(写真は京都の東寺・五重塔)
森の宮遺跡
先日大阪歌舞伎教室http://blog.goo.ne.jp/usuaomidori/e/fc38afd651d701470b6b73869c4e4634を観るために、ピロティーホールにいった。
このピロティーホールは興味深いことに、森の宮遺跡に立てられたビルとのこと。
少し早くついた私たち家族は、あたりをぶらぶらと散歩していた。
ふと気づくと、遺物が同会館のピロティーホール地階で公開展示されている。
これは見ないわけにはいかない。
二人は宝箱を見つけたように、足早に歩み寄った。
中には品の良い男性が、男性屈葬人骨の左横で、入場人数をカウントしておられた。
人骨は縄文後期~弥生期の貝層から見つかったとのこと。
40歳以上と推定される男性屈葬人骨など18体と生活用具が発見され、きれいな状態で保存されている。
骨は見事に美しく、表面には保護のために、腐敗剤が塗られていた。
説明を読むと、
『埋葬形式、あるいは一時期遠く関東・東北地方や九州西北部と交流したことや徐々にこの付近周辺に特長的な文化圏を形成したことが判明した。約5,000年前の生活様式は、照葉樹林のひろがるところでの狩猟と、全面にひろがる水辺での漁労が中心で、日本各地から移動する縄文人の集散の地にもなっていたと推定される。』
と、記されている。
上のとてもわかりやすい説明は、
素敵な森の宮遺跡説明のHP ↓
http://www.osaka-udce.or.jp/rekishi/uekita/p58.htm
に載せられていた。
ここ大阪の中央区森ノ宮中央一丁目17 (地下鉄中央線・JR 森の宮駅)。
展示室でいただいた説明文を読むと、縄文時代後半には海に住む巻貝が食べられ、弥生時代には淡水に変化。セタシジミなどが食べられていたとのこと。
海に住む巻貝
↓
淡水に住むセタシジミ
を思うと、私は 地球の歴史のロマンを感じるのである。
このほかにも色々な縄文土器や櫛、磁石などが展示されている。
数は多くは無いものの、小半時間は充分に楽しめる会場。
縄文土器野文様は鮮明で、かけた部分も上手く再現されている。
かけた一部分から全体の大きさを割り出す作業なども、感心がある。
面白そうだ・・・
カウントの男性もみんなに親切で、歌舞伎が始まるまでの細切れの時間を、思いがけなく楽しく過ごすことができたことに、心から感謝している。
楽しい時間を、ありがとうございました。
大阪日日新聞HP『縄文人の暮らし』田中清美 ↓ http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/koukogaku/koukogaku050519.html
もちろん、植物の様子も。
櫛があったんですか?どうやって作ったのでしょうね?もちろん木製?いや、動物の骨?
歌舞伎みる前に、
こんなの、見てたんだ、、ね、
今日の写真、いけてるね、、
長い時を経て、 海→淡水→陸地 と変化したのですな。これはロマンですな。
貝の層にあった人骨(ご冥福をお祈りいたします)はすごくきれいな形で発掘されており、興味深いものでした。
写真、ありがとう・・・