乱鳥の書きなぐり

遅寝短眠、起床遊喰、趣味没頭、興味津々、一進二退、千鳥前進、見聞散歩、読書妄想、美術芝居、満員御礼、感謝合掌、誤字御免、

30; 同時代ライブラリー298 『古今和歌集』竹西寛子 著  岩波書店 1997年 

2011-03-07 | 読書全般(古典など以外の一般書)

(写真は奈良の竜田川のさくら 業平道の近く)




 同時代ライブラリー298 『古今和歌集』 

                            

    


 古今和歌集 (同時代ライブラリー―古典を読む

 竹西 寛子 著

 岩波書店

 1997年3月14日第1版

 197ページ 900円+税





 ただいま 竹西 寛子著の 同時代ライブラリー298 『古今和歌集』を読了。

 竹西 寛子さんはかなりわかりやすい。

 中国に凝っていた時には井波律子さんに憧れていたが、今回は まだ一冊読んだだけだが、竹西 寛子さんに魅力を感じる。

 竹西 寛子さんは1929年生。

『愛国百人一首』たるものの中に竹西 寛子さんが歌を読むきっかけとなった次の歌が入っており、首を傾げたと書かれている。

      久方の光のどけき春の日にしず心なく花の散るらん(紀友則)





 興味深いところや知らないことが多く書かれていたが、ほんの一部だけ抜き出し、メモしたい。





 夢とうつつの歌をあげておられたが、興味深い。(38ー)

      世の中は夢かうつつか うつつとも夢とも知らずありてなければ(古今集942)

 竹西 寛子さんは

      世の中は夢かうつつか うつつとも夢とも知らずありてなければ

がお好きなようで、本書には三ヶ所、書かれていた。

 



「あはれ」「あな憂」「憂し」「わぶ」(88-95)

    「詠み分け」と「読み分け」

    (作者の意図であったとは言えない)

     入試に出た小説を著者が読んで、『ああ、こんな解釈があったのか』と思い知らされたという内容を読んだことがあるなぁ…

「あはれ」「あな憂」「憂し」「わぶ」

 あえて次々に差し出す選者は、常套語がいかなる詠み分けによって個性ウぃ得ているか、他のどういう種類の語として生彩を得るか、それを読み分けて欲しいと願っていたのかもしれない

 (わたしにとっては興味深い内容がつづく………)

   と、ある。





『排蘆 小船』(あしわけおぶね)  本居宣長 (152ー)

  「歌のよしあしは多くは詞にありて情にあらず」

  「この故に詞をととのふるが第一といふなり」

 


 
 なごり(177ー)

  名残り 余波

 ……四季歌に関して、配列を忘れさせる程の一首一首の喚起力の強さは、古今集よりもむしろ新古今集の方にあって、……雪解けの水の玉のような輝きを詠んでいるのも新古今集である。

 新古今集の自然に対して、古今集の自然が、この世にひとつの目で……大づかみに、梅というもの、桜というもの……という状態で詠まれているのは興味深い。……古今集の四季歌を、一方的に繊細と決めつけない方がいいのではないか。


 


 同時代ライブラリーはこれで二、三冊目くらいだと思うが、以前読んだ『柳田國男と折口信夫』も今回の『古今和歌集』もわたしにとっては満足箆行く内容だったので、申し越し子のシリーズは注目したい。





 おつきあい下さいまして、感謝しています。

 ありがとうございます。








コメント (2)
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メモ  竹西 寛子

2011-03-07 | 乱鳥徒然 Rancho's room.

