖観音座像大山道道標、
富士塚などの史跡が点在しています。
『北一商店街』は、買い物客で賑わう活気あふれる商店街です。

 
下練馬の大山道道標・東高野山道標は、練馬区北町にある史跡です。下下練馬の大山道道標・東高野山道標は、旧川越街道とふじ大山
道の分岐点にあたる当地周辺に設置されていた道標です。江戸から来る人々のため、大山(大山阿夫利神社)へ向う大山道、東高野山長
命寺
へ向う道への案内を果たしていたといました。  

(北町観音堂~大山道道標 : 東京都練馬区 2013.09.09 撮影)

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東京さわやか散歩 参の18 ⑧

2021年04月15日 06時46分28秒 | 写真

瑞江から古川親水公園

 
光明寺は江戸川区船堀にある真言宗豊山派の寺院。東に一之江境川親水公園、北に船堀スポーツ公園と豊かな緑に囲まれた閑静な地
に建つ寺院。御本尊のお不動様は「横道のお不動様」そ呼ばれ眼病に御利益があることで知られています。新編武蔵国風土記稿によると、
下小岩村善養寺末寺で、と記されています。春には一之江境川親水公園と船堀スポーツ公園の桜並木を借景に、光明寺の堂宇が華やか
に彩られます。

          

 
1999年3月にオープンした江戸川区のシンボルタワー。建物自体は、「人と人が出会い、交流し、情報交換などが行えるコンベ ンション機能」
「区の重要施策である健康、文化、産業の質的向上を図る機能」「映画・展望・食事など訪れた方々がくつろぎ、楽しめるアミューズメント機能」
の3つの機能が複合。職・住・遊・学の調和の取れた区民生活の実現を目指している。館内には音楽・演劇が可能なイベントホールや会議室、
映画館やレストラン等、地域密着型施設が立ち並ぶ。タワーの高さ115mには103mに位置した展望室がある。
無料の展望台としては珍しくエレベータガールが常時在籍し、来場者を上階まで案内。展望室は360度回遊式の構造で適度な照度の夜間照
明が設置。同施設は東京都と千葉県の境界付近にあるため、都内中心部の展望施設とは一味違った夜景が楽しめる。
西側は眼下の江戸川越しに都内高層ビル群の都市夜景が一望。西に沈む夕陽、ブルーモーメントの夜空、優美な曲線状に渋滞する車のヘ
ッドライトや高速のナトリウム灯など、寒色と暖色が絶妙なコントラストを魅せる。
東から北側は平野部に住宅地の灯りが広がる郊外夜景、南側は幕張やディズニーリゾートを望む海夜景など、見る方角によって様々な種類
の夜景がパノラマ的に楽しめる。さらに、2012年以降は夜景的価値が一段とパワーアップ。東京タワー・六本木ヒルズ・レインボーブリッジ・東
京駅周辺・葛西臨海公園の観覧車・東京スカイツリー・東京ゲートブリッジ・富士山等、首都圏の主役がこれほどまで一堂に鑑賞できる視点
場は都内でも数少ない。子供から高齢者まで幅広い年代が充分に夜景を満喫できる鑑賞地として貴重である。


(光明寺~タワーホール船堀  : 東京都江戸川区 2013.08. 26 撮影)

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東京さわやか散歩 参の18 ⑦

2021年04月14日 03時59分46秒 | 写真

瑞江から古川親水公園

 
東京都道318号環状七号線(とうきょうとどう318ごう かんじょうななごうせん)は、東京都大田区平和島を基点に、目黒区世田谷区杉並区
練馬区北区足立区葛飾区などを経由して江戸川区臨海町に至る主要地方道都道)。
「東京都市計画道路幹線街路環状第7号線」と
して整備されたことから、環七通り(かんななどおり)あるいは環七(かんなな)の通称で呼ばれる。
東京23区の西側を半周する東京都道311号環状八号線(環八通り)は都心から見て本道路より外側を通っているが、23区内を環状に廻る
般道
としては本道路が最も外側に位置する。  出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 
現在の江戸川区の地域には、「船堀川」や「橫川」と呼ばれていた河川があり、もとは利根川とよばれた江戸川の旧河道でした。天正18年
(1590)8月、江戸に入府した徳川家康は、小名木川の開削とあわせて旧河川を連結する改修を行い、江戸~小名木川(江東区)~新川(現
在)~古川(現在古川親水公園)~江戸川と結ぶ水路(船堀川)をひらいたのです。

