(写真は奈良斑鳩の法起寺。台風の二日後のひとコマ。 2009、10、09)
ただいま季節は稲刈り真っ最中の農繁期ですが、今日は季節外れの『半夏生』なと・・・
以前、半夏生についてhttp://blog.goo.ne.jp/usuaomidori/e/0ca602b808bc7f39d4d486e27986afbd記録した事がある。
稲刈り直後の半夏生に日。今は稲の頭もたれて、稲刈り真っ盛りの農繁期。
忙しそうだ。
あれからずっと気にかかっていた事が二点。
実際に半夏生の日に、農家の人は畑には出ないのか?雨が入り込まないように、井戸にはふたをするのか?
気になったわたしは、ここにきて農家の方や農業関係者の方の何人かに問うてみた。
「知らんなぁ。聞いた事ないなぁ。」
「稲の育ちを願ってと ちゃうやろか?畑に出ないのはしらんなぁ。」
・・・・・・・・・・・(いずれも、みなさん 奈良出身の方)
など、皆さん同じような言葉が返ってくる。
ところがわたしが農家の方と話していた内容を聞いた上品なご夫人が,買い物の後に興味深い事を教えて下さった。
「それ 聞いた事、あります。もう、若い人は知らはらへんと思います。わたしもおばあさんに聞きました。今は90歳を超えたおばあさんです。わたしのおばあさんが、そんなん いうたはりました。その日は『カマ』を持ったらあかん日って 言うたはりました。その前後何日間かは、引っ越しもしたらあかんて、聞いてました。井戸はいろいろ聞いてます。・・・・・・・・・(井戸の話)。今度 おばあさんに聞いときます。お顔を見かけたら、話させてもらいます。」
と、親切な方だった。
今は農家の方の間でも有耶無耶になっている半夏生。
田植えを終えての休みの一時なのか、植物の半夏生が作からなのか、それとも他に意味があるのか?
元の意味合いも後づけの意味合いもごっちゃになり、現在では農家でも消え去った俗習。
奈良の龍田大社の風鎮際を 別名半夏生とも言うという事は、以前にも書いた。
本来の意味合いが忘れ去られ、祭が形を変えて息吹を吹き返している一例だ。
柳田國男氏はこれらの忘れ去られようとした俗習などを集めてまとめられた。
赤松啓介先生は俗習は隣村同士でも全く違うものだと力説。
民俗学がただの生活における歴史ではなく、これから論文や書物をまとめられる先生方は,現在ではどうなのかといった点もわかる限りで良いので表記してほしいと願うのはわたしだけか?
ご自分の触れられた地方や人の話だけでも良いから、記された時点で残る俗習と嘗てあった俗習と明記して下されば、主婦の民俗学遊びももっと楽しめるかも知れない。
どこかしこから聞こえる稲刈りや脱穀機の音を聞きながら、ふとそんな事を感じた。
10月中旬
ただいま季節は稲刈り真っ最中の農繁期ですが、今日は季節外れの『半夏生』なと・・・
以前、半夏生についてhttp://blog.goo.ne.jp/usuaomidori/e/0ca602b808bc7f39d4d486e27986afbd記録した事がある。
稲刈り直後の半夏生に日。今は稲の頭もたれて、稲刈り真っ盛りの農繁期。
忙しそうだ。
あれからずっと気にかかっていた事が二点。
実際に半夏生の日に、農家の人は畑には出ないのか?雨が入り込まないように、井戸にはふたをするのか?
気になったわたしは、ここにきて農家の方や農業関係者の方の何人かに問うてみた。
「知らんなぁ。聞いた事ないなぁ。」
「稲の育ちを願ってと ちゃうやろか?畑に出ないのはしらんなぁ。」
・・・・・・・・・・・(いずれも、みなさん 奈良出身の方)
など、皆さん同じような言葉が返ってくる。
ところがわたしが農家の方と話していた内容を聞いた上品なご夫人が,買い物の後に興味深い事を教えて下さった。
「それ 聞いた事、あります。もう、若い人は知らはらへんと思います。わたしもおばあさんに聞きました。今は90歳を超えたおばあさんです。わたしのおばあさんが、そんなん いうたはりました。その日は『カマ』を持ったらあかん日って 言うたはりました。その前後何日間かは、引っ越しもしたらあかんて、聞いてました。井戸はいろいろ聞いてます。・・・・・・・・・(井戸の話)。今度 おばあさんに聞いときます。お顔を見かけたら、話させてもらいます。」
と、親切な方だった。
今は農家の方の間でも有耶無耶になっている半夏生。
田植えを終えての休みの一時なのか、植物の半夏生が作からなのか、それとも他に意味があるのか?
元の意味合いも後づけの意味合いもごっちゃになり、現在では農家でも消え去った俗習。
奈良の龍田大社の風鎮際を 別名半夏生とも言うという事は、以前にも書いた。
本来の意味合いが忘れ去られ、祭が形を変えて息吹を吹き返している一例だ。
柳田國男氏はこれらの忘れ去られようとした俗習などを集めてまとめられた。
赤松啓介先生は俗習は隣村同士でも全く違うものだと力説。
民俗学がただの生活における歴史ではなく、これから論文や書物をまとめられる先生方は,現在ではどうなのかといった点もわかる限りで良いので表記してほしいと願うのはわたしだけか?
ご自分の触れられた地方や人の話だけでも良いから、記された時点で残る俗習と嘗てあった俗習と明記して下されば、主婦の民俗学遊びももっと楽しめるかも知れない。
どこかしこから聞こえる稲刈りや脱穀機の音を聞きながら、ふとそんな事を感じた。
10月中旬