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保守記事.471 政治家がSNSを手に入れると。。。

2018-03-27 12:54:26 | 記事保守

フェイスブックの炎上と映画が発端でノルウェー政権解体の危機

2018年3月20日(火)14時30分
 

Facebook投稿が原因で、政権が解体するかもしれない。SNS時代ならではのありえない話が、ノルウェー国会で現実味を増している。

ノルウェーには、過激な発言で計算された炎上戦略をする政治家がいる。

右翼ポピュリスト政党「進歩党」のシルヴィ・リストハウグ法務・危機管理・移民大臣だ。

ノルウェーの「また炎上してる」人

進歩党の「プリンセス」と称えられる、次期党首候補だ。

過激な言動、卓越されたメディア操作、ナショナリズムファンが集うFacebook個人ページを使い、ノルウェーの世論を二分させている。ワシントン・ポスト紙には「ノルウェー版ドナルド・トランプ」とも名指しされたことがある。

昨年、総選挙で中道右派政権が継続することになったばかり......のはずが

ノルウェーは、2013年から保守派陣営が政権を担っている。現在は、アーナ・ソールバルグ首相率いる保守党、進歩党、自由党による連立政権で、キリスト教民主党が閣外協力をしている。

4年毎におこなわれる国政選挙で昨年あらためて勝利したばかりのソールバルグ政権。今年の1月には、内閣改造を発表し、新しい船出となる「はず」だった。

政権の中で、最も物議を醸すリストハウグ大臣。

進歩党は、移民や難民の受け入れに懐疑的な政党として知られている。だが、政策においては、実は右派左派では、大きな変わりはないともされる。違いは、「話し方」だ。

3月9日に何が起きたのか

問題のFacebook投稿が起きたのは、3月9日。


労働党は、国家の安全よりも、テロリストの権利が大事だと主張している。『いいね!』ボタンを押して、この投稿をシェアしよう

この文章には、1枚の画像がついていた。2012年に撮影されたソマリアを拠点とするイスラム過激派アルシャバブの戦闘員の写真だ(以下)。

この投稿が、「この日」にされたことには、大きな問題があった。

ノルウェーのテロ事件をテーマにした映画『U-July 22』が公開初日を迎えていたのだ。筆者も、この日はこの映画を見ていたので、大臣の投稿を見て、唖然としたのを覚えている。

77人が殺されたテロが映画化

2011年7月22日。アンネシュ・ベーリング・ブレイビクによって、77人の命が奪われた。政府庁舎の爆破で8人、オスロ郊外のウトヤ島での銃乱射事件で69人が死亡した。

ウトヤ島では、当時、左派最大政党「労働党」の青年部による夏合宿がおこなわれていた。移民や難民の受け入れに寛容的なイメージが強い労働党。その未来の政治家の卵を狙ったのが、極右思想のブレイビクだった。

「もう、2度と7月22日を繰り返さない」
「2人目のブレイビクをうまない」
「憎悪に憎悪で答えず、ノルウェーの民主主義を守ろう」

ノルウェーは、そう誓ったはずだった。

「ヘイトスピーチを放置してはいけない。過激思想は、いつか行動となる」

ノルウェーは、そう学んだはずだった。

しかし、リストハウグ大臣の今回の炎上投稿で、右派左派問わず、国民が恐怖を感じ始めている。

ヘイトスピーチと陰謀説にエネルギーを与えてしまっているリストハウグ

政権に座る大臣が、ヘイトスピーチの温床ともなりつつあるFacebookページを運営している。「労働党による移民政策のせいで、国家の安全が危機に」というネットでの陰謀説が、大きく息を吹き返し始めている。

リストハウグ氏の炎上投稿は、初めてではない。

これまでにも、数えきれないほどに彼女は炎上発言を繰り返してきた。「みんなに好かれること」を気にしない同氏には、敵も多いが、熱狂的な支持者も多い。

リストハウグ氏は距離を置こうとするが、彼女のファンのなかには、過激な思想を持つ人物やグループがいることも以前から指摘されている。

常に誰かを怒らせ、紙面の見出しを飾る政治家

彼女は、常にどこかの世論を怒らせていた。

農業・食糧大臣だった頃は、農家の人々を。移民・社会統合大臣だった頃は、外国人・移民・難民を。法務大臣となった今、彼女の矢は、国籍や階級を問わず、「ノルウェー国民」に対して向けられてしまった。

労働党をテロリストのための党と名指しすることで憤るのは、労働党だけではない。

今でも精神的な苦痛を抱えるテロの遺族、生存者。テロに悲しみと怒りを覚えた国民のタブーな部分を、彼女は突き刺してしまったのだ。

頭の中の憎悪は、いつしか行動となる

当時の議論を追っていた人は、知っている。

ブレイビクを生んだものは、なんだったのか。

暗黒のインターネットにずっと棲みついていた、人々の心に伝染する憎悪、他者の排除、陰謀説。

移民や難民は、北欧の福祉制度を脅かすという、目に見えない不安。

「ブレイビクという人間は一人だったが、彼と思想を共有する人々がいることを我々は知っている。ブレイビクは、その群れの中から外れて、頭の中の考えを行動にうつしただけだ」

そう指摘する政治家や報道機関などは、後を絶たなかった。

ネットのヘイトスピーチを放置することの恐ろしさを、ノルウェーという国は身に染みて知っている「はず」だった。

それなのに、今、何が起きているのだろう。

政権に座る、国家の安全を守るはずのリストハウグ法務相のFacebookのコメント欄にあふれているものは、何なのだろう。テロの生存者が「恐怖を感じる」という憎悪の言葉が、そこには混ざっている。

世論を分裂させなければ、議論ができないのか

今、与野党や現地の大手伝統メディアからは、法務大臣の責任感と能力の欠如を指摘する声が相次いでいる(右翼ニュースサイトや支持者はリストハウグ氏を応援をしている)。

今回の議論で、大臣を批判した労働党青年部の生存者の一部には、「お前がウトヤ島で死ねば良かったんだ」という脅迫のメールや電話が届いている。

法務大臣のFacebook投稿が発端で、テロの生存者が殺害予告を受けているのだ。

警察には通報されているが、一部の生存者は、脅迫が原因で公の発言を控えている。

投稿を削除、政府と共に全面謝罪へ

Facebook投稿後、リストハウグ氏は5日後にやっと投稿を削除した。

後悔して削除したのではない、仕方なく削除したのだ。「政治的な目的で使用してはならない」として、権利元から削除を要請された。

ノルウェー首相も投稿を削除し謝罪するように指示していたが、リストハウグは首相の言うことを断固として拒否していたという。

「人々を傷つけた」。政権を代表して、首相も謝罪するという異例の展開となった。

誠意のない謝罪だとして、野党から受け入れられず

だが6日後、事態は悪化した。国会審議では、与野党から批判の嵐を受けたリストハウグ法務大臣。初めて、彼女は何度も謝罪した。しかし、誠意ある謝罪ではないとして、野党を納得させることはできなかった。

