鬱 のち 躁 …

(元)旦那の病気(双極性Ⅱ型障害)について

ご注意!

当ブログをお読み頂きありがとうございます。 このブログは(元)旦那の病気(双極性障害)を中心に 家族の日常を記載しております。 ただし、ブログ主である私の“毒”も多分に含まれ 心の病気の方などに不愉快な記載がある場合もあります。 どうか、充分ご注意いただけますようお願い致します。

地震

2011年03月16日 | 日記
未曾有の大地震、大津波、そして原発の脅威…
すべての方に心からお見舞い申し上げます。

あの日からほぼずーっとTVを見ています。
通常通りに会社で仕事をしていますが、その会社でも
TVがついています。

言葉を失う映像に心が閉じてしまいます…。

ブログを更新するにしてもどう言葉を綴っていいのか
わからず、開いては閉じておりました。

私の実家は中越地震で大きな災害を受けたところにあります。
そして彼の実家は中越沖地震で大きな災害を受けたところに
あります。

ですので、家が倒壊する様やひび割れた道路、ひっくり返った
新幹線、避難所の様子そしてそこでの悲しみをリアルに見ています。

また柏崎刈羽原発も身近に存在するところでもあります。

何度も繰り返される映像に段々と麻痺してしまい、現実感が
薄れそうになりながらもその経験を思うと生身の心が反応します。

しかし、きっと私達が体験した以上の惨状があるであろうことは
安易に想像ができます…。


きっと被災者の方の中にも彼のように精神疾患を抱えた方も
いるでしょう…。

ただでさえストレスに対する反応が過敏であるであろうに…
薬さえきちんと飲めているのかと…。

1日も早く、日常が戻るようにと思うばかりです。


彼も1日中TVを見ています。

しかし、何を思うのか…ほとんど話しをしてくれません。

なんだかざわざわと心が落ち着かず、毎日が過ぎていきます。


それでも被災者のことを思えば…とたぶん日本中の人が
思うように自分のできることを淡々と続けていきたいと思います。


感謝

2011年03月10日 | 日記
レボトミンの服用がなくなって1週間以上経つが
段々と症状が悪くなっているように思える…。

金曜日までは朝起きて玄関で私達を見送ってくれた。
日曜日までは起きて朝ごはんを一緒に食べていた。
しかし月曜日から朝方起き出してバナナだけ頬張り
朝の薬を飲んでまた布団に入るようになった。

そして今日とうとう薬だけ飲んでまた横になっていた。

「ボーっとした感じがなくなったんで、どんどん考え込んでしまう」
という…。

どんどん負のスパイラルに落ちていくのなら、まずこの負の思考は
「鬱」によるものなんだと自覚して欲しいと言ってみた。

「鬱」によって引き起こされる思考であり、それと現実は違うもの
であることを自覚して欲しいと言ってみた。

「それでも辛いんだよ…」という…。


もちろんそれだけでスパイラルを断てるわけはないのだが…。


ネットでも薬の依存の問題や、未成年者への処方の問題が取りざた
されいる。

彼の絶不調も離脱症状がでているということなのか?

もう半年以上も体内にあった物質がなくなっていくことへの
対応ができないってことなのか?

煙草のように体内のニコチンがすべて抜け切れれば、楽になったり
しないのだろうか?


