(写真は奈良の竜田川のさくら 業平道の近く)
同時代ライブラリー298 『古今和歌集』
古今和歌集 (同時代ライブラリー―古典を読む
竹西 寛子 著
岩波書店
1997年3月14日第1版
197ページ 900円+税
ただいま 竹西 寛子著の 同時代ライブラリー298 『古今和歌集』を読了。
竹西 寛子さんはかなりわかりやすい。
中国に凝っていた時には井波律子さんに憧れていたが、今回は まだ一冊読んだだけだが、竹西 寛子さんに魅力を感じる。
竹西 寛子さんは1929年生。
『愛国百人一首』たるものの中に竹西 寛子さんが歌を読むきっかけとなった次の歌が入っており、首を傾げたと書かれている。
久方の光のどけき春の日にしず心なく花の散るらん(紀友則)
興味深いところや知らないことが多く書かれていたが、ほんの一部だけ抜き出し、メモしたい。
夢とうつつの歌をあげておられたが、興味深い。(38ー)
世の中は夢かうつつか うつつとも夢とも知らずありてなければ(古今集942)
竹西 寛子さんは
世の中は夢かうつつか うつつとも夢とも知らずありてなければ
がお好きなようで、本書には三ヶ所、書かれていた。
「あはれ」「あな憂」「憂し」「わぶ」(88-95)
「詠み分け」と「読み分け」
(作者の意図であったとは言えない)
入試に出た小説を著者が読んで、『ああ、こんな解釈があったのか』と思い知らされたという内容を読んだことがあるなぁ…
「あはれ」「あな憂」「憂し」「わぶ」
あえて次々に差し出す選者は、常套語がいかなる詠み分けによって個性ウぃ得ているか、他のどういう種類の語として生彩を得るか、それを読み分けて欲しいと願っていたのかもしれない
(わたしにとっては興味深い内容がつづく………)
と、ある。
『排蘆 小船』(あしわけおぶね) 本居宣長 (152ー)
「歌のよしあしは多くは詞にありて情にあらず」
「この故に詞をととのふるが第一といふなり」
なごり(177ー)
名残り 余波
……四季歌に関して、配列を忘れさせる程の一首一首の喚起力の強さは、古今集よりもむしろ新古今集の方にあって、……雪解けの水の玉のような輝きを詠んでいるのも新古今集である。
新古今集の自然に対して、古今集の自然が、この世にひとつの目で……大づかみに、梅というもの、桜というもの……という状態で詠まれているのは興味深い。……古今集の四季歌を、一方的に繊細と決めつけない方がいいのではないか。
同時代ライブラリーはこれで二、三冊目くらいだと思うが、以前読んだ『柳田國男と折口信夫』も今回の『古今和歌集』もわたしにとっては満足箆行く内容だったので、申し越し子のシリーズは注目したい。
おつきあい下さいまして、感謝しています。
ありがとうございます。