この日、不信任案の前段階とされる「批判案」が、国会の大多数をもって法務大臣に対して可決された。

それでも騒ぎは収まらず、野党からは不信任案が提出される。

当初、現地メディアは、「不信任案が可決されることはないだろう」と想像していた。筆者もその一人。

なぜなら、政権と閣外協力するキリスト教民主党が、政権解体へとつながる恐れのある不信任案を支持するなど、「ありえない」ことだったから。

でも、この「ありえない」ことが、20日に国会で現実となりそうだ。19日、キリスト教民主党は、「リストハウグを信頼できない」と公に発言した。

内閣総辞職か、リストハウグ炎上大臣とこれからも共に歩むか

法務大臣に対する不信任案が、大多数で可決されるとどうなるか。

野党の思い通りに、リストハウグ大臣が退陣という流れを、与党は受け入れがたい。「それならば、リストハウグと一緒に、全員で解散だ」と首相は賭けにではじめた。

政府に対する不信任案決議となると、キリスト教民主党も渋るかもしれない。内閣相違辞職に追い込まれた場合は、首相率いる保守党が新たな形で政権の基盤を模索するか、野党の労働党が新政権を樹立することとなる(解散選挙はない)。

たった1週間で、大臣のFacebookの投稿が発端で、内閣総辞職になるかもしれないという、信じられないことが起きているノルウェー。

謝罪しても許されない理由

首相も法務大臣も「珍しく」謝罪したのだから、不信任案は行き過ぎだろうか。

これは、今回の件だけが原因ではない。リストハウグ氏がこの約5年間、何度もしてきた炎上発言とFacebook投稿の代償ともいえる。

この騒動が沈静化しても、彼女がまた計画的に炎上を起こすのは明白だ。それでも、ノルウェー国民は昨年の選挙で、リストハウグ氏がいる保守派政権を選んだ。

その「投稿」ボタンは、本当に押す必要があるのか

SNSの投稿ボタンを押す瞬間に、他者への思いやりが、法務大臣にもう少しでもあったら。事態は、変わっていたのかもしれない。

外国人として事態をみている筆者が、何より思うことがある。テロを経験した生存者に、「お前が死ねば良かった」という脅迫が届いていることが、悲しくてならない。
Photo&Text: Asaki Abumi


保守記事.406-2 最強官庁の終焉

2018-03-27 10:49:44 | 記事保守

財務省「解体の危機か」 佐川氏、証人喚問

 3月2日。「決裁文書の書き換え疑惑」を朝日新聞が報じた日の朝8時。いつもは9時ごろに出勤する財務省の幹部たちが、財務省2階の大臣室に集まった。麻生太郎財務相の前に並んだのは福田淳一次官、矢野康治官房長、太田充理財局長ら。「大丈夫だろう。勝手に隠蔽したとかいう話ではないはずだ」。その後に訪れる省内の混乱を、まだ予想できていなかった。

■犯人扱いの恐怖

 「最強官庁」とまで呼ばれる財務省が激しく揺れている。学校法人「森友学園」への国有地売却についての決裁文書の改ざん問題を巡り、ずさんな対応が次々に明るみに出ているからだ。予算編成作業を担い、各省ににらみを利かせるエリートたちの混乱は、1990年代後半の金融不祥事後の迷走すら思い起こさせる。

 冒頭の会合からわずか1週間後。国会審議は野党の追及で紛糾した。財務省は省内調査を進めていたが、「理財局職員の中に、犯人扱いされるという恐怖心があった」(財務省関係者)ことが調査を滞らせた。改ざんの有無を把握することすらままならない。調査が追いつく前に、3月8日、国会に「全ての文書」を提出することを受け入れざるをえなくなった。

 資料の取り寄せはどたばただった。職員が大阪市の近畿財務局から森友関連の決裁文書のコピーを本省まで運んだ。職員はかばんに入れ、東京までは新幹線。ファイル共有ソフトが普及した現代とは思えない手作業で持ってきたコピーはわずか数日後の12日、「改ざん後」だったことが明らかになる。

 国土交通省が「3月5日に改ざん前の可能性のある文書が存在すると財務省に連絡していた」と明らかにすると、財務省の対応そのものが疑問視される。捜査中の資料の収集には捜査当局の協力を得なければいけないという事情があるが、財務省が隠していたのではないかとの批判を呼んだ。「国会の要求に全て応えるためにやったはずなのに」と肩を落としたある幹部のように、多くの職員に徒労感が残った。

 3月9日には森友問題の国会答弁を担当してきた前理財局長の佐川宣寿氏が国税庁長官の職を辞した。12日には改ざんの全容を発表。「出せるものは出した」。財務省幹部の一人はこう漏らすが、これで終わりになるわけではない。27日に開かれる佐川氏の証人喚問次第で、どんな難題が財務省に降りかかるか分からない。

■遠かった現場

 エリートたちの混乱。霞が関の最強官庁が、なぜここまでのどたばた劇を演じてしまったのか。そこには財務省という組織の中での「距離」の問題がある。

 財務省の所管業務は予算編成や税制改正、通貨政策といった経済財政運営の幅広い分野に及ぶ。だが今回の問題の震源地である国有地売却は各地域の財務局が担当。財務省の「メインストリーム」からはやや外れた場所で手掛けているものだ。

 各地の財務局には局長を含めて、本省のキャリアは数人しかいない。本省の職員にとっては、財務局の職員は顔を知らない人も多い。国有地は各地の財務局が案件を扱い、通常は売買に関する決裁に本省理財局は関与しない。「近畿財務局の話」は本省のエリートたちからみれば、距離が遠かった。

 だが、彼らから見れば遠い地で起きた火は意外にも広がり、財務省の真ん中にも及んできた。振り払っても振り払ってもとれない火の粉にとまどうエリートたちに、いよいよ政治が牙をむき始める。

