ロートレック展 (パリ、美しき時代を生きて)
10月13日。
大阪天保山のサントリー・ミュージアムで開催されている、『ロートレック展』に行く。
テーマが『パリ、美しき時代を生きて』というだけのことはあり、作品約300点からは、19世紀末のパリの息吹が感じられる。
ロートレックが初めて制作したという ポスター『ムーラン・ルージュ、ラ・グーリュ』は色彩が艶やか。
若い頃はあまり注目してなかったロートレックの作品。
しかし彼の病や生活などを考えると、納得のいくことも多い。
学生時代とはまた違った印象を持った。
反面、なぜ彼の作品に重きを置かなかったの、その再確認することともなった 今回の展覧会であった。
1864年、南仏アルビの名門貴族・伯爵家に生まれた ロートレック。
彼は骨格の成長が止まる病に置かされ、少年時代に両足を骨折して下半身の成長が止まる。
パリのモンマルトルに住みつき、毎晩のようにステッキをついては、芝居小屋、酒場、キャバレー、娼家、踊り子や街の女の絵を描き続けた。
彼の絵を観ていると、それらの中に、自らの悶々とした感情を発散。
生活と絵で、自分のストレスやかけた部分を補おうとしていた。
彼の作品には、油絵は思いのほか少ない。
10号以内の小さな作品は別として、彼の油は 描かれていても、大きく筆を動かしたあっさり描きが多い。
おそらく足の病の関係で、油は立って描かねばならない点において、描き辛かったのではないか。
そういった空気さえ感じる作品群で、彼の苦悩さえ 感じた。
ポスターやリトグラフ、版画など 華やかで、思いのほか大きな作品も多いが、色彩から考えると、彼の孤独さを感じる。
多分 彼は家族からも孤立し、寂しさを酒と女と絵、つまり快楽に向けていたのではないか。
彼は かなり頭の良い画家で、構図は遊びがないくらいに決まっている。
ほとんどの絵が、構図から成り立っていると感じた。
計算された構図の隙間から、不思議なことに、ざわめきや 周りの空気が感じられる。
匂いは感じられなかったが、音が聞こえることが不思議である。
やはり名画といってよい。
彼は女たちを美しく表面的に描くのではなく、内面を描き出していた。
それは彼の内面の孤独さが、人間に対する内なる部分に敏感になっていたせいかも知れない。
私は、構図、音、内面をとらえるなどの 以上三点において、ロートレックは天才だと感じた。
面白い部分は彼もまた日本の浮世絵に通じていたという点。
当時の画家たちは 挙って浮世絵に精通していた。
ロートレックの作品と浮世絵を対比させる。
会場には確か 『三代目 坂東三津五郎の 梶原源太』が展示されていた。
ロートレックとは関係ないが、内心 私は、
『梶原源太は 男でござるてかなぁ~~』
といった 台詞を唱えてて、にんまり。
興味深いのは、風景の中に人物多数が描かれた エッチング。
普通では 目を凝らさねば分からないくらいに ほとんど分からない位に薄いイ水彩絵の具で、左下部分を塗って、そこの部分を強調しているものがあった。
多分 多くの人は、気づかなかったかもしれない。
ブルーはほんのわずか、ある人物だけを濃く 塗っていた。
エッチングで、こういった手法 或いは 足掻きを見たことはない。
ロートレックの固執した性格を、垣間見た感じがした。
晩年、彼は 梅毒にも冒されたと、会場説明を読んで納得。
アブサンを好み、過度の飲酒から病院に強制入院させられ1901年37歳の若さで他界したという。
ロートレック展は思いのほか、短時間で見られた。
全体で一時間二十分。
珍しく 二度観をしなかったせいかも知れない。
普通の展覧会の二分の一位。
一緒に連れ立った家族は、早い段階で、ソファーに腰をおろして、私を待っていたようだ。
写真はたった一枚購入した葉書『アンバサドゥール、アリスティド・ブリュアン』 (1892年)
有名な役者らしい。
芝居のための ポスターだという。
あまりに色彩の過激なポスター(版画)なので、劇場が拒否したらしいが、
「このポスターをはらないなら、出演しない。」
とまで 役者自身が言ったという。
翌年?また同じポスターを 左右対称で作らせたというから、よほど役者のお気に入りの画家だったのであろう。
版画で左右対称といえども、文字などの関係上、新たに彫りなおしたのは、いうまでもない。