 
妙光寺は日蓮宗で、栄長山常泉院と号し、通称「赤門寺」といわれます。開山は日能上人(天正13年・1585没)です。『新編武蔵風土記稿』
によると、当寺には「十界勧請の本尊。及び祖師を安す」とあり、この祖師が現本尊です。境内の七面殿には「海中出現七面大明神」があり、
鬼子母神や疱瘡の神も祀られています。寺宝としては、日乾・日遠・日重筆の曼荼羅があります。

 
一之江境川親水公園は、東京都江戸川区一之江1丁目、5丁目、6丁目、一之江町二之江町船堀7丁目付近を流れる一之江境川を利
用した親水公園である。「野川の再生」をテーマとした公園で全長は3.2kmに及ぶ、平成7年(1995年)4月1日より順次開園した
また翌年には地域住民により「一之江境川親水公園を愛する会」が発足、平成20年度(2008年度)に「第19回みどりの愛護」功労者国土交
通大臣
表彰を受賞、平成23年度(2011年)には「手づくり郷土賞」(一般部門)を受賞した。公園内には夏に小さな子供が遊べる水の広場が

3か所、車椅子用トイレが4か所あり、10月には「中央・一之江ふるさとまつり」が開催されることでも知られる。 
                                                       出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipea)』  

(古川親水公園~妙光寺~一之江境川親水公園  : 東京都江戸川区 2013.08. 26 撮影)

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東京さわやか散歩 参の18 ⑥

2021年04月13日 05時53分35秒 | 写真

瑞江から古川親水公園

 
石歴山妙勝寺は寂海法印日寂上人によって、弘安2(1279)年に浅草に創建されました。寂海法印は、もと金龍山浅草寺の別当であり北方
の能化と称せられていました。日常上人と法義を論じ、天台宗から日蓮宗に改宗し日蓮聖人の直弟子となり、日寂上人と名を改めました。

元亨元(1321)年、洪水により篠崎の地に移転し、法華堂妙勝寺と称しました。

 
二之江神社は古川親水公園沿いに建つ神社。古川親水公園からの二之江神社は本堂の裏にあたり、鬱蒼とした木々に覆われた本堂は少
し神秘的見えます。でも正面の大鳥居から中を覗くと、朱色の灯籠と濃い緑の背の高い松の木々の奥に美しくおさまった社殿が臨めます。
二之江神社境内には何本もの背の高い松の木が林立し 、本殿裏、古川親水公園のすぐ脇に樹齢500年のケヤキの巨木もあります。
青空と松の緑と参道の朱色の灯籠が調和した美しい神社です。

古川親水公園の対岸には妙正寺が建ち、二之江神社と古川親水公園と、合わせて緑豊かな都会のオアシスと呼べる散歩道を演出しています。 

(妙勝寺~古川親水公園~二之江神社  : 東京都江戸川区 2013.08. 26 撮影)

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東京さわやか散歩 参の18 ⑤

2021年04月12日 06時44分59秒 | 写真

瑞江から古川親水公園

 
宇田川家長屋門は、江戸川区江戸川にある名所旧跡です。宇田川家長屋門は、江戸時代に当地(二之江村)の役人を務めていた宇田川
家の長屋門で、江戸時代後期の建築と推定されています。江戸川区文化財に指定されています。

 
江戸川の旧河道である古川の流れをそのまま公園にしたもので、昭和48年に開通した全長1.2Kmの全国初の親水公園です。
都会の中では修復不可能とおもわれていた清流がよみがえらせ、昭和49年5月には全日本建設技術協会から建設界の最高光誉である「全
建賞」を受賞しました。また、昭和57年5月には、ナイロビで開催された、「国連人間環境会議」で紹介されるなど、国内はもとより世界各国で
大きな反響を呼びました。子どもたちの水遊び、お花見や散歩など四季を通じて楽しむことができる場所です。

 
1438年永享10年)、栄源によって開山された。元々、この地には行基作とされる聖観音像を安置する観音堂があった。そこに不動明王
を背負った栄源が当地に立ち寄り、寺を建てたのが起源である。旧本山は善養寺
栄源が背負っていた不動明王像は、子どもの疳の虫
治すご利益があるとされ、「虫除不動」と呼ばれて信仰を集めている。 
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

(古川親水公園~蓮華寺~古川親水公園  : 東京都江戸川区 2013.08. 26 撮影)

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東京さわやか散歩 参の18 ④

2021年04月11日 06時11分57秒 | 写真

瑞江から古川親水公園

 
熊野神社は旧江戸川のほとりに建つ神社。この熊野神社は、地元の人々に「おくまんさま」と呼ばれ、古くから信仰された旧今井村の鎮守。
松尾芭蕉に「茶水汲むおくまんだしや松の花」と歌われ、徳川将軍家をはじめ近隣の多くの人々がおいしい水「おくまんだし」を求めてた伝
えられる名水の地に建つ小さな神社です。熊野神社境内には、松尾芭蕉の句碑も建てられています。

