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2015-07-31 16:26:42 | 記事保守

「生きる」、友の死に教わった 給食で亡くなった親友へ

貞国聖子

2015年7月23日05時06分

 中学2年の和佳夏(わかな)さん(13)は2年半前、幼なじみで親友の沙清(さきよ)ちゃんを亡くした。

 ロングヘアの前髪をピンで留めた、ちゃめっ気のある優しい女の子。沙清ちゃんが描いた絵を見せてもらうのが楽しみだった。いつも笑わせてくれ、けんかをしたことは一度もない。3人きょうだいの末っ子同士、気が合った。

 別れは、2012年12月20日。東京都調布市にある市立小学校の5年生だった。

 沙清ちゃんは乳製品に重いアレルギーがあり、給食は用意されたアレルギー対応食を食べる。対応食がない日は、母(53)が同じメニューを作ってくれた。グラタンやシチュー、パン……。帰宅した沙清ちゃんは「友達においしそうって言われたよ」とうれしそうに言った。

 あの日の給食には、チーズ入りのチヂミがあった。沙清ちゃんの分は、食べられないチーズが除かれた。みんなと違う黄色のトレーに置かれたのは、間違いを防ぐためだ。

 子どもたちには「不思議な味がする」と人気がなかった。和佳夏さんは4分の1を食べ、残りは友達に食べてもらった。

 チヂミが残ったので、担任がおかわりを募った。だが誰も手をあげない。しばらくして、沙清ちゃんが言った。

 「ほしいです」

 めったにおかわりをしないのに、何で? 和佳夏さんは不思議に思って尋ねた。

 すると、「完食記録に貢献したかったから」。さらりと返ってきた。「完食連続1カ月」「2カ月」。クラスで給食を残さないという目標を掲げ、カウントしていた。

 

 食べ終えて30分後、沙清ちゃんが不調を訴えた。呼吸が荒い。トイレに行ったきり戻ってこない。慌ただしく動く先生。教室で泣きじゃくる友達がいた。救急車のサイレンが近づく――。

 和佳夏さんも何が何だかわからない。「沙清ちゃんは大丈夫」と信じるしかなかった。だが帰宅後、亡くなったことを知る。どうしよう、どうしよう。混乱するだけだった。

 市の検証委員会の報告書によると、沙清ちゃんがおかわりをする際は、栄養士が作成した「おかわり表」を担任が確認するのがルール。チヂミにチーズが含まれ、おかわりをさせてはいけない×印があった。担任は確認を怠った。死因は「アレルギーで起きるアナフィラキシーショックの疑い」とされた。

 沙清ちゃんがいなくなった学校で、先生から「悲しいね」と声を掛けられるのが、和佳夏さんはたまらなく嫌だった。「沙清ちゃんのことをよく知らないのに言わないで」。悲しくて泣いた。派遣された相談員に問いかけられても話す気になれず、無表情で短く応じた。

 沙清ちゃんの思い出の歌を歌おうとしたら、先生から「みんなが思い出しちゃうかもしれない」と控えるよう言われた。「思い出しちゃ駄目なの? 悲しいだけじゃない。楽しい思い出だってたくさんあるのに」

 先生たちが、自分たちのことを気遣っているのは理解できる。でも、逆に傷ついた。忘れたくないのに――。

 クラスのみんなで劇をしても、合唱をしても、涙があふれた。「沙清ちゃんがここにいたらどうだっただろう」

 翌年の新盆、沙清ちゃん宅を訪ねたとき、母親同士が「どうしておかわりをしたんだろう」と話すのを聞き、ハッとした。「そうだ、まだ言ってなかった」。泣きながら、「あの日」のことを初めて説明した。

 沙清ちゃんの母はおかわりをした理由がわからずに苦しんでいたが、納得できた。「使命感の強い沙清らしい」と。

 沙清ちゃんは、科学者になってアレルギーの子どもを助ける研究をするのが夢だった。亡くなる数カ月前には「何かあったら、臓器提供してね」と頼んで母を困らせた。すると、「それで助かる命があるなら、そのほうがずっといいじゃない」と真顔で言った。