(写真は奈良の竜田川 業平道の近く 三室山のさくら)




   竹西 寛子







竹西 寛子(たけにし ひろこ、1929年4月11日 - )は、日本の小説家、日本芸術院会員。





来歴・人物

広島市皆実町(現・同市南区内)に生まれる。家は醸造業だった。第二次世界大戦中の1942年、県立広島女子専門学校(現広島県立広島皆実高等学校の前身校)に入学、戦争末期には学徒動員により軍需工場などでの勤労奉仕に従事した。1945年8月6日の原爆投下の際は、たまたま体調を崩して爆心地から2.5kmの自宅に在宅していたために大きな被害を免れることができたが、多くの級友が被爆死し、この体験が後の文学活動の根本になっている。1952年早稲田大学国文科を卒業した後、1957年に筑摩書房に入社し、文学全集等の編集に携わった。その傍らで評論を書き続け、1962年に退社し、執筆活動に専念。主な代表作に評論『往還の記 - 日本の古典に思う』、自身の被爆体験をテーマとする小説『管絃祭』、小説『贈答のうた』などがあり、主要著作をまとめた『竹西寛子著作集』(全5巻・新潮社)や『竹西寛子随想集』(全3巻・岩波書店)がある。1994年芸術院会員。




受賞歴

1964年に『往還の記 - 日本の古典に思う』で田村俊子賞
1964年に『儀式』で女流文学賞候補
1973年に『式子内親王・永福門院』で平林たい子賞
1976年に『鶴』で芸術選奨新人賞
1978年に『管絃祭』で女流文学賞
1981年に「兵隊宿」で川端康成文学賞
1986年に『山川登美子』で毎日芸術賞
1994年に日本芸術院賞
2003年に『贈答のうた』で野間文芸賞
著書 [編集]

往還の記 日本の古典に思う 筑摩書房 1964 のち中公文庫、岩波同時代ライブラリー 
源氏物語論 筑摩書房 1967
儀式 新潮社 1969 のち中公文庫  
道づれのない旅 新潮社 1970
人と軌跡 9人の女性に聴く 中央公論社 1970 のち文庫  
式子内親王・永福門院 筑摩書房 1972 (日本詩人選) のち講談社文芸文庫 
紀貫之 土佐日記 日本の旅人 淡交社 1974
ものに逢える日 新潮社 1974
古典日記 中央公論社 1975 のち文庫  
鶴 新潮社 1975 のち中公文庫  
現代の文章 筑摩書房 1976
青葉の時へ 新潮社 1977
管絃祭 新潮社 1978 のち中公文庫、講談社文芸文庫 
月次抄 青土社 1978
歌の王朝 読売新聞社 1979 (読売選書)
愛するという言葉 新潮社 1980
空に立つ波 古今和歌集 平凡社 1980 (平凡社名作文庫) 「古今集の世界へ」朝日選書  
古語に聞く 講談社 1981 のちちくま文庫
落伍者の行方 青土社 1981
春 新潮社 1982 「春・花の下」講談社文芸文庫  
兵隊宿 講談社 1982 のち文芸文庫  
私の平安文学 福武書店 1982
ひとつとや 正続 毎日新聞社 1983-84 のち福武文庫  
音のパレット 青土社 1984
時のかたみ 新潮社 1984
読書の歳月 筑摩書房 1985
ものに逢える日 彩古書房 1985
山川登美子 「明星」の歌人 講談社 1985 のち文芸文庫
道づれのない旅 彩古書房 1985
句歌春秋 新潮社 1987
庭園(編)淡交社 1987 (古美術読本) のち光文社知恵の森文庫 
竹西寛子の松尾芭蕉集・与謝蕪村集 集英社 1987 (わたしの古典) のち文庫 
日本の恋歌 岩波新書 1987
王朝文学とつき合う 新潮選書 1988 のちちくま文庫  
俳句によまれた花 潮出版社 1988
比叡の雪 青土社 1989
湖 自選短篇集 学芸書林 1989
日本の女歌 日本放送出版協会 1989 (NHK市民大学)
百人一首 講談社 1990 (古典の旅) 「百人一首を旅しよう」文庫 
丘の上の煙 青土社 1990
朝の公園 読売新聞社 1991
水の断章 淡交社 1991
挨拶 福武書店 1992
太宰府の秋 青土社 1993
古今和歌集 岩波書店 1993 (古典を読む) のち同時代ライブラリー
詞華断章 朝日新聞社 1994 のち文庫  
長城の風 新潮社 1994
国語の時間 読売新聞社 1994 のち河出文庫  
日本の文学論 講談社 1995 のち文芸文庫  
竹西寛子著作集 全5巻 新潮社 1996
庭の恵み 古人とともに 河出書房新社 1997
海からの風 青土社 1997




