乱鳥の書きなぐり

遅寝短眠、起床遊喰、趣味没頭、興味津々、一進二退、千鳥前進、見聞散歩、読書妄想、美術芝居、満員御礼、感謝合掌、誤字御免、

サントリーミュージアム[天保山]  『印象派とモダンアート』

2010-07-31 | 美術・文様・展示物




        サントリーミュージアム[天保山]  『印象派とモダンアート』









 

 

 

   

   



   



『レンピッカ展』を楽しんだ一週間後の7月18日、娘と サントリーミュージアム[天保山]『印象派とモダンアート』を見る。

 美術・博物館巡りの好きなわが子たち。

 息子と行くことが多かったが、今月は娘と見ることが多い。

 一人、夫婦、こども、友人、趣味の団体、ツアー団体など 同行相手により美術の楽しみ方も少し違うが、それぞれいいものだ。

 家族と行くと、好きな絵を好きなだけ個人的に見て、感動の作品の前に集まって見るといった自由さ。

 夫、子ども二人の誰といってもその自由さは共通で、おまけに時間が許す限りゆっくりと見て良いので安心して館内を歩くことができるのはありがたい。



 ところで『印象派とモダンアート』は面白かった。

 サントリーミュージアム[天保山]所蔵の作品も多い。

 海の見える明るい光さんさんと入り込む部屋では、いつも常設されているジャコメッティに人物像も置かれていた。



 モネに始まり、やわらかな光を堪能。

 小・中学生の頃あれほど好きだったルノアールは、オレンジとコーラルレッドが今のわたしには暑苦しい。

 それでもやわらかな筆使いは魅力的で、人々のルノアール作品の前で立ち止まる姿が印象的だ。



 カミュー・ピサロの前で長時間を過ごす。心地よい風がリュート音楽のように心になじむ。

 このキャンパスの中は、自分の時間をまったりと過ごせる空間だ。


 
 19C~の身の回りを描いたアカデミック時代から一転、ルソーのように絵は下手でも個性の時代へと発展する。

 今回今までになくルソーをゆっくりと見てみる。

 なるほど、遠近感は半端で、思わぬ面白みを生み出している。

 それは奥行きを欠き、明解な色彩で描かれている。

 今回ルソーをしっかりと見た理由はこうだ。

 娘が作品「オステルリッツ駅から左側を見た風景」を見て、一人くすくすとわらいつづけている。

 理由を問うと、
「遠近感のない中央に帽子をかぶったジョニー・デップがいる」
というのだ。

 わたしは「オステルリッツ駅から左側を見た風景」を見てみた。そして、笑った。

 確かに!・・・

 その絵の中にはジョニー・デップがいた(爆)

 美術作品鑑賞にはあまり関係がないのですが、もしこれから『印象派とモダンアート』に行かれる方がいらっしゃいましたら、是非、この絵に少し時間をとってご自分の目で確かめていただければと思います。



 20C美術の中にはボナールやルオー。エルンストあり、ユトリロあり。シャガールやキリコやワイエスもといった華やかさ。

 ルオーはたった1点。青が美しい。

 ルドンは目を惹く。

 今回のシャガールはあまり感心はなかったが、人々は近衛の前でも集まっておられた。



 アンドリュー・ワイエスをもう少し見てみたかった。

 ワイエスを丹念に見る。

 フリーハンドだと思っていた直線と円。実は定規とコンパスを使われていたと知る。

 人工的直線と曲線の上にフリーハンドでいかにも自分が描いたといった線を書き加えるアンドリュー・ワイエスを思うと、この画家のお人柄を感じる。

 思い出す透き通るほどに白い肌の女性の絵の奥には、しっかりと赤い血が流れていたのだと、今回の展覧会を持って感じ、一層好きだと感じた。



 アトリエ「蜂の巣」や「アンティミスト派(親密派)」の説明が記されており、興味深い。


 
 暫く歩くと   OH!

 クレー、ピカソ、ブラック、ミロ。

 素晴らしいじゃないですか。

 こうなると楽しくって仕方がない。



 正直なもので我が娘、ルーチョ・ファンターナーのキャンバスを切り込んだような作品数点を前に、どう見るんだと質問してくる。

『自分で感じたままでいいでしょう。』
と内心思ったが、ここはひとまずまじめに二次元から三次元への挑戦などを簡単に話すが、納得は多分していない。彼女が聞きたかったのは、この作品は好きが否かといったもっと突っ込んだことだったろうと感じつつ、一通り説明した訳。

 それでもルーチョ・ファンターナーの中には『空間概念』(88)があり、同色でぬられたくられたキャンバスの中央が大きくえぐられ、見ている側の姿が角度によってうつるといったものがあった。それを娘に告げると素直に試している。だが、やはり彼女は首をかしげていた。

『空間概念』のシリーズはこの展覧会では1960年頃からの創作作品だった。今現在この作品を見ても斬新は感じられないが、その当時はどうだったのだろうか?わたしにはわからない。



 最後まで切れ少し悶々とした気分に陥った二人は、もう一度感情を逆流。

 ピサロや他好きな作品の光を心に吸収して、この開場を後にした。




 現在開催され散るサントリーミュージアム[天保山]『印象派とモダンアート』

 作品数はそんなに多くはありませんが、わたしはお勧め致します。
 

 
 