 周りの子が「あの子嫌だよね」と言ってきても応じない。悪口を言った子のことも気遣い、「そうかなぁ」とだけ言って話題を変えた。人はみんな、「ちょっと違う」ことをよく知っていた。

 「わたしは みんなと ちょっとちがう ちょっと しっぽが みじかいし ちょっと ひげが ながい でも ママが 『それでいいのよ』 っていってたの」。沙清ちゃんは4年生のとき、「ちょっとちがう」と題した詩を書いている。

 沙清ちゃんを亡くした後、和佳夏さんは、1人でいると混乱したが、友達や家族と沙清ちゃんの話をすることで死を受け止められるようになった。

 「沙清ちゃんは一生懸命に生きることを教えてくれた。いまもアレルギーの対策を訴えて、頑張っている気がする。これからも沙清ちゃんの思いを胸に、生きていきたい」(貞国聖子)

■大人は信じて待つこと大切

 喪失体験をすると、体に異変をきたしたり感情が動かなくなったりすることがある。臨床心理士の早稲田大学本田恵子教授(55)は、大切な人を亡くした子どもたちへ「自分の心の声、体の声を聞いてあげて」と語りかける。

 ただ、苦しさを伴うので、一緒に作業をする人を見つけてほしいという。専門知識を持つカウンセラー、児童精神科医や、心に寄り添ってくれる信頼できる人がいい。

 大人はどう接すればいいか。

 「わかっていないのに、わかるよ、という偽りの受け入れをしない。あなたのことをわかりたいから教えて、と寄り添うことが大切」。「忘れなさい」は逆効果だ。子どもたちは大切な人のことを忘れたくない。

 また、聞きすぎても聞かなすぎてもいけない。

 「大変だったね」「悲しかったね」と投げ掛けるだけでは、子どもの感情をかき乱すだけで、さらに傷つけてしまう。亡くなった人の話題を不自然に避けるのもよくない。

 子どもが自然な気持ちで「喪の作業」ができるよう、これまでと同じように普通に接するのがいいという。「あなたはどうしたい?」と語り掛け、返事を待つ。「子どもは答えを必ず出す。大人は信じて待ち、子どもがやってほしいことをしてあげて」と話している。

     ◇

 〈食物アレルギー〉 文部科学省の2013年の調査によると、食物アレルギーがある小学生は4・5%。うち、じんましんや呼吸困難など複数の症状が急激に出るアナフィラキシーを起こしたことがある児童は0・6%だった。文科省は沙清ちゃんの死亡を受け、再発防止策を検討。今年3月、調理作業や教室での対応などを具体的に示した新たな指針を作った。


保守記事.101-143-4 きょうのウッカリさん

2015-07-31 11:32:01 | 記事保守

警官、容疑者宅に捜査資料忘れる 親族間LINEに画像

2015年7月31日05時20分

 岐阜県警が連続強盗事件で逮捕した容疑者の自宅を7月上旬に家宅捜索した際、機動捜査隊に所属する30代の男性巡査長が、捜査に関連する書類一式を現場に置き忘れていたことが30日、朝日新聞の取材でわかった。容疑者の親族がこの書類を見つけて写真撮影し、ほかの親族に知らせていたという。県警は巡査長の処分を検討している。

 捜査関係者によると、県警は連続強盗事件を捜査しており、容疑者の逮捕を受けて愛知県一宮市にある自宅を家宅捜索していた。巡査長は応援の捜査員として現場に派遣され、7月上旬に行われた家宅捜索に加わっていたという。