日本の女歌 日本放送出版協会 1998 (NHKライブラリー)
山河との日々 新潮社 1998
竹西寛子・倉橋由美子・高橋たか子 角川書店 1998 (女性作家シリーズ)
文学私記 青土社 2000
哀愁の音色 青土社 2001
蜻蛉日記 藤原道綱母(訳)週刊日本の古典を見る 世界文化社 2002
贈答のうた 講談社 2002 のち文芸文庫  
自選竹西寛子随想集 全3巻 岩波書店 2002-03
虚空の妙音 青土社 2003
陸は海より悲しきものを 歌の与謝野晶子 筑摩書房 2004
蘭 自選短篇集 集英社文庫 2005
京の寺奈良の寺 自選随想集 淡交社 2006
「いとおしい」という言葉 青土社 2006
言葉を恃む 岩波書店 2008
望郷 青土社、2009







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「籠の釣瓶はぁ、ぁよく 斬れるなぁあ、、」

2011-03-07 | TVで 歌舞伎・能楽




 テレビで

     舞踊 『玉菊灯籠』 中村福助

     小唄 『秋風誘ふ』

        『逢うて別れて』

     歌舞伎『籠釣瓶花街酔醒 』(例として)中村福助 (八つ橋)

を見たよ。

 ほんの一部、『籠釣瓶花街酔醒 』の吉原道中部分等があったのね。


 くちょ!


 もとみたいのねん。

 できれば次郎左衛門は吉右衛門丈か幸四郎丈で…

「籠の釣瓶はぁ、ぁよく 斬れるなぁあ、、」(陰気に にやり)

の場が、好きなのねんのね…ん。 







【memoのおじかん】
   ▼


玉菊(ウィキペディアより)

玉菊(たまぎく、1702年 - 享保11年3月29日(1726年))は、江戸時代、江戸新吉原の遊女、太夫。
角町中万字屋勘兵衛のかかえで、茶の湯、生け花、俳諧、琴曲など諸芸に通じ、才色兼備、殊に河東節の三味線と拳の妙手であった。 仲の町をあるくときは床几のこしかけるごとに、禿にもたせた100匹、200匹という目録を置いていった。大酒のために若くして世を去った。
享保11年7月、盂蘭盆に吉原の茶屋は軒ごとに燈籠をかかげて玉菊の精霊をまつった。これが玉菊燈籠で、吉原三景容のひとつとなった。享保13年7月、三回忌に十寸見蘭洲が「水調子」という河東節をかたって、玉菊の追善供養をしたが、中万字でこの曲をひくと玉菊の霊があらわれるとつたえられた。



たまぎく-どうろう 5 【玉菊灯▼籠】
新吉原の年中行事の一。盂蘭盆(うらぼん)に灯籠を軒先にともすもの。若くして死んだ玉菊という遊女の霊をとむらうため、新盆につけたといわれる。


芥川龍之介 槍ヶ嶽紀行(玉菊燈籠の用例)
 芥川龍之介 槍ヶ嶽紀行 (青空文庫)
 …を浴衣に着換へた私は、 括 ( くく ) り枕を出して貰つて、長長と仰向けに寝ころんだ儘、昨日東京を立つ時に買つた講談 玉菊燈籠 ( たまぎくどうろう ) を少し読んだ。読みながら、浴衣の糊の臭ひが、始終...
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