vagabond の 徒然なるままに in ネリヤカナヤ

エメラルドグリーンの海,溢れる太陽の光,緑の森に包まれた奄美大島から,乾いた心を瘉す写真をお届けします。

太古の夕暮(その2)

2007-01-14 00:24:40 | 
弥生時代の吉野ヶ里遺跡に復元された物見櫓越しの眺める夕景。
弥生時代は,紀元前3世紀から紀元3世紀までの約600年続いた時代。
ここ吉野ヶ里遺跡は,魏志倭人伝に出てくる「邪馬台国」の時代を彷彿とさせる広大な集落群で形成される。
現在,計画面積117ヘクタールのうち約半分の58ヘクタールが,吉野ヶ里歴史公園として公開され,集落の最盛期を紀元3世紀頃(弥生時代後期後半)の集落が復元されている。
海外からの観覧者も多いらしく,HPも日本語,英語,中国語,韓国語で構成されている。


冬の黄昏時は表情も柔らかい。
7世紀に日本書紀に「海見嶋」として初めて日本の歴史に登場する奄美は,このころも,琉球支配以前の自主統治の「奄美世(あまんゆ)」。
弥生時代の奄美の暮らしは,宇宿貝塚(奄美大島・奄美市笠利町。国指定重要文化財史跡)からも垣間見ることができるが,海を隔てたこの吉野ヶ里とどのように繋がっていたのだろうか?
時空を超えて想像が広がる。


ここは,周りのムラムラを治めていた王やリーダー層の人々が住んでいた場所(南内郭)。


主祭殿のシルエット(北内郭)。
この建物で,田植えや稲刈りの日取りを決めたり,季節ごとのお祭りの日を決めたり,また大きな「市」を開く日取りを決めるなど,吉野ヶ里を中心とするクニ全体の重要な物事についての儀礼的な話し合いと祖先への祀りが行われていたそうだ。


夕陽を受けた主祭殿。
吉野ヶ里を中心とするクニ全体のまつりごとを執り行う場所。
支配する者もいれば,支配される者もいる…
偶々,今日の朝日新聞の週末特集で,島唄「かんつめ節」のモデルとなったヤンチュ(債務奴隷)の女性カンツメと恋人 岩加那の悲恋の物語が書かれていた(ネット上でも,こちらにアップされている)。
ヤンチュの歴史と実像については,名越護「奄美の債務奴隷 ヤンチュ」に詳しい。
今日の朝日新聞の記事では,大正末期から昭和初期にかけて「かんつめ伝説」が当時の世情を背景に変容を遂げたことにも触れられており興味深い。
いずれにせよ,かんつめの話は,読むたびに涙を誘う。


建物や門の上に,鳥の像が沢山並んでいた。
鳥は,稲などの穀物の霊を運んできたり,悪霊から守ってくれるシンボル(神の使い)とされていたのだそうだ。
烏が鳴くから帰ろ♪

【2007.1.7 吉野ヶ里遺跡 Canon EOS 30D with Canon EF-S60mm F2.8 USM&Canon EF-S10-22mm F3.5-4.5 USM】
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