 7月中旬になって別の捜査員が、共犯で逮捕された別の容疑者の親族から事情聴取したところ、県警内部でしか知り得ない情報を知っていたという。そのため、不審に思った捜査員が問いただしたところ、置き忘れがあった容疑者の親族から無料通信アプリ「LINE(ライン)」を通じ、捜査資料を撮影した写真数枚を受け取っていたことが判明したという。書類には捜査員の名前などが記載してあった。両容疑者の親族は知人同士だった。

 県警によると、捜査資料の写真は親族同士でしかやり取りされておらず、外部への情報漏洩(ろうえい)は確認されていないという。県警は取材に対し、「捜査に影響はなく、故意ではなかった」と説明している。

 

実弾入り拳銃、警官が置き忘れ 店のトイレに

2015年6月6日13時49分

 福島県警は6日、機動捜査隊の男性巡査長(29)が捜査中、実弾5発入りの拳銃を福島県郡山市のリサイクル店内に一時、置き忘れたと発表した。店の警備員が見つけて通報した。

 機動捜査隊によると、巡査長は捜査中だった5日午後9時すぎ、リサイクル店のトイレを利用した。その際、拳銃の入った肩掛け式装具を外し、そのまま巡回に出たという。約1時間後、営業中の店内を見回っていた警備員が発見し通報。巡査長は店からの通報を受けて置き忘れに気づいたという。

 機動捜査隊長は「誠に遺憾であり、職員に対する指導を徹底し、再発防止に努めます」とするコメントを発表した。


保守記事.391-5-4 結局、真実は?

2015-07-22 10:43:44 | 記事保守

福島原発、津波予測は「可能だった」 元政府調査委メンバー証言

2015年 07月 21日 19:45 JST

[福島市 21日 ロイター] - 東京電力(9501.T)福島第1原発事故をめぐって福島県の住民らが国と東電に損害賠償を求めている訴訟の第13回口頭弁論が21日、福島地裁(金澤秀樹裁判長)で開かれた。

原告側証人として出廷した都司嘉宣・元東大地震研究所准教授は、福島第1に到来しうる津波の浸水高について、事故の9年前には「(シミュレーションは)可能だった」と述べ、事前の対策は実施できたとの見解を示した。

同訴訟は約4000人の原告が参加しており、福島原発事故関連では最大規模。原告側は事故原因となった大津波襲来が予想可能だったとして、国と東電の過失の有無を争点に、放射線量レベルを原発事故以前に戻すこと、できない場合に1人当たり月5万円の慰謝料の支払いなどを求めている。

被告の国・東電側は福島第1原発への大津波は予想できなかったと主張している。

都司氏は、国の「地震調査研究推進本部地震調査委員会」が2002年7月に「三陸沖から房総沖にかけての地震活動の長期評価」を策定した際、委員として参加した。

同評価では「三陸沖北部から房総沖の日本海溝寄り」の海域でマグニチュード8.2前後の「津波地震」(揺れに比べて津波の規模が大きな地震)が起きるなどと予想している。

口頭弁論で裁判官が「福島第1原発に到来し得る津波の浸水高のシミュレーショは、2002年の長期評価が出た直後に可能だったか」と質問したところ、都司氏は「可能だった」と述べた。

さらに、「事故以前に福島第1原発の敷地の高さを越える津波を伴う地震発生を予見できたという考えか」との被告代理人からの質問に対し、都司氏は「そうだ」と答えた。

保守記事.391-5 許されざるもの

保守記事.391-5-2 早めの処置を怠ったばかりに

保守記事.391-5-3 結局、どれが真実?