 
美しいピンクの大輪の花を咲かせるフヨウは、夏を代表する花木として親しまれています。日本の南部では野生化していますが、もともとは
中国原産であると推測されています。また、室町時代に観賞されていた記録があることから、古くから栽培されていたことがわかります。

 
真福寺は、1451年宝徳3年)、乗善によって開山された。その後、覚誉によって中興された。旧本山は善養寺明治時代初期に熊野神社
の近くにあった「観音寺」を合併した
墓地には、現在の江戸川区に相当する地域出身で最初の衆議院議員となった橋本省吾の墓がある
                                                      出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

(熊野神社~真福寺  : 東京都江戸川区 2013.08. 26 撮影)

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東京さわやか散歩 参の18 ③

2021年04月10日 07時19分56秒 | 写真

瑞江から古川親水公園

 
子育てしやすい街・江戸川区は「交通公園」だって他とはちょっと違います。定番の貸し自転車や足ふみゴーカートはもちろん、一番のおす
すめは空中サイクリングが楽しめる「レインボーサークル」です。高架レールをペダルを漕いで進んでいくこの乗り物、遊園地でもよくあるので
乗ったことがあるパパ&ママも多いのでは?

高いところから見る景色はなんとも新鮮で子どもにも大人気。数百円払っても惜しくないのですが、この「レインボーサークル」はなんと無料で
利用できちゃいます!桜のシーズンには桜を眺めながら空中サイクリングが楽しめるのでより一層グッド♪

入園料はもちろん駐車場も無料、楽しくお財布にも優しいスポットです。駅から徒歩8分というのも嬉しいところです。

 
現在の橋は1979年に完成。 それまでは現在の橋の50メートルほど上流側に1951年(昭和26年)完成[1]の片側一車線のコンクリート製の橋
があった。しかし、交通量の増加により老朽化が進み、付近に慢性的な交通渋滞が起こること、さらに橋脚の間隔が狭く、川を航行する船が
衝突して修繕工事のために片側車線が閉鎖されることがたびたびあったため、架け替えが行われた。旧橋は歩道用として残す案もあったが、
航行する船の問題もあり撤去された。今でも一部残された橋脚の跡が干潮時に干上がった砂地に見られる。  
                                                     出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 
瑞穂大橋(みずほおおはし)は、新中川に架かるのひとつで、東京都道450号新荒川葛西堤防線(篠崎街道)を通す。
東・西岸の東京都江戸川区江戸川四丁目地内を結び、新中川の最下流(旧江戸川との合流部)部に位置する。  
また、瑞穂大橋は東京都が管理する橋梁である。   出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 
今井水門は、新中川最下流の旧江戸川と交わる場所にある大きな水門です。海抜の低く河川が多い江戸川区を水害から守るため昭和30
年代に作られました。開閉式で屋形船やプレジャーボートが行き交ったり、夜の開閉ランプが赤青に点灯し水面に映ったり、都内にいること
を忘れさせる光景も見られます。 
   
(今井児童交通公園~今井水門  : 東京都江戸川区 2013.08. 26 撮影)

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東京さわやか散歩 参の18 ②

2021年04月09日 07時52分27秒 | 写真

瑞江から古川親水公園

 
1226年嘉禄2年)、親鸞によって開山された。親鸞が常陸国茨城郡笠間(現・茨城県笠間市)から京都に向かう途中、当地で旱魃に苦しん
でいる村人を救うために、雨ごいをして雨を降らせたことがきっかけで当地に留まって寺を創建した
その後の戦乱で廃寺化したが、文明年間(1469年1487年)に徳誉笈公が中興し、その際に浄土宗に転宗した
現在の当寺の宗派は浄土宗になっているが、今も親鸞にまつわるものが残っている。例えば、親鸞が自画像を彫らんとして鏡代わりにした
「鏡ヶ池」やその際に袈裟をかけた「袈裟かけの松」などがある。また「親鸞堂」と呼ばれる堂があり、親鸞像が安置されている
                                                       出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 
1614年慶長19年)に創建された[1]。かつては「山王社」と称しており、隣の光明寺が旧別当寺であった。船堀村東組の鎮守であった
1873年明治6年)に「日枝神社」に改称した境内には、「船堀の富士塚」と呼ばれる富士塚がある。1897年(明治25年)に地元の富士講
よって築造されたもので、江戸川区の有形民俗文化財に登録されている。  出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 
弘安年間(1278年1288年)、記主禅師良忠によって開山された。1268年文永3年)、源清が草庵を建てたのが起源である
境内には、「新川梨」の創始者大塚宗蔵にまつわる文化財がある。「新川梨」は19世紀から20世紀初頭まで当地で栽培されたで、当時の
地場産業であった。その新川梨の碑や大塚宗蔵一族の墓や大塚氏先祖の木像などがある。出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 