 3月19日、参院予算委員会では自民党の青山繁晴参院議員がこうまくし立てた。「(予算措置を)財務省が独占的に行使し、国会議員といえども財務省の言うことを聞かないと陳情の処理もできない。(財務省の)おごり高ぶる体質ができ、公文書を偽造したのではないか」。さらに国税庁を「歳入庁」に再編し、財務省と切り離す解体論まで出した。

 歳入庁。かつて旧社会保険庁によるずさんな年金記録の管理が問題になったとき、税や年金の徴収機関として話題になった案だ。こうした案を財務省は冷ややかに見つめていたものだ。

■官邸との距離

 一方、財務省はここ数年、第2次安倍政権の下で力の陰りを指摘されてきた。2度の消費増税の延期で首相官邸の意向に従わざるをえず、「財務省も官邸ににらまれたら何もできなくなった」(他の経済官庁幹部)という声が霞が関から漏れる。

 ある閣僚経験者は今回の決裁文書改ざん問題の背景に、こうした官邸と財務省の「距離」も影響したと分析する。

 解説はこうだ。

 もともと森友学園への国有地売却は、買い手が見つからなかった近畿財務局が前理事長の籠池泰典被告の強い要望に「特例」での売却を迫られた失敗案件だった。しかし、特例での売却理由を本省に説明するため、籠池氏が強調した安倍昭恵首相夫人など政治家の存在を「いわば使った」。

 こうした経緯が昨年の国会で注目され、さらに安倍晋三首相が進退をかける答弁をした。財務省理財局は「小さな失敗案件で政権を揺るがせてはさらに官邸との関係で財務省が苦しくなる」と考え、佐川氏が強引な答弁をし、決裁文書を改ざんしたというものだ。

 この解説が正しいのか。27日、渦中の佐川氏が国会の証人喚問の場にたつ。改ざんの経緯を理財局以外の幹部も共有していたのか、官邸の指示があったのかが大きな焦点だ。これまで、問題への対応が後手に回った財務省。仮に理財局以外の当時の幹部も改ざんの事実を共有していたとしたら、「組織の解体の危機を迎える」との危機感が省内に漂っている。

(飛田臨太郎、石橋茉莉)

保守記事.406 これが政権交代?

【過去記事】保守記事.213 この国の、運命!
保守記事.213-2 よ!迷宰相!
保守記事.213-3 もう、ぐだぐだ。。。。
保守記事.213-4 ヒッシダナー
保守記事.213-5 憎いし苦痛。。。。
保守記事.213-6 人身御供
保守記事.213-7 まだ、グデグデ。。。。。
保守記事.213-8 まだ、グデグデ。。。。。
保守記事.213-9 もう、ぎりぎり。。。。。
保守記事.213-10 もうみんな、やりたい放題!
保守記事.213-11 有耶無耶のグダグダ
保守記事.213-12 そこまで言っていいの?
保守記事.213-13 あ~あ
保守記事.213-14 なんだかなぁ~
保守記事.213-15 あ~あ。。。。
保守記事.213-16 波もん
保守記事.213-17 あとは。。。
保守記事.213-18 いわれちゃったよ。。。
保守記事.213-19 まだまだ、グデグデ。。。。。

保守記事.213-20 ほぼ決まり?

保守記事.213-21 ほんとに、大迷惑

保守記事.213-22 あんたが、再チャレンジかい!!
保守記事.213-24 昭恵ヒラリー化計画始動
保守記事.213-25 安倍晋三2.0
保守記事.213-26 安倍晋三2.0
保守記事.213-27 どうみても、お前の出番ではないだろう
保守記事.213-28 ただいま、再チャレンジ中


保守記事.101-143-6 忍ぶれど色に出にけり

2018-03-20 18:18:00 | 記事保守

警視庁・新宿警察署の20代の女性警察官が、逮捕された暴力団員の男と警察署内で親しくなり、男が保釈された後にメールのやり取りをしたり一緒に旅行に行ったりしていたことが捜査関係者への取材でわかりました。
警視庁は不適切な行為があったとして近く処分するとともに捜査情報の漏えいがなかったかについても調べています。

捜査関係者によりますと、新宿警察署の20代の女性巡査は、去年、傷害事件で逮捕された30代の暴力団員の男が勾留されている時に警察署の中で親しくなり、男が保釈された後、携帯電話でメールをやり取りしたり一緒に旅行に行ったりしていたということです。
巡査は、取り調べに立ち会った際などに知り合ったと見られるということです。

ことしになって、この巡査が暴力団員と親しくしているという情報が寄せられたため、警視庁が本人から事情を聴くなどして調べていました。

警視庁は不適切な行為があったとして近く処分するとともに、捜査情報の漏えいがなかったかについても調べています。

警視庁は「現段階ではコメントできない」としています。

 

保守記事.446-3 アメリカは、どうしたいのかと

FBI女性職員、捜査対象のIS勧誘員とシリアで結婚

 

保守記事.101-146 それなんてAV?

保守記事.101-143 などど意味不明の供述をしており

保守記事.101-143-2 などど意味不明の供述をしており

保守記事.101-143-3 またまた あぶない刑事

保守記事.101-143-4 きょうのウッカリさん

保守記事.101-143-5 それなんて、アッー!


保守記事.469-2 弄ばれる宗教観

2018-03-17 12:30:12 | 記事保守

神社界の機関紙を発行している東京の新聞社「神社新報社」が創刊70周年を記念して全国の神社などから集めた協賛金を税務申告せず、税務署から4000万円余りの所得隠しを指摘されたことがわかりました。

所得隠しを指摘されたのは神社本庁や全国の主要な神社が株主になり、神社界の機関紙を発行している東京・渋谷区の新聞社「神社新報社」です。

神社新報社はおととし、創刊70周年に合わせて記念の出版事業などを行いましたが、関係者によりますと、全国の神社などから集めたおよそ9000万円の協賛金について、経費を支払った残金を別の口座に移して税務申告していなかったということです。

これについて渋谷税務署は4100万円余りの所得隠しを指摘し、神社新報社は15日、修正申告しました。
重加算税を含むおよそ1500万円を追徴課税される見通しだということです。

残金は、次の記念事業のほか憲法改正や皇室制度に関する研究費用として貯めていたということです。

神社新報社は「私的な流用はなく神社界の発展のために資金をためていたが、寄付を頂いた全国の神社にご迷惑をおかけし申し訳なく思っている」と話しています。

 

