乱鳥の書きなぐり

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映画 『蕨野行』(わらびのこう)原作者 村田喜代子/ 監督 恩地日出夫/ 市原悦子 石橋蓮司

2009-10-16 | 映画





       蕨野行 (わらびのこう)



 話の展開 ★★★★★ ★★★★★

 風景の美しさ ★★★★★ ★★★★★

 構図の工夫 ★★★★★ ★★★★★

 台詞の文語体による美しさ ★★★★★ ★★★★★

 役者さんたち ★★★★★ ★★★★★

 この映画の好きさ ★★★★★ ★★★★★

 おすすめ度 ★★★★★ ★★★★★
  (おすすめ度も含め ★×10です。頼りない乱鳥ですが、責任を持ってお勧め致します。)



 2003年 日本

 監督 恩地日出夫

 原作者 村田喜代子

 キャスト

   市原悦子

   石橋蓮司

   中原ひとみ

   清水美那

   李麗仙

   左時枝  他




 イラン出発前にテレビ映画の予告を見ていた。

 予約録画では一抹の不安を感じるほどに面白そうな映画が一本。

 映画『蕨野行 (わらびのこう)』がそれだ。

 9月にテレビ(NHK?)で放映される事を知り、確実な方法として娘に録画を頼んでおく。



 そうして14日。

 家族と『蕨野行』を見た。



 映画は日本の美しい景色から始まった。



     『ヌイよい。残り雪の馬が現れるなら、男衆の表仕事の季節がきたるなり。』

     『おばばよい。したがおめに物問わんか。・・・。』(言葉は曖昧)



 美しい。

 言葉が美しい。

 景色が美しい。

 そして、懸命に生きる人の姿が美しい。



『蕨野行』はどうも江戸時代の東北の飢饉を軸に美しい山形の風景を重ね合わせてつくられた映画らしい。

 以前に読んだ柳田國男氏の『遠野物語』に類似した記述があったように思う。

 他の民俗学者たちがめいめいに考える色々な部分がいろいろな場面に盛り込まれていたのは興味深い。

『蕨野行』のあらすじはこのページでは省かせていただくが、感じた事にしぼって記録したいと思う。



 60歳を迎えた者はそれまでの村での身分に関係なく蕨野という原野に送り出される。

 これはいわゆる姥捨てである。

 故緒形拳の『楢山節行』とはまた違った角度からとらえられた『蕨野行』

 いずれも味わい深い。



 実際に行われたという飢饉による姥捨て(当時から考えての60歳は老人)。

 共通点は 山。

「ヌイよい。他の村に他言せぬべし。ヌイが実家さ 帰った時も、誰にも他言してはならね。」(言葉は曖昧)



 山は人里からの切り離し友考えられ、その境界線と考えられる山間などには道切りは張られている事を、奈良の二ヶ所(矢田寺近く、平群)で確認した。

 この映画でも村を追われ山人となりたるオババの妹が山人となってあらわれる。

 これをサンガと呼うかどうかは,わたしにはわからない。

 ただ、映画に出てきた妹はもはや里の者ではなく、人間の姿を保ちながら動きは人間からとうに離れていた。

「ヌイよい。わしは蕨生になりたる。おみゃは はよ、山へ帰るべし。これが おみゃとの最後。はよ、帰れ。帰れやぁ。」(言葉は曖昧)
の言葉が、今もわたしの心にこだまする。



 江戸時代の飢饉の頃、実際に人の肉を喰って過ごしたという文献を読む機会が何度かあった。

 東北限らず、南の方でもそういった事が行われていたというがわたしには確信は持てない。

 もちろん否定する人もいる。

 この映画では特定の人物として、その話をさらりと表していた。

「人は食うわぬべし。食うたら燐がついて回り、すぐわかる。その男も役人につかまりて、死刑になったとよ。」(言葉は曖昧)
と、道徳的配慮に置き換えている。

 この映画に出てくる言葉から、当時 人を塩漬けにした事も伺えたが、確信は持てない。



 上之庄、中之庄,下之庄という村の地名(あるいは区画分け?)も何度か出てきた。

 微妙に貧富を表した言葉の端々には民俗学的見解の配慮が伺える。



 他にも 物乞い行、男尊女卑、家、庄屋と小作人、村の団結と助け合い、山里の暮らし、大雨による不作、厳冬、飢饉など、この映画には興味深い事が次々と出てきた。

 それらの厳しい事実とされている事柄を、山形の美しい景色の映像で美しく描いた秀作。



 素晴らしい映画を観た。

 わたしはこの映画は名作の一つだと感じる。

 わたしは今もこの映画の余韻に浸り、心魅せられている。




コメント (2)
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