(明福寺~浄興寺  : 東京都江戸川区 2013.08. 26 撮影)

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東京さわやか散歩 参の18 ①

2021年04月08日 08時32分54秒 | 写真

瑞江から古川親水公園

          


(豊田神社から~史跡:道祖神 : 東京都江戸川区 2013.08. 26 撮影)

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東京さわやか散歩 参の17 ⑥

2021年04月07日 07時22分15秒 | 写真

仙台堀川公園から砂町銀座商店街

 
慶安年間(1648年 - 1651年)、小名木川近くの海辺が度々津波に見舞われて、耕地が荒廃し住民が苦しんだことから、伏見稲荷大社の分
霊を奉遷し産土神として奉ったのに始まる。後に、近くにある愛宕山勝智院境内の愛宕神社と、入谷柳川藩下屋敷の邸内社であった太郎
稲荷を合祀した[2]。太郎稲荷は19世紀初頭に大人気となった流行神で落語「ぞろぞろ」の舞台にもなった社だが、明治維新後、商業地への
再開発のため土地を手に入れた京橋の時計商人が得体のしれない神がいることを嫌って当神社へ合祀することになった(地元民の希望で入
谷にも祠が残され現存)
元禄5年(1692年9月29日松尾芭蕉深川から小名木川を下って門弟の桐奚宅を訪ねる途中で当社に参拝し、「秋に添て行はや末は小松
川」の句を詠んだ。境内にはその句碑「女木塚」が建立されている
合祀前の愛宕神社には享和3年(1803年)から1年間小林一茶が居住し
ていた[2](ただし、大島2丁目の愛宕神社とする説もある)。
昭和20年(1945年3月10日東京大空襲で社殿・社務所を全焼した
                                             出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

          


(大島稲荷神社  : 東京都江東区 2013.07.30 撮影)

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東京さわやか散歩 参の17 ⑤

2021年04月06日 06時52分56秒 | 写真

仙台堀川公園から砂町銀座商店街

        

         
当センターは、戦時中に東京が受けた空襲の実相、そのなかで犠牲になった・傷ついた・生き残った人びとの体験を今に伝える平和博物
館です。2002年に、4000名を超える方々からの募金によって設立された、民立民営の施設です。1945年3月10日の東京大空襲で大きな
被害を受けた江東区北砂の地にあります。

 
「砂町銀座」という名前が生まれたのは遡ること昭和7年、当時日本一の商店街であった銀座通り商店街に負けないようにとの思いを込めて
命名されました。
戦前は30軒程度の小さな規模でしたが、これも昭和20年の東京大空襲で1度焦土と化し焼け野原に。現在の形にまで復興
を果たしたのはそれから18年後の昭和38年ごろのこと。
廉価な生鮮3品(野菜、肉、魚)を筆頭として、近隣住民と共に少しずつ発展していき
ます。
昭和50年代に入ると、大規模な公団住宅やマンション建設が進んで、周辺人口が一気に増加。この人口増加に伴って、様々な業態の
店舗が増えていきました。

毎月10日に開催する「ばか値市」や8月上旬に3日間開催する七夕祭りなどイベントや催事も充実し、平日で約15000人、休日でのべ20000人
ほどが訪れる活気ある商店街へと成長します。
「昭和の雰囲気を色濃く残す人情商店街」や「1度は訪れてみたい商店街」など、様々な表現で
各種メディアにも大きく取り上げられ、今では江東区随一の商店街となりました。

(東京大空襲・戦災資料センター~砂町銀座商店街  : 東京都江東区 2013.07.30 撮影)

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東京さわやか散歩 参の17 ④

2021年04月05日 06時09分25秒 | 写真

仙台堀川公園から砂町銀座商店街

 
横十間川(よこじゅっけんがわ)親水公園は、「区民の水辺」をテーマに整備された川沿いの公園です。
延長1.9kmに渡る園内には、広い水面を活かした貸しボート場や水上アスレチック、野鳥の島、花菖蒲園など多彩な施設があり、子供からお
年寄りまで楽しめます。
ボランティア団体「和船友の会」による木造和船の運行も大人気!江戸文化を体験できるとあって、海外の方や修学
旅行生も訪れる東京観光の穴場スポットでもあります。

(横十間かわ親水公園  : 東京都江東区 2013.07.30 撮影)

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