謡曲 『箙(えびら)』
箙(えびら)とは
1 矢を入れる武具。矢を差す方立(ほうだて)とよぶ箱と、矢をよせかける端手(はたて)とよぶ枠からなる。この左右の端手に緒をつけて腰につける。
2 《1に差す矢の数が24本であることから》連句の形式で、二十四節気にかたどったもの。24句で一巻をなす。二十四節。 小学館デジタル大辞泉より
謡曲 『箙(えびら)』とは
謡曲。二番目物。世阿弥作。「箙の梅」の故事に基づく。生田川を通った旅僧に、梶原景季(かじわらかげすえ)の霊が修羅道の苦しみのさまを見せる。
小学館デジタル大辞泉より
箙の梅(えびらのうめ)とは
1 寿永3年(1184)の源平生田の森の合戦で、梶原景季 (かじわらかげすえ) が梅の枝を箙に差して戦った故事。
神戸の生田神社に遺跡があり、能や浄瑠璃の題材となった。
2 梅の品種。花は淡紅色で大きく、桃の花に似ている。
小学館デジタル大辞泉より
梶原景季(かじわらかげすゑ)とは
[1162~1200]鎌倉前期の武将。
景時の長男。通称、源太。源頼朝の臣。源義仲追討のとき、佐々木高綱と宇治川の先陣を争ったのは有名。
小学館デジタル大辞泉より
生田神社(いくたじんじゃ)とは
神戸市中央区にある神社。旧官幣中社。祭神は稚日女尊 (わかひるめのみこと) 。
社地は源平合戦などの古戦場。 (実際に何度か訪れたことがある)
小学館デジタル大辞泉より
謡曲 『箙(えびら)』
別名『箙の梅』
作者 不詳 観世元雅か…
場所 摂津国 生田の森 (現在の兵庫県神戸市 生田神社境内)
季節 仲春
分類 二番目物 勇士物
観世元雅(かんぜもとまさ)とは
[1395?~1432]室町前期の能役者・能作者。
通称、十郎。世阿弥の長男。
観世大夫3世だが、現系図では数えない。
若手ながら名手。音阿弥を愛した足利義教の圧迫で、不遇の中に死ぬ。
作『隅田川』『盛久 (もりひさ)』『弱法師 (よろぼし) 』など
小学館デジタル大辞泉より
春を迎えた、生田の森。
そこに現れた青年武者の亡魂は、香気高い梅の枝を挿し、みずみずしく奮戦した生前のさまを再現してみせる…。
前シテ 生田の地の男 直面 掛素袍大口出立(庶民の扮装)
後シテ 梶原景季の霊 面:平太 今若
修羅物出立(武将の扮装)
ワキ 旅の僧 着流僧出立(僧侶の扮装)
ワキツレ 旅の僧(2‐3人) 着流僧出立
間狂言 土地の男 肩衣半袴出立(庶民の扮装)
概要
旅の僧の一行(ワキ・ワキツレ)が生田神社に至ると、梅の花が美しく咲いていた。
一行が花を眺め休息していると、そこに一人の男(前シテ)が現れ、この梅は「箙の梅」という源平合戦にゆかりのある木なのだと教える。
梶原景季がこの梅の枝を箙に挿して戦った故事を語る。やがて男は、自分こそ景季の幽霊であると明かすと、姿を消してしまう。
その夜、僧の夢に梶原景季の霊(後シテ)が現れた。
景季は、修羅道の責めに苛まれつつ、この生田の地で繰り広げられた合戦のさまを再現して見せるのであった。(文:中野顕正氏 一部)
銕仙会(TESSENKAI)より引用
中野顕正氏とは
観世元雅(かんぜもとまさ) 研究者
謡曲『箙』の下調べをしておく。
岩波古典全集の『謡曲集』は赤、緑共に載って無い。
『観世流続謡曲集』には『箙の梅』ではなく、『箙』として載っていた。
鑑賞当日、あらかじめ薄ぼんやりと頭に入れた『箙』のあらすじと、『観世流続謡曲集』があれば、少しはわかりやすいかもしれない。
『箙』の作者は物狂いの『隅田川』を書かれた観世元雅と云う説もあるらしい。(中野顕正氏)
『隅田川』はDVDを購入し、ずいぶん聞いたので、ほんの一部だけ暗記している。
(ただし当然のことながら、音程がめちゃくちゃ)
観世元雅の作品かもしれないと云うことを頭の隅っこに置きながら、観世会館の定期能を楽しんでみたいと思う。
能楽は『箙』『当麻』、狂言は『昆布売』
家族とともに見る能楽は楽しい時間のひとつです。^^
みなさま、
お付き合いくださいましてありがとうございます。