保守記事.469 弄ばれる宗教観


保守記事.274-23-3 モルダー、あなたは疲れているのよ

2018-03-17 12:28:45 | 記事保守

米軍機が遭遇した未確認飛行物体、新たな映像公開

2018.03.13 Tue posted at 14:22 JST

ワシントン(CNN) 米軍の戦闘機が遭遇した未確認飛行物体(UFO)とされる新たな映像が、このほど研究団体によって公開された。米国防総省は昨年、過去にUFO研究のためのプロジェクトが存在していたことを認めている。

この映像は、国防総省のUFOプロジェクトを主導した元高官などでつくる団体が9日に公開した。同団体によると、映像は米軍の戦闘機「FA18スーパーホーネット」がとらえたもので、「高速飛行する未確認飛行物体」が映っているという。

国防総省はこの映像についてコメントを避けた。同団体によれば、情報公開法に基づいて請求すれば、誰にでも入手可能だという。

国防総省のUFO研究については、昨年、海軍のパイロットが未確認飛行物体に遭遇した際の映像2本が公開されていた。

国防総省のUFOプロジェクト責任者だったルイス・エリゾンド氏は12日、今回の映像について、国防総省がUFOに関する資料をもっと大量に保有していることがこれで裏付けられたと述べ、この問題について公に論議する必要性が一層強まったと指摘した。

同団体は「正規の手順」を経て映像を入手し、国防総省も公開を認めたと説明している。

昨年公表された2本と今回の映像は、米軍機の位置やパイロットの存在、物体の形状といった特徴が「不気味なほど似ている」とエリゾンド氏は指摘。宇宙から来た物体とは限らないが、あらゆる可能性を排除できないと述べ、たとえ外国の航空機だったとしても警戒が必要だと話している。

航空機に詳しい専門家のデービッド・スーシー氏は、映像に映った物体に放熱の形跡がないことには特に驚いたといい、「私の中では説明がつかない」と語った。

 

Go Fast: Official USG Footage of UAP for Public Release

 

保守記事.274-23 な、なんだって!

保守記事.274-23-2 な、なんだって!


保守記事.391-5-7 無かったことにするのでなく、乗り越える

2018-03-12 16:09:03 | 記事保守

福島原発事故「消えた避難者3万人」はどこへ行ってしまったのか 3・11後の「言ってはいけない真実」

3.11から丸7年。避難指示解除が進んだ福島第一原子力発電所近隣地域で進む恐るべき事態とは?  見せかけの「復興」が叫ばれる一方、実際の街からは、人が消えている。 メディアが報じない「不都合な真実」を、新聞協会賞三度受賞の若手女性ジャーナリストで、『地図から消される街』の著者・青木美希氏が描いた。

「帰らない」ではなく「帰れない」

福島第一原子力発電所事故のため、原発隣接地区では大小数百の集落が時を止めた。

2017年春には6年にわたった避難指示が4町村で解除された。3月31日に福島県双葉郡浪江町、伊達郡川俣町、相馬郡飯舘村、4月1日に双葉郡富岡町で、対象は帰還困難区域外で計3万1501人。

だが帰還した人は、解除後10ヵ月経った18年1月31日、2月1日時点で1364人(転入者を除く)と4.3%にとどまる。

いま現地で何が起きているのか、人々はどうしているのか。

 

2017年11月中旬、筆者は浪江町の中心街を訪れた。風が強くて寒い。海側の建物が津波で根こそぎ失われたため、風がより強くなったといわれている。

福島の地方経済を支える東邦銀行浪江支店の旧店舗が静かにたたずんでいる。本屋や酒屋だった店舗の軒先には雨をしのぐ青いテントが破れて垂れ下がり、何の店だかわからなくなっている。「撤去作業中」という青いのぼり旗も立つ。更地になっている場所も目立った。

この中心街の一角に、以前、救助活動の取材でお世話になった消防団の高野仁久さん(56)の看板店がある。

高野さんには、4月に自宅兼店舗を見せてもらっていた。静まりかえった街で、店も息をひそめているかのようだった。店舗奥の玄関の戸を横にガラガラと開ける。土とほこりのにおいがする。床に散らばる箱や食器……。床が見えないほどだ。ところどころが黒い。土も見える。居間の日めくりカレンダーは、2011年3月11日のままだ。

「……ここ、津波には遭っていないところですよね?」

頭ではわかっていても、思わず口に出た。それぐらい、ぐちゃぐちゃだったのだ。

「みんな動物のせいだ。ほれ」

高野さんが指をさす。居間の床や床に落ちたノートの上に、黒々とした固まりが載っている。土かと思ったのは、動物の糞が山積みになっているものだった。

「あそこから出入りしてると思うんだけど。ハクビシンだと思う」

居間の奥の壁が破られており、穴が空いている。ここから動物が出入りしているため、居間が土だらけなのだ。「もう帰れない。壊すしかないよ」と言いながら、高野さんの太い眉毛の下の目は、じっと家の中を見つめていた。

帰還できない人たちに対し、「ふるさとを捨てる」「勝手に避難している」と非難する声を、霞が関をはじめ東京都内でも福島県内でも聞く。一方で、帰れない人が大勢いるという現実はすっかり報道されなくなった。高野さんは言う。

「子どもたちは放射線量が高いからと帰ってこない。自分一人でも帰ってこようかとも思ったけれども、誰も帰ってこないのに、どうやって看板屋をやればいい?この街で誰か商売をするか?誰が看板を必要とする?お客がいないと誰も商売が成り立たない。子どもたちを食べさせていけない。

2017年に入って同級生が自殺していく。2人目だ。どうしていいかわからないからだ。看板の仕事も来るけれども、できる作業が限られているので外注せざるを得ない。おれもどうしたらいいのかわからない」

浪江町中心街の商店会で元の場所で再開しているのは、2018年1月時点で47事業者中、2業者だけだ。看板店の仕事は、以前は月30~40件だったが、いまは月1~2件しかない。町内の工場を閉鎖しているため、木製看板の彫刻しかできないからだ。東京電力の賠償が切れたら、貯金を食いつぶしていくしかない。

「これからどうしたらいいのか、寝るときに布団で考えて、答えが出なくて、考えているうちに朝になっている……」

高野さんはせつせつと語る。悲痛な叫びは世間に伝わらない。

時間が経てば忘れていいのか

高野仁久さんは、3月11日が近づくたび、落ち着かなくなるという。彼は浪江町の消防団幹部。あのとき、助けを求める人たちがおり、救助活動に行こうとしていた。

翌朝から捜索すると決まったが、中止になった。原発が危ないという情報が入り、避難することが決定されたのだ。ショックだった。

救助活動に当たっていた消防団員の後輩の渡辺潤也さん(36)も行方不明になっていた。渡辺さんは、「ジュンヤ」と下の名前で呼ばれ、慕われていた。理容師で、野球で活躍していた。家族は母と妻、中学生の長女と小学生の長男がいた。