保守記事.101-190 この国現状

2015-07-17 15:47:25 | 記事保守

大分・放火子ども4人焼死 ビッグダディ自衛官壊した「人事異動」と「心の病」〈週刊朝日〉

dot. 7月15日(水)7時6分配信

 大分県杵築(きつき)市で7月6日未明、木造2階建ての民家が全焼して子ども4人が亡くなった事件で、7月10日、杵築市内の斎場でひっそりと犠牲者の葬儀が営まれた。

 参列者は親族と思われる十数人のみ。傘で顔を隠すなど強固にガード。斎場の入り口には視界をふさぐようにバスが横づけにされ、中の様子をうかがうことはできなかった。

 親族らに直撃しても「お控えください。何も話せません」と言うばかり。それも無理はない。現住建造物等放火の容疑で逮捕されたのは、子どもの父親である海上自衛官の末棟(すえむね)憲一郎容疑者(40)だったのだ。

 火災の現場を目撃した近所の住人がこう語る。

「深夜、末棟さんのお父さんとお母さんの怒鳴り声が聞こえて、その後、バン、バンと大きな音がしたので外を見たら、家が燃えていた。お父さんは2階に向 かって『飛び降りろ!』『はよ起きろ!』と叫び、『うおぉぉぉ!』『俺が悪かったんだ!』と、半狂乱になって自宅前でふさぎ込んでいた。お母さんはバケツ の水をかぶって中に飛び込もうとして、消防隊に制止されていました」

 焼け跡から見つかった遺体は末棟容疑者の長女(14)、四男(9)、次女(7)、五男(5)のものと確認された。末棟容疑者は取り調べに「自宅に油をま いて火をつけた」と認め、動機は「家を出る際に妻が見送りに出てこなかった」「(妻に)かまってほしかった」などと語っているという。

 4年ほど前に引っ越してきたという一家は、末棟容疑者と40代の妻、息子5人、娘3人の10人。「ビッグダディ」のような大家族として有名だった。

 一家は近所の畑を借り受け、トウモロコシなどを栽培していた。土日は一家そろって畑仕事をする姿がよく見られたという。一家の知人の主婦がこう語る。

「自宅から出るときも、畑から戻るときも『よし、並べ!』と子どもたちを年齢順に並ばせていた。お父さんが『帰るぞ!』と声をかけると、『はい!』と大き な声で返事をして、軍隊みたいに統制がとれていた。夏場はよく自宅の庭でバーベキューをして、にぎやかな笑い声が聞こえていた」

 妻も元自衛官で、二人は恋愛結婚だったという。ただ、規律を重んじる生活は時に摩擦も生んでいたようだ。一家とよく顔を合わせたという男性がこう語る。

「奥さんは年下の夫を立てて、買い物するにも畑を始めるにもこまめに相談していた。ただ、家からはよく怒鳴り声が聞こえた。日曜日や夏休みでも朝7時前から『早く起きろ!』『いつまで寝ているんだ!』という強い口調の声が外まで鳴り響いていた」

 いったい何が、末棟容疑者を犯行に駆り立てたのだろうか。自衛隊内での末棟容疑者は、真面目で部下思いな性格だったという。階級は1尉で、中間管理職のような立場だった。海自の同僚がこう語る。

「上司から言われて部下を注意するが、マジメすぎて、言ったことを部下ができないと我を忘れるようにカッとなって、長時間きつく怒ってしまう。それがパワ ハラだと、問題になったと聞いています。上司との板挟みになり、自分でもどう部下を指導すればいいかわからないと悩み、それで病院に通い始めたそうです」

 今年3月には山口県下関市の小月航空基地から、広島県江田島市の第31航空群標的機整備隊に異動。単身赴任で、土日に車で長時間かけて広島と大分を往復する生活だった。

 このころから、近所の住人も、一家の様子に“異変”を感じ始めていた。末棟容疑者が子どもたちを通わせていた柔道教室の関係者が、こう明かす。

「4月くらいに、お母さんが子どもたちの送り迎えのときに何度か『パパが心の病やけん、大変です』と言っていた。明るいお母さんだからあまり深刻さを見せなかったけど、ふと漏らしたような感じでした」

