『絵入 好色一代男』八全之内 巻一 一悪しき所が恋のはじまり 【全】 井原西鶴
一丁ウ
悪しき所が恋のはじまり
桜もちるに嘆き、月ハかぎりありて、入作山(いりさやま)、爰に但馬(たじま)の
国(くに)、かねほる里の辺(ほとり)に、浮世の事を外になして、色道(しきどう)ふ
たつに、寝ても覚(さめ)ても、夢介(ゆめのすけ)と、かえ名よばれて、名古(なご)や
三左(さんざ)、加賀(かが)の八などと、七ツ紋(もん)のひしにくみして、身は
酒にひたし、一条(でう)通(とほり)、夜更(よふけ)て戻(もと)り橋(はし)、或時(あるとき)ハ若衆(わかしゆ)
出立(いでたち)、姿(すがた)を加えて、炭染(すみそめ)の長袖(ながそて)、又は、たて髪(かミ)かつら、化物(ばけもの)
が通(とほ)るとハ、誠(まこと)に是(これ)ぞかし、それも彦七(ひこしち)が顏(かほ)して、願(ねがハ)くハ
嚙(かミ)ころされてもと、通(かよ)へば、なを見捨(すて)難(がた)くて、其比(そのころ)名高(なたか)き
中にも、かづらき、かほる、三夕(さんせき)、思ひ/\に身請(みうけ)して、嵯峨(さが)に引込(ひつこみ)
或は、東山(ひかしやま)の片陰(かたかげ)、又は藤(ふじ)の森(もり)、ひそかにすみ
二丁オ
なして、契(ちぎ)りかさなりて、此うちの腹(はら)より、むまれて
世之介ト名によぶ、あらハに書(かき)しるす返をなし、しる人ハ
しるぞかし、ふたりの寵愛(てうあい)てうち/\、髪振(かぶり)の
あたまも定(さだま)り、四つの手の霜(しも)月ハ、髪(かミ)置(おき)、はかま着(ぎ)の
春も過て、疱瘡(ほうそう)の神(かミ)いのれば、跡(あと)なく六の年
へて、明(あく)れば七歳の、夏(なつ)の夜(よ)の、寝覚(ねさめ)の枕(まくら)をのき
、かねがねの響(ひゞき)、あくひの音(おと)のミ、おつぎの間(ま)に、宿真(とのゐ)
せしめ、さし心得(こゝろえ)て、手燭(てしよく)ともして、遥(はるか)なる廊下(らうか)を
轟(とゞろ)かし、ひかし、北の家陰(やかげ)に、南天の下葉(は)しげりて、
敷(しき)松葉(まつば)に、おしと、もれ行て、お手水(てうず)の、ぬれ縁(ゑん)
ひしぎ竹の、あらけなきに、かな釘(くき)の、かしらも
二丁ウ
御こゝろもとなく、ひかりなを、見せまいらすれば、「其火
けして、近くへ」と、仰(おほせ)られける、「御あしもと、大事
がりて、かく奉(たてまつ)るを、いかにして、闇(くら)がりなしてハ」と、御言(こと)
葉(ば)をかへし申せば、うちうなづかせ給ひ、「恋(こひ)は
闇(やミ)と、いふ事をしらずや」と、仰られける程(ほと)に、御まもり
わきさし持(もち)たる女、息ふき懸(かけ)て、御のぞみに、なし
たてまつれば、左(ひだり)のふり袖を引たまひて、「乳母(うば)は
いぬか」と、仰らるゝこそ、おかし、是をたとへて、あまつ
浮橋(うきはし)のもと、まだ本(ほん)の事(こと)も定まらして、はや
御こゝろさしハ、通(かよ)ひ侍ると、つゝまず、奥さまに申て
およろこびの、はしめ成べし、次第に、事つのり
三丁オ
日を追(お)つて、仮には、姿(すかた)え(ゑ)の、おかしきをあつめ、おほくハ
文車(ふくるま)も、みぐるしう、此(この)菊(きく)の間へハ、我よばたるもの、まい
るなゝどゝ、かたく関(セき)すえらるゝこそ、こゝろにくし、或(ある)「」
時は、おり居(そえ)を、遊ばし、「比翼(ひよく)の、鳥(とり)のかたちハ、是ぞ」
と、給ハりける、花つくりて、梢(こずへ)にとりつる、「連理(れんり)は
是、我にとらする」と、よろつに、つきて、此事をのみ
忘(わす)れず、ふどして、人を頼(たの)まず、帯(おび)も、手づから、前(まへ)に
むすびて、うしろに、まハし、身(ミ)にへうべきやう、袖に
焼(たき)かけ、いたづらなる、よせい、おとなも、はづかしく、女の
こゝろを、うごかさせ、同し友(とも)と、まじハる事も
烏賊(いか)のぼせし、空(そら)をも見ず、「雲(くも)に、懸(かけ)はしとは、
四丁ウ
むかし天(てん)へも、流星人(よばいど)あリや、年に、一夜のほし
雨)(あめ)ふりて、あはぬ時(とき)の、こゝろハ」と、遠(とを)き所(ところ)までを、悲(かな)しミ
こゝろと、恋(こい)に、責(せめ)られ、五十四歳まで、たはふれし女
三千七百四十二人、少人のもてあそび、七百二十五人
手に日記(につき)にしる、井筒(ゐつゝ)によりて、うないこより、己(この)来(かた)
腎水(ぢんすい)を、かえほして、さても命ハ、ある物か
たはふれし女 三千七百四十二人
(在原業平が戯れた女が、三千七百四十二人)
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『井筒』