以来、消防団は毎年3月11日に捜索を行っていた。だが、5年経った2016年3月11日で打ち切られることになった。団員は避難で全国に散らばっている。もう集まるのが難しい、という判断だった。

最後の捜索のニュースがテレビで流れた。ジュンヤさんの母親の昭子さんが「いままで5年間捜索してくれた気持ちに感謝したい」とテレビで語った。

それでいいのか。5年経てば解決するのか──。

 

2017年3月11日の捜索は、高野さんは自主的に参加した。ジュンヤさんのものを何か見つけて、親御さんに返してやりたいと思った、と言う。ジュンヤさんとは、年も離れているし分団も違う。1、2度、宴席で一緒になったぐらいだ。

しかし、一人の消防団員として、打ち切っていいのかという後ろめたさがあった。捜索に参加すれば、気持ちの中で自分を許せるのかな、と高野さんは思った。捜索に参加したのは50人ほどで役場職員が多い。高野さんは「これまででいちばん少ないな」と感じた。

請戸川や、津波が押し寄せた大平山の間を重点的に捜索した。

鍬や熊手で土を掘る。骨や身元確認につながるものがないか探す。6年の歳月が流れるうちに土をかぶってしまい、10センチ以上掘らないと何も出てこない。掘った土の間からプラスチックのかけらが出てくる。おもちゃのネックレスの一部だった。免許証、アルバムの写真。屋根のトタン。

作業することが高野さんなりの“誠意”だった。

海沿いでは護岸強化やがれき処理、焼却などの復興工事が行われており、重機が入っていて捜索ができない。人間の手でやるのはもう限界がある。本当はトラクターで土を掘り出し、ふるいにかけないと出てこないだろう。そんな思いとは裏腹に、復興工事が進む。

その影響もあって、不明者が見つからないのではないかと思う。

2018年3月、あの日がまたやってくる。参加するかどうか高野さんはまだ決めていない。

「毎年、3月11日が近づくと、じっとしていていいのかという思いが出てくる」

みんなバラバラになってしまった

ゼンリンの住宅地図を手に、再び浪江町の中心街を歩く。

この地図は2010年に発行されて以降はつくられていない。18年1月時点ではつくる予定もないとのことだった。見ると、東邦銀行など金融機関が並び、美容院や喫茶店、商店など約60店舗がひしめいている。

ところがいまは、建物が傾いたり、壁が倒れた廃屋が並ぶ。看板がもう読み取れないものもある。

 

地図をチェックしながら周囲の450メートルを歩く。約60店舗のうち、7割が廃屋状態、2割は更地になっていた。「建物解体中」の旗も立っていた。歩道にもあちこち草が生えている。通常営業しているのは、工事車両が出入りするガソリンスタンド2軒と美容室のあわせて3店舗だった。美容室は「OPEN」ののぼりが立っていたが、出入りする客を見かけることはなかった。

「いちばん賑やかだった通りです」と避難している人に紹介されて歩いたのだが、ここは名前を何というのだろう。聞こうにも誰も歩いていない。相変わらず遮さえぎるものがないために風が冷たい。

通りから200メートル離れた警察署に行き、パトカーの横にいる警察官たちに地図を示して聞いた。

「わからないなあ」

一人が、地図を持って周りの警察官に聞いてくれた。

「駅前通りじゃないの?あそこ、十日市とかやってたから」

十日市という行事があったのを知っているということは、地元を知る警察官のようだ。しかし、「駅前」というと、一般的には駅前から延びている通りを指すと思うが、地図で示した通りは駅前を通らず、線路と平行に走っている。違うかもしれない。

通り沿いにある「ホテルなみえ」のフロントに行った。このホテルは、もともとは中心街のホテルとして屋上ビアガーデンや宴会でも使われ、賑わっていたが、いまは町民が一泊2000円で宿泊できるようになっている。男性がいた。

「この前の通りって、なんていう名前ですかね」

「さあ、わからないね……。もともとここに勤めていないから」

仕方なく、翌日、福島県二本松市に移転している浪江町商工会に電話をして、「この通りの名前と商店会の名前を教えてください」とお願いし、地図をメールした。5時間後に回答があった。

「シンマチ商店会通りです。新しい町、と書きます。新町商店会通りです」

しんまち。新町商店会。通りのバス停に「新町」と書いてあったのを思い起こした。駅前通りではなかったのだ。急に、あの商店会が色彩を持ったように感じた。美容室は白地に緑色の看板、ガソリンスタンドは黄色い屋根だった。ホテルは薄い緑色の壁。

インターネットで「新町商店会」を調べると、いくつかホームページが出てきた。浪江の中心街として、夏は盆踊り、秋には十日市という屋台が並ぶイベントを開催していたと載っていた。

中心街の名前すら、現地ではもうわからない。近所の人の消息が4年もわからない。街が名前をなくす現実を目の当たりにした。

前出の高野仁久さんに聞いたところ、「新町ね。権現堂地区の者じゃないとわからないだろうねえ。みんな全国に散らばってるからね」と話した。

新町商店会の仲間とともに二本松市で活動しているまちづくりNPO新町なみえの神長倉豊隆理事長に話を聞いた。

「私が商店会で経営していた花屋も取り壊す予定です。戻る人がほとんどいない。町内の自宅のある地区に戻って、そこで花の生産をやろうと思っています」

神長倉さんは、「廃炉作業には30年以上かかる。ゆっくりと町民が安全を確認しながら帰還してもいいのでは」と町外コミュニティ(仮のまち)をつくろうと呼びかけてきた一人だ。

「結局、浪江町長の協力が得られずだめだった。外に街をつくると浪江に帰る人が少なくなるということかと思う。国がもともと帰す方針だったので、帰るのが望ましく、外に街をつくるのは認めたくなかったというのがあるのかと。チェルノブイリではできたのに、福島ではできなかった」と落胆する。

ともに町外コミュニティを目指していた浪江町商工会の原田雄一会長は、「福島市長に要請に行ったときは、市長が『福島市浪江区にしてもいい』とまで言ってくれたのに」と悔やむ。