感謝申し上げます。
箙(えびら)とは
1 矢を入れる武具。矢を差す方立(ほうだて)とよぶ箱と、矢をよせかける端手(はたて)とよぶ枠からなる。この左右の端手に緒をつけて腰につける。
2 《1に差す矢の数が24本であることから》連句の形式で、二十四節気にかたどったもの。24句で一巻をなす。二十四節。 小学館デジタル大辞泉より
謡曲 『箙(えびら)』とは
謡曲。二番目物。世阿弥作。「箙の梅」の故事に基づく。生田川を通った旅僧に、梶原景季(かじわらかげすえ)の霊が修羅道の苦しみのさまを見せる。
小学館デジタル大辞泉より
箙の梅(えびらのうめ)とは
1 寿永3年(1184)の源平生田の森の合戦で、梶原景季 (かじわらかげすえ) が梅の枝を箙に差して戦った故事。
神戸の生田神社に遺跡があり、能や浄瑠璃の題材となった。
2 梅の品種。花は淡紅色で大きく、桃の花に似ている。
小学館デジタル大辞泉より
梶原景季(かじわらかげすゑ)とは
[1162~1200]鎌倉前期の武将。
景時の長男。通称、源太。源頼朝の臣。源義仲追討のとき、佐々木高綱と宇治川の先陣を争ったのは有名。
小学館デジタル大辞泉より
生田神社(いくたじんじゃ)とは
神戸市中央区にある神社。旧官幣中社。祭神は稚日女尊 (わかひるめのみこと) 。
社地は源平合戦などの古戦場。 (実際に何度か訪れたことがある)
小学館デジタル大辞泉より
謡曲 『箙(えびら)』
別名『箙の梅』
作者 不詳 観世元雅か…
場所 摂津国 生田の森 (現在の兵庫県神戸市 生田神社境内)
季節 仲春
分類 二番目物 勇士物
観世元雅(かんぜもとまさ)とは
[1395?~1432]室町前期の能役者・能作者。
通称、十郎。世阿弥の長男。
観世大夫3世だが、現系図では数えない。
若手ながら名手。音阿弥を愛した足利義教の圧迫で、不遇の中に死ぬ。
作『隅田川』『盛久 (もりひさ)』『弱法師 (よろぼし) 』など
小学館デジタル大辞泉より
春を迎えた、生田の森。
そこに現れた青年武者の亡魂は、香気高い梅の枝を挿し、みずみずしく奮戦した生前のさまを再現してみせる…。
前シテ 生田の地の男 直面 掛素袍大口出立(庶民の扮装)
後シテ 梶原景季の霊 面:平太 今若
修羅物出立(武将の扮装)
ワキ 旅の僧 着流僧出立(僧侶の扮装)
ワキツレ 旅の僧(2‐3人) 着流僧出立
間狂言 土地の男 肩衣半袴出立(庶民の扮装)
概要
旅の僧の一行(ワキ・ワキツレ)が生田神社に至ると、梅の花が美しく咲いていた。
一行が花を眺め休息していると、そこに一人の男(前シテ)が現れ、この梅は「箙の梅」という源平合戦にゆかりのある木なのだと教える。
梶原景季がこの梅の枝を箙に挿して戦った故事を語る。やがて男は、自分こそ景季の幽霊であると明かすと、姿を消してしまう。
その夜、僧の夢に梶原景季の霊(後シテ)が現れた。
景季は、修羅道の責めに苛まれつつ、この生田の地で繰り広げられた合戦のさまを再現して見せるのであった。(文:中野顕正氏 一部)
銕仙会(TESSENKAI)より引用
中野顕正氏とは
観世元雅(かんぜもとまさ) 研究者
謡曲『箙』の下調べをしておく。
岩波古典全集の『謡曲集』は赤、緑共に載って無い。
『観世流続謡曲集』には『箙の梅』ではなく、『箙』として載っていた。
鑑賞当日、あらかじめ薄ぼんやりと頭に入れた『箙』のあらすじと、『観世流続謡曲集』があれば、少しはわかりやすいかもしれない。
『箙』の作者は物狂いの『隅田川』を書かれた観世元雅と云う説もあるらしい。(中野顕正氏)
『隅田川』はDVDを購入し、ずいぶん聞いたので、ほんの一部だけ暗記している。
(ただし当然のことながら、音程がめちゃくちゃ)
観世元雅の作品かもしれないと云うことを頭の隅っこに置きながら、観世会館の定期能を楽しんでみたいと思う。
能楽は『箙』『当麻』、狂言は『昆布売』
家族とともに見る能楽は楽しい時間のひとつです。^^
みなさま、
お付き合いくださいましてありがとうございます。
感謝申し上げます。