とっくに、この世を去ってしまったが、私の親父は小鳥たちと会話することができた。本当に話し合えたかどうかは別として、口笛を吹くと小鳥たちが集まり、手のひらの餌をついばんでくれていた。人間枯れてくると、小動物たちも、害を及ぼす人かどうかが判るのかもしれない。
我が家の庭には、毎年同じ顔ぶれの小鳥たちがきてくれる。今年は、柿の実がひとつもならなかったので寂しそうに見えるが、ヒヨドリが一つがい、メジロが一つがい、ウグイスが一つがい、以上の三夫婦に混じってシジュウカラが一羽、毎年見回りに来てくれている。
まだ、時期的になりものが豊富にあると見えて、南天の実も、万両の実も枝についているが、そのうちヒヨチャンが綺麗に食べてくれるだろう。時には、ミカンなどを梅の木に挿しておいてやると、交互に食べているが、ヒヨがやや独占状態、合間を狙ってメジロがつついている。
顔ぶれが同じであるということは、彼らにも縄張りがあって、きちっと守られているような気がする。数もやたらに増えないのは、その子供たちは別のところで過ごしているのかもしれない。それとも天敵による調整が働いているのか、どちらかだと思うがどうだろうか。
今年の冬の寒さはどうなのだろうか。ガソリンは少し下がってきたが、灯油は高止まり状態。生活必需品だけに、財布に応える。寒い地方の方には、お気の毒と思う。
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