なぜ馬場町長は消極的で、結果的に頓挫したのか。雑誌の取材に対し興味深い発言をしている。

「(町外コミュニティのために復興特区にする)計画を国にどうしても認めてもらえなかった」と漏らし、強引に突破をはかれば、「復興予算のしめつけがあるかもしれない」と述べているのだ。

経緯を確かめようと、2018年2月、町秘書係に馬場町長への取材を申し込んだが、3ヵ月前から福島市の病院に入院しているため取材を受けられないとのことだった。役場内に発言の背景を知る職員は見つからなかった。

原田さんは嘆く。

「復興政策はうまくいっていない。みんなバラバラになってしまった。帰る人に手厚く、帰らない人の支援を打ち切るということでは心も離れ、浪江がなくなってしまう……」

「明るいコト」しか報道されない

「報道は、復興が進んでいるという面ばかり積極的に伝える」と、県内に住む人に言われることがある。たとえば「復興の象徴」として、避難指示解除から1週間ほど経った2017年4月8日、安倍晋三首相が浪江町の仮設店舗を訪れた。スーツ姿や法被姿の人たちが出迎え、このときの模様は明るいニュースとして大きく報じられた。

東京では、いまや事故のことが口に出されることが少なくなり、いつも通りの生活が営まれている。

現実はどうか。浪江町で避難指示解除された人は1万5191人。帰還した人は解除の10ヵ月後でも311人と2%にすぎない。その3分の1が町職員だ。

人は辛いことを忘れようとする。誰かが苦しんでいる姿は、見たくないかもしれない。

けれど福島第一原発から約30キロの南相馬市に行くと、僧侶や市議、会社員たちから口々に、「現状を伝えてほしい」と求められる。

「政府はすべて収束したとしている。とんでもない」

「解除されても70歳以下は誰も戻ってない」

その訴えは切実なものばかりだ。

打ち切られていく「避難者支援」

2017年の住宅支援打ち切りで起こったのは、避難者の名目の数の大幅減少だった。

復興庁は、避難者数を各都道府県から聞いて取りまとめているが、避難者の定義を定めなかった。このため、避難者の数え方が各自治体で異なる。福島県では、復興公営住宅に入った人や住宅提供が打ち切られた人は避難者から除かれた。

そのため、自主避難者の住宅提供打ち切りを機に、避難者数は全国で2017年3月から7月の4ヵ月間で約3万人減り、8万9751人とされた。こうして「避難者」という存在は数字上、消えていく。

「自分たちは避難しているのに、勝手に数から除外されるのはおかしい」

「数をきちんと把握せずして、国はどのように避難者支援政策をするというのか」

当事者や大学教授らからは疑問の声が上がっている。福島県庁に聞くと、県職員は「避難者として数えられていないからといって支援が届かないということはない」と言う。一方で県は、総合計画「ふくしま新生プラン」で、避難地域の再生として「2020年度に県内外の避難者ゼロ」の目標を掲げている。

東京・多摩地域のあきる野市では、住宅支援打ち切り後、自ら避難者登録を取り下げた避難者の母子家庭の母親がいた。理由は明かさなかったという。地元市議は「もう避難者であることのメリットもないし、知られたくないということではないでしょうか」と語った。

「打ち切られると経済的に暮らしていけないので、戻ります」と福島県に帰り、避難をあきらめた母子からも話を聞いた。

ある40代の母親は、福島市に戻っても不安で、子どもは県外で保育を行う保育園に通わせている。民間の「保養事業」にも積極的に参加し、東京都町田市などで夏休みを過ごすが、「保養の申し込みの倍率がすごく高くてたいへんです。戻ってきた母親が同じように不安を抱えているのでは」と話す。

この保養も寄付金減のため縮小傾向にある。子ども・被災者支援法は「国は自然体験活動等を通じた心身の健康の保持に関する施策を講ずる」と定めており、国が保養を実施してほしいという要望書や署名が出されている。

旧知の官僚幹部に見解を尋ねた。

「いつまでも甘えていると、人間がダメになる。パチンコや酒浸けになって何もいいことがない」

健康影響が心配な人たちがいるんだと言うと、断言した。

「将来、集団訴訟が起きて、国が負けたら、何か法制度をつくって救済するということになるでしょう。水俣病と一緒ですよ」

 

原発事故はまだ、終わっていない。

急速に忘れ去る世間の無関心をいいことに、支援は打ち切られていく。とくに、避難指示区域外から避難してきた人たちは「自主避難者」と呼ばれ、本人たちは支援を必要としているのに、福島県や神奈川県などは避難者数から除外してきた。避難者がいるのに、いなかったことになっていく。それが帰還政策の現実だ。

2017年3月末には双葉郡の高校5校が休校した。避難指示区域になった福島県立双葉翔陽高校(大熊町)のほか、双葉高校、富岡高校、浪江高校と浪江高校津島校だ。それぞれ避難先で授業を続けていた。再開の見通しは立っていない。

浪江町内では、浪江東中学校を改修した小中学校の整備工事が行われ、2018年4月に開校する予定だが、17年6月の子育て世帯への意向調査では、町内で小中学校を再開しても、96%が子どもを通学させる考えがないと答えている。

同年11月現在でも、通う意向がある子どもは小学生5人、中学生2人に留まる。3階建てのぴかぴかの学校。ここに実際にどれぐらいの子どもたちが通うようになるかはわからない。

2014年4月1日に、事故後最初に大規模な政府の避難指示が解除された田村市では、原発から30キロ圏外にある廃校に一時移転し、授業を行っていた岩井沢小学校が元の校舎に戻った。しかし多くの児童たちが戻らず、児童数は3分の1に。17年3月に統廃合で閉校となり、140年の歴史に幕を閉じた。浪江町でも同様の結果にならない保証はない。

原発事故はまだ、終わっていない。

それどころか、支援が打ち切られる中で、変わり果てた故郷に戻るかどうか、「自己責任」でそれぞれが判断することになり、さらに混迷を深めている。

椎名誠さんの妻で、作家の渡辺一枝さんは、いまも現地に通い続けている。

「元気なように報道されているけれども、実際は違うと思います。避難者の方々はどうしたらいいか、悩んでいる。いまでもよく電話が来ます。必要なのは『私たちが忘れないこと』だと思います」

 

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2018-03-12 12:09:11 | 記事保守

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保守記事.91-96 ローマ化する?アノ国

2018-03-09 18:22:59 | 記事保守

中国、2030年には「世界最大のキリスト教国」に?