                   2010年7月18日 見る

                   サントリーミュージアム[天保山](大阪市港区海岸通1-5-10)









展覧会の見どころ
19世紀後半から20世紀後半までの一般にモダンアートと呼ばれる期間の美術から、「印象派」「20世紀の具象絵画」「20世紀の実験的美術」という3つの領域に焦点をあて、その豊かな表現を紹介する展覧会。
6点のロンドン連作を含む8点のモネ、画業の展開過程を示す10点のピサロ、モランディやフォンターナの作品を集めたコーナー、ルオー、ローランサンら、さまざまな作家による花束の競演など、サントリーコレクションを中心に、国公私立美術館、個人から借用した25点を含む約100点によりモダンアートの魅力に迫ります。







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兵庫県立美術館 特別展   『美しき挑発 レンピッカ展』

2010-07-31 | 美術・文様・展示物




  兵庫県立美術館 特別展   『美しき挑発 レンピッカ展』






                  

  

 

       

                





 7月11日、娘と『美しき挑発 レンピッカ展』に行く。

『美しき挑発 レンピッカ展』は正直なところ興味はなかったが、神戸での買い物と食事も兼ねて、一応おさえておくことにした。

 

 開場につくと結構ファッショナブルな奇抜な服装の若者もいる。

 流石、レンピッカ。

 こういった絵は女性好みかと思っていたが、案外男性が多いことに驚く。



 絵を見、解説を読み、彼女に絵は彼女の私生活と密接なつながりがあることを知る。

 歌舞伎など男性が演じられる方が好みのわたしにとって、はっきり言って気持ちが悪い世界だ。

 しかし、こういった世界も認められるべきだろうし、芸術として公にすることは意味があるのだと思う。


 
 面白いのは レンピッカの被写体のとらえ方。

 小出楢重などの腰の捻りと静物画の捉え方が類似しているのは有名だが、レンピッカとて同様。

 彼女の愛人女性に対する見方と植物「カラー」の花や幹の描き方は同じ視線であった。

 それは同性愛者以外の人間から見て、特異で奇妙で不気味な同性愛者の視線だったのかもしれない。

 わたしと娘は若干の異様さを感じながらも展覧会を見続けた。



 レンピッカの作品で印象に残ったのは上に記録した「カラー」の絵。

 他にはキュビスムの影響を受けたもの、愛人女性の絵、他の絵に蔵寝て淡々と記されたように感じる愛娘2、3枚の絵。

 当時珍しい女性運転者として抜擢された車運転の自画像やスキーの絵。

 マレーネ・ディトリッヒさながらのファッショナブルで美しい彼女は贅を尽くした豪華なファッションでカメラにおさまり、自画像を描く。

『ヴォーグ』紙の表紙を飾り、ポスターを描く。

 パリに居ながらにして背景にはニューヨークを描く彼女の目指すものはわたしの好みとは大きくかけ離れ、初めから最後までうらやましさを感じることはなく見終えたことを付け加えたい。



                            2010年7月11日(日)











 レンピッカ -本能に生きた伝説の画家 ポーランド出身の女性画家タマラ・ド・レンピッカ(1898-1980)は、1920年代のパリで活動を始め、モード雑誌から抜け出したかのようなモダンな肖像画で人気を集めた。今展では、日本初公開の作品約30点を含む約90点の作品と資料でレンピッカの魅力に迫る










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映画53; 『ポセイドン』 2006年 ウォルフガング・ペーターゼン監督

2010-07-31 | 美術・文様・展示物

(写真上下はイラン ギーラーン州の バンダレ・アンザリー。カスピ海河口 )








  記録だけ


    映画53;   『ポセイドン』 The Poseidon





 満足度 ★★★★★ ☆☆☆☆☆


 2006年 アメリカ 98分
 監督 ウォルフガング・ペーターゼン


 キャスト
    ジョシュ・ルーカス(ディラン)

    カート・ラッセル(ラムジー)

    エミー・ロッサム(ジェニファー)





 ヘッドフォンをつけ、割合に大音量にしてテレビで『ポセイドン』を見る。

 このパニック映画、一刻一刻、足をばたつかせ焦りを感じながら見ていた。

 自分の実に置き換えると、結構怖い。

 ただ、途中出演者の表情の間の悪い部分もあったかな^^

 途中 芥川の『蜘蛛の糸』か、現代美術かと思われる映像あり。



 見ている最中は興奮したが、テレビを消してお茶を飲んだとたん、映画の存在をぱたりと忘れるほどに潔いつくり。
(笑)

 まるで掛け捨て保険のようだ。



 保険といえばこの船の沈没により、どれくらいの被害額があるのだろうか。

 富裕層乗船者への保険支払い・保証などを加えると相当額だな
         (と思いつつ、わたしは今日も庭になるミニトマトの些細な満足感に浸る。)



 それにしても、一度目の開きで水を船内に入れなければ、もう少し時間が稼げたのだろうか。

 生存者は増えたのか、それとも全員が海の藻くずとなったのか。

 そんなこそくな妄想。映画にとってはどうでも良いことが気になるこの映画でした。
 









コメント (2)
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