乱鳥の書きなぐり

遅寝短眠、起床遊喰、趣味没頭、興味津々、一進二退、千鳥前進、見聞散歩、読書妄想、美術芝居、満員御礼、感謝合掌、誤字御免、

ただいま季節は稲刈り真っ最中の農繁期ですが、今日は季節外れの『半夏生』なと・・・

2009-10-14 | 民俗考・伝承・講演
        (写真は奈良斑鳩の法起寺。台風の二日後のひとコマ。   2009、10、09)



 
    ただいま季節は稲刈り真っ最中の農繁期ですが、今日は季節外れの『半夏生』なと・・・
  





 以前、半夏生についてhttp://blog.goo.ne.jp/usuaomidori/e/0ca602b808bc7f39d4d486e27986afbd記録した事がある。

 稲刈り直後の半夏生に日。今は稲の頭もたれて、稲刈り真っ盛りの農繁期。

 忙しそうだ。



 あれからずっと気にかかっていた事が二点。

 実際に半夏生の日に、農家の人は畑には出ないのか?雨が入り込まないように、井戸にはふたをするのか?



 気になったわたしは、ここにきて農家の方や農業関係者の方の何人かに問うてみた。

「知らんなぁ。聞いた事ないなぁ。」
「稲の育ちを願ってと ちゃうやろか?畑に出ないのはしらんなぁ。」 
・・・・・・・・・・・(いずれも、みなさん 奈良出身の方)
など、皆さん同じような言葉が返ってくる。

 ところがわたしが農家の方と話していた内容を聞いた上品なご夫人が,買い物の後に興味深い事を教えて下さった。

「それ 聞いた事、あります。もう、若い人は知らはらへんと思います。わたしもおばあさんに聞きました。今は90歳を超えたおばあさんです。わたしのおばあさんが、そんなん いうたはりました。その日は『カマ』を持ったらあかん日って 言うたはりました。その前後何日間かは、引っ越しもしたらあかんて、聞いてました。井戸はいろいろ聞いてます。・・・・・・・・・(井戸の話)。今度 おばあさんに聞いときます。お顔を見かけたら、話させてもらいます。」
と、親切な方だった。



 今は農家の方の間でも有耶無耶になっている半夏生。

 田植えを終えての休みの一時なのか、植物の半夏生が作からなのか、それとも他に意味があるのか?

 元の意味合いも後づけの意味合いもごっちゃになり、現在では農家でも消え去った俗習。

 奈良の龍田大社の風鎮際を 別名半夏生とも言うという事は、以前にも書いた。

 本来の意味合いが忘れ去られ、祭が形を変えて息吹を吹き返している一例だ。



 柳田國男氏はこれらの忘れ去られようとした俗習などを集めてまとめられた。

 赤松啓介先生は俗習は隣村同士でも全く違うものだと力説。

 民俗学がただの生活における歴史ではなく、これから論文や書物をまとめられる先生方は,現在ではどうなのかといった点もわかる限りで良いので表記してほしいと願うのはわたしだけか?

 ご自分の触れられた地方や人の話だけでも良いから、記された時点で残る俗習と嘗てあった俗習と明記して下されば、主婦の民俗学遊びももっと楽しめるかも知れない。

 どこかしこから聞こえる稲刈りや脱穀機の音を聞きながら、ふとそんな事を感じた。

   
                                 10月中旬




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ペルシャ語を知らない私が見たイラン 2   【 私が感じた三年間の “イランの変化” 】

2009-10-14 | イラン2007~2010(6回)
                        上の写真はヤズドの大手タクシー会社の敷地 壁に張られた国旗



         タクシー会社の入り口。





  ペルシャ語を知らない私が見たイラン 2    
              【 私が感じた三年間の “イランの変化” 】




 三年続きで三から四週間、毎年九月をイランで過ごす。

 ペルシャ語の知らない私は今年も右往左往。

 だが、言葉のわからないわたしがまわりの気配から微妙なイランの変化に気づいた。



 初回イランに行ったのは2007年秋の一ヶ月間。

 はじめてのイランは親日の笑顔に満ちたイラン人が多く、心が和んだ。

 2007年に比べ2008年の微妙な変化。

 2008年に長時間話し込んだテヘランのお菓子屋のイラン人は、
「今、イランはばかになっている。何がおこるかわからない。今日1000リアル(12円位)で買えたこの飴も、明日は5000リアルになっているか10000リアルになっているかは誰にもわからない。」
「イラン人のほとんどは自国を好きだとは思っていない。」
「日本は良かった。日本に帰りたい。」
と涙ながらに話していた。

 そして2009年。

 今年イランはニュースで大きく取り上げられた事はここで申すまでもない。

 そして実際にわたしが感じたイラン。

 イランの日本に対する受け止め方は大きく変化していることを,色々な場面で痛感した。

 

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   国を尋ねられる場合の順番の変化
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 2007年秋 イラン
 
  イラン人に出会うと
    「日本人か?」→「中国人か?」
   と、尋ねられる
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 2008年秋 イラン

  イラン人に出会うと
    「日本人か?」
    「中国人か?」→「日本人か?」
   と、尋ねられる

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 2009年秋 イラン

  イラン人に出会うと
    「中国人か?」→「韓国人か?」→「日本人か?」
    「中国人か?」→「日本人か?」
    「中国人か?」→「イラン人か?」→「日本人か?」
    「韓国人か?」→「日本人か?」
   と、尋ねられる


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   その他の変化 2009年に感じた事
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 1、 2007年2008年には少なかった中国人の旅行者が多い。

 2、 日本人旅行者は少なくなった。

 3、 タクシー運転手は、中国との貿易自慢をはじめる。

 4、 以前は日本にいた経験を嬉しそうに話すイラン人によくであったが、2009年には一人も出会わなかった。

 5、 以前ほどの親日感情は感じない。

 6、 遅ればせながら熱心なイランの韓流ブーム到来。Tシャツを着る子ども。DVDに群がる人。その勢いはすごい。

 7、 2007、2008年は日本人と聞くと嬉しそうだったが、2009年は韓国人でないと知り悔しがる。

 8、 去年から配給制になったガソリン。タクシーが全体に高い。

 9、 多くのホテルの車代ぼったくり化は深刻。ツーリスト予約やタクシーの三倍の値段。

 10、遺跡の立ち入り禁止部分の拡大および保護箱など

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『国を尋ねられる場合の順番の変化』及び1、3、4、5、7については色々な要因が考えられるが、ここではあえて省かせていただきたい。

 特に3は深刻だと感じる。

 以上が  ペルシャ語の知らない私が見たイラン【 私が感じた三年間の “イランの変化” 】です。


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