パデュー大学で社会学を研究するフェンガン・ヤン(楊鳳岡)教授は、中国のキリスト教信者数は将来アメリカを抜き、世界最大のキリスト教人口を抱える国になると推測している。

ヤン教授は、イギリス紙・テレグラフの記事でこう述べている。

「私の推計では、中国は非常に近い将来、世界最大のキリスト教国になると予測されます。そうなるまでに1世代もかからないでしょう」

ピュー研究所の調査報告によると、中国国内には2010年の時点で約6700万人のキリスト教信者がいたという。これは、中国全人口の5%にあたる。

同じ報告によると、同年のアメリカでは人口の79%がキリスト教徒であり、同国内の教徒数は約2億4700万人(世界のキリスト教徒全体の11%)だ(ブラジルは1億7500万人、メキシコは1億人)。一方、アメリカの現在の人口は約3億1800万人。公式に発表されている中国の人口は、2014年現在、台湾・香港・マカオまで含めるとおよそ14億人にのぼる。

『Religion in China:Survival and Revival under Communist Rule』(中国の宗教:共産党支配下における存続と復活)などの著作があるヤン教授は、アメリカのキリスト教人口が減少する傾向にある一方で、中国のキリスト教人口は、2025年までに1億6000万人、2030年までには2億4700万人に拡大し、アメリカを抜いて世界最多のキリスト教徒を抱える国になると予測している。

しかし、中国におけるキリスト教人口の拡大は、中国政府の影響を受けないわけではない(中国では、政府が認可した宗教機関、施設でなければ、宗教活動を行うことは許されない。教会内には監視カメラが設置されるなど、活動は検閲されている。ピュー研究所の2010年の調査によると、共産党が認めない中国国内のキリスト教徒は約3500万人にのぼるという)。

前述のテレグラフの記事によると、中国では現在、非常に多数のプロテスタント教徒たちが、違法な「民家の教会」で、隠れて礼拝を行っているという。キリスト教徒支援組織「Open Doors」が毎年発行している、キリスト教迫害の深刻度の国別ランキング「World Watch List」では、中国の迫害度は37位とされている。

中国浙江省の温州市では、2014年4月はじめ、教会が政府から建物の強制撤去を命じられたために(十字架が目立ち過ぎる違法建築とされた)、信者たちが教会を取り囲み、「人間の盾」をつくって抵抗する事件が起きた(同市は中国最大のキリスト教徒コミュニティを抱えており、700万人の都市人口のうち15%が教会に通っているという)。

[Antonia Blumberg(English) 日本語版:丸山佳伸、合原弘子/ガリレオ]

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保守記事.101-225 この国の現状

2018-03-09 18:16:28 | 記事保守

糸魚川乳児殺害の裁判員裁判 女に実刑判決

2018.02.27

2014年、糸魚川市で出産したばかりの子どもを殺害し、遺体を遺棄した女の裁判員裁判で、新潟地裁は懲役4年の実刑判決を言い渡しました。判決によりますと、愛知県半田市の無職中村一美被告は、2014年7月、母親の再婚相手の男との間にできた生まれたばかりの子どもを殺害し、遺体をビニールに入れて捨てたほか、2003年に生まれた別の子どもも殺害していました。きょうの判決公判で新潟地裁の山崎威裁判長は「再婚相手の男からの性的虐待が犯行動機になったことは同情できる」としながらも、「2人の子どもの生命が奪われた結果は重大」と罪の重さを認定。また、「被告の自首が執行猶予を付ける事情にはならない」として、懲役4年の実刑判決を言い渡しました。中村被告の弁護人は、控訴を検討するとしています。

 

望まない妊娠で乳児を2度殺害 「お母さんにばらすぞ」と義父に追い込まれ

2018.3.7 13:00

 13歳のときから義父による性的虐待を受け続け、産んだ赤ちゃんに手をかけるまで追い込まれた…。新潟地裁で2月27日に開かれた裁判員裁判の判決公判。殺人と死体遺棄の罪に問われた乳児の母で愛知県半田市の無職、中村一美被告(30)に懲役4年(求刑同6年)の実刑判決が言い渡された。裁判長は「体に気をつけて務めを果たし、2人の子供の供養をしてほしい」と声を掛けた。

 2月21日、被告人質問が行われた同地裁。中村被告は黒のスーツの上下に髪を後ろで1つに束ね、うつむき加減で法廷に姿を現した。入廷の際、一瞬だけ天井に目をやってから唇をギュッとかみしめた。

母の再婚…

 中村被告は昭和62年生まれで、離婚した母親と一緒に新潟県糸魚川市に移り住んだ。母親は飲食店で働き、機嫌が悪いときは、「ガラスの大きい灰皿やコップを私に向かって投げた」(中村被告)。安らげる幸せな家庭ではなかった。

 中村被告は幼い頃に児童養護施設に預けられたものの、7歳で施設を出て再び、母親と2人暮らしを始めた。その後、母親が義理の父となる中村栄志被告(67)=殺人と死体遺棄の罪で昨年4月に起訴=と再婚。母親の再婚について、法廷で一美被告は「本心では嫌だと思った。だけど、『いい』と答えるしかなかった」と振り返った。

 13歳のときに義父から性的虐待を受け、その後も虐待は続いた。「こういう関係は普通じゃない」と思い、一美被告は虐待をやめるように訴えた。だが、義父の栄志被告は当時、こう言い放ったという。「このことをお母さんにばらすぞ。やっとつかんだお母さんの幸せを、お前はつぶすのか?」

 義父は避妊具を使うことはほとんどなく、やがて一美被告は妊娠する。妊娠したと告げた際、栄志被告の反応は「おー、そうか」というものだった。出産が近づく一美被告に義父が投げかけた言葉も、信じがたいものだった。「(俺は)仕事があるから…。まあ頑張れよ」

 平成15年5月上旬ごろ、義父との関係を母親に知られることを恐れた一美被告は、出産したばかりの赤ちゃんの首をビニールひもで絞めるなどして殺害した。一美被告は当時、15歳だった。