 3月の異動がきっかけで、末棟容疑者の心はよりいっそう、むしばまれてしまったという見方もある。前出の同僚は、このように語る。

「しばらく休んではどうかという声もあったが、責任感が強いので休めない。広島ではあまり仕事のない部署に配属されたらしく、『心の病のせいでこんな部署 に追いやられて、余計につらい』と、不満を漏らしていた。奥さんは一緒に病院に行ったり、愚痴を聞いたりと頑張って支えていたようですが、キレたら手がつ けられない性格が、何かのきっかけであの夜も出てしまったのではないか」

 事件当日も畑から夫婦が仲良く自宅に戻る姿が目撃されていたが、悲劇は突然、起きてしまった。

 末棟容疑者は警察の調べにも、広島での仕事について「閑職でやりがいがない」「イライラしていた」などと話しているという。

 一時の激情に流された代償。それはあまりにも大きいものだった。

(本誌・牧野めぐみ、一原知之、上田耕司、小泉耕平、長倉克枝/今西憲之)

※週刊朝日 2015年7月24日号

 


保守記事.446-2 中東

2015-07-07 10:50:19 | 記事保守

イスラム国に拉致された15歳少女「被害を日本人に訴えたい」

NEWS ポストセブン 7月6日(月)7時6分配信

 ジャーナリスト・後藤健二さんらが「イスラム国」によって処刑されてから5か月が過ぎた。当時、国内の報道はイスラム国一色となり、安倍首相は「犯人を法によって裁く」と大見得を切ったが、その後の動きは鈍く、メディアの扱いも日を追うごとに小さくなっている。

 現地では悲劇の連鎖が続いている。最前線に近いイラク北部で、イスラム国に拉致され、筆舌に尽くし難い苦痛を受けた後に解放された少女の告白を報道カメラマン・横田徹氏がレポートする。

 * * *
 くっきりした目鼻立ちで少し大人びて見える15歳の少女は、驚くほど感情を見せなかった。無表情で声のトーンは変わらない。ただ、「自分がイスラム国か ら受けた被害、そしてここで起きていることを、日本の人たちに訴えたい」と語り、筆者の取材、そして撮影に進んで応じた。そこに彼女の強い覚悟を感じた。

「連れて行かれたのはモスル(イスラム国支配下にあるイラク北部の都市)の収容所でした。もともとキリスト教の教会だったんだと思います。壁に十字架が描かれ、聖書が置いてありました。

 窓は毛布で塞がれていて、外の光は入ってきません。建物の中に700人くらいの女の子がいたと思います。私たちは戦闘員のレイプから逃れるために、『どうやって自殺しようか』と話し合っていました」

 昨年8月にイスラム国に拉致された15歳の少女・ラマ(仮名)。今はイラク北部のトルコ国境に近い避難民キャンプで暮らしている。

 昨年8月3日深夜、イスラム国はイラク北部のシンジャールへ侵攻し、クルド人の宗教少数派であるヤジディ教徒たちは町から逃げ出した。ヤジディ派はイス ラム国から悪魔崇拝として迫害される存在で、当時、街の北側にあるシンジャール山には約5万人のヤジディ教徒が逃れたといわれる。ラマもその一人だった。

 山の麓から中腹にかけて歩くと、車の残骸が放置されている。逃げ切れなかった者がイスラム国の兵士に捕らえられた。

 道路や路肩には、大量の衣服が残され、女性の下着があちこちに散乱している。今も生々しさが残るこの現場で、多くのヤジディ教徒女性が拉致された。ラマは一夜を山中で過ごし、翌日にシリア国境へ向かう途中で捕まった。

「4歳と8歳の妹が一緒でした。倉庫のようなところには、15人くらいの女の子がいました。その日の夜中、イスラム国の部隊のリーダーらしき男がやってき て、私を連れ出そうとしたんです。必死になって妹2人を指さして、『自分はもう結婚しています。この2人の女の子は私の娘です』と泣きながら言い張った ら、男は引き揚げていきました」

 その後、ラマは家族と引き離され、冒頭で語ったレイプに怯える少女たちで溢れる収容所にたどり着いた。

※週刊ポスト2015年7月17・24日号

 