「どうしても辛ければ、先生のところに行って薬だしてもおう」と
言っても

「もう少し様子をみて…」としか言わない。

きっと来週まで行くことはしない気がする…。


いつまでこの辛さが続くのだろう…。

私にはどうしてあげることもできないのだろうか…。


「口を開くと辛いしかいえないから…」といってほとんど
自分から話すこともなくなってしまった…。


「仕事中だからって遠慮しないで、辛いなら辛いっていって
 電話くれていいんだからね…」とは言ってみたが…。



昨日は3月9日…。サンキューの日だそうだ。

そんなに辛くても頑張ってくれている彼に感謝しないと…。

依存

2011年03月07日 | 日記
レボトミンを切って、1週間も経たないが絶不調…。
依存症…ということなのだろうか…。

薬の強力な沈静作用が切れて、頭が働く分自分の思考の
制御ができない。

欝へ欝へと沈んでしまう…。
心も身体も…。


娘の保育園でお別れ会なるお遊戯会があった。

娘は6キャストではあるものの、一応主役を(じゃんけんで)
いとめ、毎日一生懸命練習してきた。

歌やメロディ音も家でうるさいくらいに練習してきた。

何日も前から彼が見に来てくれるかずーっと気にしていた。

「○○日まで、パパの病気治ったらいいのに~」と
無邪気に言うくらいに…。


前日ビデオやカメラのメモリ、バッテリーを準備する彼。

娘に聞かれ「大丈夫だよ」という彼。


しかし、当日自律神経の不調からか顔は赤く動悸が激しい。


そもそも、外に出ることが難しい上に短時間(2時間)とはいえ
人込みに身を置く。

まして、周りはたくさんのお父さんがいるわけで否応にも自分と
比較してしまうだろう。


結局無理をしてもしょうがない…ということで断念。


娘と家を出るとき、「パパにギューしてあげて」というと
怪訝そうにする。

「だって、パパも来るんでしょ?」

娘に事前に話すべきか迷っていたが、彼がいけないことを
説明する。

一瞬にして笑顔が曇る。
下を向き、顔をあげない。

ずーっと泣きどうしの彼。

「○○も悲しいだろうけど、パパももっと悲しいんだよ」と
いうとおもむろに彼にギューをする娘。


玄関をでて角を曲がるまで、うつむいていたが
二人でつないだ手を大きく振って歩くうちに

「ビデオいっぱい取ってね。帰ったらパパにみせるんだから!」

と顔を上げてくれた。


帰り自分を描いた似顔絵をもって彼へと報告に走る。
キーボードで演奏し、歌を歌う。

彼のためだけのお別れ会を再演する娘。


どうか、この先少しでも安定して3人で晴れの日が迎えられる
ように…と心から願った。



偶然

2011年03月03日 | 日記
以前「解雇」で書いた彼女が2月末日で退社した。

1日いつものようにネット三昧で何も話すことなく
私達も何も話しかけることもなくこの日を迎えた。

そして定時なった。

が、私あての電話が入りあれやこれやと話しているうちに
彼女は社長に

「お世話になりました。これみなさんで…」

と言って、菓子折りを置いて帰ってしまった。

後姿に、

「お疲れ様でした~」と受話器を持ちながら呼びかけてみたが…。

実にあっさりした幕切れだった。


実は、何日も前から社長を初めどんな風になるだろうと
気をもんでいらっしゃった。

私は「挨拶はするでしょうけど、何事もなく終わると思いますよ」
と予想していたのだが、まぁ案の定だったわけだ。

ある意味彼女らしい。


で、彼女が使っていたPCは私が使っているのよりもHi-Specなので
お下がりを譲り受けることになった。

今までよりもそりゃ~サクサク動きます。
HPも動画もそりゃ~キレイに見えたでしょうよ…って言うくらい。

で、Excelがクラッシュしてしまい自動復元がされると彼女が
つけていたと思われる“じょぶめも”なるものが表示された。


つまり彼女自身がつけていた仕事に関する個人的なメモが、
たぶんHDDからは削除されたであろうメモが、いきなり作成者の
意図に反して現れた…。

なんという偶然!(ある意味必然なのだが…)

読まないってのが情けなのかもしれないけれど、こんな偶然
そうそうスルーするわけにはいかないわけで…。

まぁね、私のことや私の担当する仕事についてもあれこれ
書いてありました。

その他にも色々…。

彼女これ読まれているって知ったら、きっと「あっそう…」って
あっさり言いそうだけど、内心へこたれるだろうなぁ…なんて
思いながら…。

色んなことがあったけど、やっぱり変わった人だったなぁ…と
思いながら…。

そして立場が違うとこうも話が変わるのかと思いながら…。


しかし、「天網恢恢疎にして漏らさず」とはこのことだと
つくづく思い知った次第です。






減薬

2011年03月03日 | 日記
とうとうレボトミン(抗精神病薬)をゼロにされた。

MAXで60mg/dayだったのが、ちょっとづつちょっとづつ
減らされた結果、ゼロになったのだ…。

うつ状態で表情がないというよりも、顔の上に何層も何層も
別の顔が張り付いたようだったのが少しづつ、少しづつはがれて
いくような気がするのだが…残念ながら脂肪も張り付いているので
どこまで複願できるか…。


私の好きな彼の写真がある。
ブログに載せられないのは残念だが…。

開放病棟に入院していたときに、娘を連れて見舞いに行き
彼がおんぶしたときに撮った写真だ。

あの時は会社を辞めると決まり、本当にすがすがしい、
そしてやさしい穏やかな顔だった。

娘も1週間ぶりに合う父親に、これまためずらしくおんぶされ
最高の笑顔ではじけている…。

当時彼は1日に何度も何度も鏡を見ては、自分の顔を写真に
撮っていた。

自信家だった彼が最後に唯一残った容姿に対する自信をいとおし
んでいるようだった。

それが今、鏡を見ることもない。

写真を撮ることも拒まれる。


昨日の受診の際、先生に娘の卒園式と入学式に二人で出たいと
話をした。

たぶん式にはつき物の記念撮影もあるだろう。

できれば、できれば晴れやかな顔で3人写りたいと心から思う。