 仕事から帰り、赤ちゃんを殺したと聞いた栄志被告は「殺したのか。まあ、仕方ないよな」とつぶやいたという。栄志被告は、殺された赤ちゃんの遺棄に関わったとされる。

 一美被告は、性的虐待をやめるよう再び訴えた。しかし、栄志被告は「それはできない。お前は俺の中では(娘ではなく)女だから」と認めなかった。

第2の殺害

 赤ちゃんを殺害した後も一美被告は何度も妊娠し、中絶を繰り返した。栄志被告と娘の関係を知った母親は、徐々にアルコールに溺れていったという。

 26年1月、一美被告は産婦人科を訪れ、妊娠していると告げられた。だが、中絶手術に支払うお金が手元になく、栄志被告にも費用の工面を断られてしまう。同年7月、出産した乳児を再び殺害した。「泣く前にやってしまえ」という栄志被告の言葉も、背中を押したという。乳児の遺体は2人でポリ袋に入れ、栄志被告が遺棄したとされる。

 中絶費用の工面を、他の人になぜ頼まなかったのか-。検察側の問いに、一美被告は「私自身、諦めてしまった。赤ちゃんの命を軽はずみに扱ってしまった」。そうポツリと答えた。

 その後、一美被告は会員制交流サイト(SNS)で知り合った愛知県の女性に家を出たいと相談し、28年2月に女性の自宅に身を寄せた。女性の子供たちと触れあううちに、良心の呵責(かしゃく)に耐えられなくなり、乳児を殺害したと女性に告白。そして警察に自首した。

情状酌量されず

 判決公判の日、やや伏し目がちに入廷した一美被告は口を固く結んで着席し、裁判官らが入廷すると深々と頭を下げた。山崎威裁判長は、懲役4年とする主文を読み上げた。情状酌量を促し、弁護側が求めた執行猶予は付かなかった。

 量刑の理由について裁判長は、一美被告が2人目の乳児殺害時に成人していたことを指摘し、義父に性的虐待を受けてきたことや自首したことを考慮しても、「2件の殺人事件があるので実刑を選択するほかない」とした。

 裁判長は、最初の殺害については、「心身ともに未熟な被告人が性交渉を拒むのは困難で、望まない妊娠に至ったいきさつに責任はない」と断定。「実母に恐怖や負い目を感じ、周囲に相談することが困難な状況で殺害に至ったいきさつや動機は十分に同情できる」とした。

 しかし、2人目の殺害については、「被告人は当時すでに成人しており、手段を尽くして殺害を避けるべきだった」とした。

 裁判長に「意味は分かりましたか」と問われると、一美被告は「はい」と小さく答え、静かに法廷を後にした。

 今後、同じ罪に問われた義父の栄志被告の裁判が行われる。被告は法廷で、自らの行為をどう語るのだろうか-。

 (新潟支局 太田泰)

 

新潟・父娘乳児殺人事件、父と娘「恋人気取り」の密着ぶり

週刊女性2016年5月24日号

 2014年夏ごろ、新潟県糸魚川市。住宅の2階寝室で、事件は起きた。娘が自宅で出産した乳児を刃物で殺害し、翌日、父親がどこかに遺体を遺棄。

 新潟県警は4月25日、殺人・死体遺棄の疑いでアルバイト作業員の中村栄志容疑者(65)を、殺人容疑で義理の娘の中村一美容疑者(28)を逮捕した。一美容疑者が2月、転居先近くの愛知県警半田署に出頭したことで発覚した。

 捜査関係者によると、栄志容疑者は容疑を否認。一方、一美容疑者はおおむね容疑を認め、性的関係があったことも認めているという。一美容疑者からみて栄志容疑者は、母親の再婚相手。

「まるで恋人気取りよ、腕を組んで歩いたり。どこに出かけるにも栄志と一緒でね」

 父と娘の密着ぶりを証言するのは近隣住民だ。一美容疑者と母親の様子は、

「足が不自由なお母さんが車イスに乗っているから、お母さんの車イスを押しながら散歩したりするのは見たね」

 母親の再婚相手と、男と女の関係になってしまう獣道に、いつから2人は足を踏み入れてしまったのか。

「現在捜査中ですが、未成年のころから関係があったとみています。強姦のように無理やり暴力をふるって関係をもったわけではないようです」(捜査関係者)

 近所の住民は、栄志容疑者の人柄についてこう話す。

「男気があって大酒飲み、山菜とりも魚とりも、とってもうまい。本当に器用な人で、頼りがいがあるっていうか」

 反面、こんな声も聞かれた。

「自分勝手で生意気な部分もあったよね。仕事も続かないで転々としていたみたいだし」

 それでも母にとっては頼れる再婚相手、娘には頼もしい男性に映ったのかも。一美容疑者は中学卒業後、地元のスーパーや宿泊施設で働いたこともあったという。

「どんな仕事もやってくれて、まじめで素直ないい子でした」(宿泊施設の元同僚)

 職場では評判のよかった一美容疑者だが、父娘ふたりが2階の寝室で、母親がひとりで1階で寝起きしていることまでは、知られていなかった。

「奥さんもね、生活ベースで栄志や一美ちゃんに頼らないといけなくなって、何も言えなかったのかもしれないね。引け目があったんだと思うよ。奥さんがああなったら栄志もやっぱり男だから、娘のほうに目が向いちゃったのかもしれないね」(近所の主婦)

 犯罪心理学に詳しい新潟青陵大学の碓井真史教授はこう語る。

「社会から隔絶された家庭では、母親の力が弱くなると、娘が母親役を演じるようになることも。今回の場合だと、妻が車イスで家事などができない。そうすると夫は、妻ではない娘が家事などをしてかいがいしく面倒を見てくれると、かわいく感じるようになる。父親も娘に対して妻を求めるようになる。そして最終的には性的な部分まで求めるようになっていくんです」

 夫と娘の怪しい関係を、1階の寝室でひとり寝する妻=母は、古い木造家屋がきしむ音に、耳をふさいでいたのか。

「父親が性的虐待を娘にしていることを知りながら、黙認している母親がいるケースは少なくありません」(碓井教授)

 そして、こう続ける。

「どうしても男をつなぎとめておきたい、そのためには娘に対する性的虐待も黙認するということです」

 一昨年の夏ごろ、父親の甚平を着て出歩く一美容疑者の姿を目撃した地域住民は、当時をこう振り返る。

「本当の親子ならわかるけど、みっともないからやめなさいって言ったの。今思えば、妊娠を隠すためだったのかな」

 しかし、わが子の殺害から1年半たった今年2月には、一美容疑者は糸魚川まで知人女性に迎えに来てもらい、愛知県へと移り住んでいた。産んだばかりの子どもを殺すように指示したとされる栄志容疑者。

 そのとき初めて一美容疑者は取り返しのつかない関係にハマってしまったことを悔やんだのではないだろうか。そんな父との別れを決意したのかもしれない。

 

https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1520461901/

 

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