ISから故郷奪還目指して訓練中、イラクのキリスト教徒兵

AFPBB News 7月3日(金)9時27分配信

【7月3日 AFP】木製の十字架を首から下げている者もいれば、腕にタトゥーを入れている者もいるイラクのキリスト教徒の兵士たちは、イスラム過激派組織「イスラム 国(Islamic State、IS)」に侵略された故郷の奪還を目指し、訓練に励んでいる。(c)AFPBB News

 

保守記事.446 中東


保守記事.446 中東

2015-07-07 10:45:31 | 記事保守

エジプトでISの分派がテロ激化 ピラミッド観光、スエズ運河開発に打撃

Wedge 7月6日(月)12時20分配信

 アラブの盟主エジプトのシナイ半島で、過激派組織イスラム国(IS)の分派が警察署を襲撃するなど活動を激化させ、ピラミッド観光など同国の観光産業に 大きな打撃を与えている。エジプトの政情不安は、ISの「ラマダン・テロ」指令が信奉組織へ深く浸透していることを浮き彫りにしている。

旧約聖書の地にテロの嵐

 エジプトのシナイ半島は旧約聖書の舞台だ。預言者モーゼがユダヤ人の奴隷を率いてエジプトを脱出し、神から約束された「乳と密の流れる地」カナン(イス ラエル)にたどりつくまでさまよった場所である。モーゼはその途中、シナイ山で神から「十戒」を授かる。最近の映画、「エクソダス」でご覧になった方も多 いと思う。

 このシナイ半島に最近、テロの嵐が吹き荒れているのだ。嵐を巻き起こしているのは、ISの分派組織「シナイ州」である。シナイ州は1日早朝から、首都カ イロからスエズ運河を越えて約180キロ離れた同半島北部の町、シェイク・ズエイド一帯に攻撃を仕掛けた。同町の周辺の軍検問所、警察署など約20カ所を 襲撃、兵士や警官、住民ら70人を殺害した。

 アラブ最強のエジプト政府軍が戦闘機や戦車などを出動させて反撃したが、戦闘は完全には収束していない。エジプトでは2011年の「アラブの春」で30 年という長期独裁のムバラク政権が崩壊。イスラム原理主義組織「モスレム同胞団」出身のモルシ政権が誕生した。しかし、1年後に軍がクーデターでモルシ大 統領を追放し、昨年、国防相だったシシ将軍が大統領に就任した。

 治安が比較的安定していたエジプトで、こうした過激組織が公然と大規模なテロ攻撃を仕掛けるのはここ数十年で初めてだ。軍スポークスマンは「エジプトは (ISに侵略されている)イラクではない」としているが、看板の「治安の安定」に真正面から挑戦を受けたシシ政権の衝撃は限りなく大きい。

 エジプトの政情は事実上の軍事政権であるシシ政権になっても改善されたとは言えない。6月の29日には、カイロで出勤途中のバラカト検事総長の車列が道 路脇に仕掛けられた爆弾の攻撃を受け、同検事総長が死亡した。また同じ6月、エジプト観光の名所であるギザのピラミッドのほんの近くで警官が襲撃され2人 が死亡、さらには南部のルクソールのカルナック神殿近くで銃撃戦があり、イスラム過激派数人が射殺されるなどテロ事件が相次いでいる。

 シナイ州は元々、アルカイダ系の「アンサル・ベイト・マクディス」(エルサレムの支援者)という組織。それが昨年11月、イスラム国への帰順を表明し、 正式な分派となった。エジプトの過激派は、アラブの春の政治・軍事的な混乱に乗じてシナイ半島を中心に勢力を伸ばした。武器は西方の隣国、内戦中のリビア から流れているという。

 エジプトの治安当局が懸念しているのは、弾圧されて壊滅状態のモスレム同胞団の一部が過激化して地下に潜り、シナイ州と手を結ぶことだ。そうなれば、政 情不安はさらに強まり、エジプトが大きく依存している観光収入の激変を招く。観光収入は59億ドル(2013年)だったが、今や半分程度にまで減少してい ると見られている。

スエズ開発にも影響

 シシ政権は不安定な観光収入に代わる収入源の確保に向けて、スエズ運河の開発を進めている。スエズ運河の収入は53億ドル(同)だが、運河に両側通行を 可能にする水路を新たに建設し、収入を2.5倍にする計画だ。しかしスエズに近接するシナイ半島でテロが激化し、シナイ州が勢力を拡大すれば、この開発に も影響が及ぶのは必至だろう。

 もう1つ、シナイ州の伸張と切り離せない問題がある。それはシナイ半島のエジプト領と接するパレスチナ自治区ガザのIS支持者らが活動を激化させつつあ ることだ。このグループは最近、ガザの支配者であるイスラム原理主義組織「ハマス」に爆弾攻撃を仕掛けるなど活動を活発化させている「イスラム国の支持者 たち」。軍事部門も創設され、組織の規模は2000人~3000人といわれる。

 シナイ州もハマスを敵視していることから、シナイ州と「イスラム国の支持者たち」が連携すれば、その影響はガザにとどまらず、イスラエルにも波及して、中東和平の行方にもかかわってくる。イスラム国への信奉と共鳴は国際社会の想像をはるかに超える速さで増殖している。

佐々木伸 (星槎大学客員教授)

 

「独自硬貨」の鋳造まで始めた「イスラム国」〈週刊新潮〉

BOOKS&NEWS 矢来町ぐるり 7月6日(月)8時0分配信

 ジンバブエは自国通貨発行をギブアップしたというのに、過激派組織「イスラム国」は、独自通貨発行のため硬貨鋳造を始めていることが6月23日、判明した。

「金貨2種類、銀貨3種類、銅貨2種類、計7種類の『イスラム・ディナール」硬貨が、ラマダン明けにも流通し始めるかもしれません。1ディナール金貨は 139ドル(約1万7000円)、5ディナール金貨は694ドル(約8万5000円)相当だそうで、『アラーの思し召し通りにお金を遣うことに祝福あれ』 などと刻印されています。『悪魔のグローバル経済システムからの解放』を謳っていますよ」(国際部記者)

 世界経済から遠ざかるなら寿(ことほ)ぐべきだが、

「支配地域で実際に流通しているのはユーロ、ドル、イラク・ディナールなどです。国家として承認されていない『イスラム国』の通貨が取引に使われることは考えにくい」(同)

 現代イスラム研究センターの宮田律氏は独自通貨発行の理由をこう推察する。

「貨幣は国の象徴です。そのシンボリックな意味が大きいのでしょう。『イスラム国』にはフセイン政権時代のイラクの元財務官僚も参加しています。彼らが提案した可能性がある」

 鋳造のための地金はどうしたのか。

「昨年、『イスラム国』がイラク北部の街モスルを襲撃した際、市内の銀行から現金と地金、合計300億円相当以上を奪っています。同様の行為を各地で行っていますから、充分な量があるのでしょう」(同)

 今回発行されるのは金貨や銀貨で、紙幣はない。

「中東やインドでは、元々金が取引上、重要視されてきました。経済制裁下で現金取引ができないイランはインドと金の現物で取引したと噂されましたし、イスラム・ディナール金貨の価格も現在の金相場を反映しているようです」(同)

 6月30日現在、日本でカナダのメイプルリーフ金貨やオーストリアのウィーン金貨など純度99・99%以上の金貨を購入するとなると、1/10オンス (2・83グラム)貨で税込1万8384円、1/2オンス(14・17グラム)貨で同8万6782円。奇妙に価格が近似するのである。

「古くから金属加工技術の高い地域。純度の高い、質のよい硬貨なら意外に人気が出るかもしれない」(同)

 金投資に「イスラム国」など考えたくもない。

※「週刊新潮」2015年7月9日号