オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

チェック体制について

2006年11月13日 | Weblog

そもそも政治のチェック体制とはなんだろう?

 誰が誰をチェックするのか、チェックした結果どうなるのか、悪いところは改善されるのか、改善させるだけの権限を持っているのか、等々疑問が生じてくる。本来チェックそのものは悪いことをやっていないかと言う犯罪捜査なんだろうか?犯罪捜査であれば司法や警察がやることであるが、司法や警察が日常的に政治のチェックをしているわけではなく、チェックした結果犯罪性の事案が発生したために司法警察が動員されただけである。それでは、チェックしている人は誰なんだろう。たまたま発覚してしまったから訴えられたと言うわけでもないだろうし、厳しい一般市民の批判にさらされてしぶしぶ対応するわけでもあるまい。どうなっているんだろう。

チェックする対象は「与えた権限」である。

 政治を実行するための権限を与えるが、その権限が適正に行使されたかを評価することが「チェック」である。権限が与えられれば必ずその権限をチェックする機構がついてくる。その時のチェックは善悪判断ではない。適正に行使されたかである。行使しなかった場合も問題であり、結果的に良好な成果を得られなかった場合、また、やり方そのものに違法性があった場合、費用対効果を検討して無駄が多い場合等でも問題である。合格基準の最低点は「現状維持」であり、望ましくは顕著な改善向上が図られることである。望ましい成果が得られなかった場合はその問題点と改善方向が明確に示される。その結果を次の施策に反映してひとつのチェックルーチンは完了する。

日本国のチェック機構は果たして機能しているだろうか?

 チェックする側とチェックされる側の権限を正当に認識しているだろうか?その権限の鬩ぎ合いの中でチェック機構は正常に機能する。日本の場合は、権限を保有した者は我が物顔に権限を振り回し、それを抑制するチェック機能が働いていないのではないかと心配になってくる。抑制するチェック機能がどの部分なのかも明確でないし、チェック機能そのものも脆弱である。最大のチェック機能は、指揮系統上位の指導者又は指導組織である。それを補完するために重要な部分に横断的な専門のチェック組織がある。チェックした結果に基づいて大々的に指摘された事例はほとんどが後者である。前者は自己保身の打算の中に埋もれて表面には出てこないが、どう考えても正常にチェックされているとは思えない。日本人特有の小集団的民主主義で身内の秘め事として処理されてしまう。

権限を個人の思い通りに振り回すのは独裁である。

 そんなことが一部であっても存在してはならない。権限には勝手に行使できないように抑制する機能が必要である。権限の持つ力とそれを抑制する力が均衡して正常な状態を保つことができる。権限を行使する力をすべて押し殺してしまったのではこれまた独裁である。現実社会ではそれぞれの立場でそれぞれの役割を持った者が権限を行使し権限の行使を抑制しているのだと思う。単純でなく複雑に影響し合い牽制し合って正常な状態が保たれるのであろう。それでも、権限を行使する者も抑制する者もひとつの目的に向かって前向きに積極的にかつ具体的に行動しなければならない。動きのないところに力は生じないし力の均衡も生じない。固体として固まったままでどんなに環境が激変しても未来永劫変化することはない。柔軟性を欠くとはこのことだろう。

三権分立ということを昔習った

 司法、立法、行政の三権を分立させることである。なぜ分立する必要があるのか。自分で法律を作って自分で法律を適用し自分で裁くことを禁じるためである。司法権は独立しているが、憲法や法律に拘束されている。その憲法や法律を作っているのが立法機関である国会であり、立法機関で制定された法を執行する機関が行政機関である。行政機関が適正に法を執行しているかを裁くのが司法機関である(国によっては特別に行政裁判所を設けているところもある)。司法機関は独立を保っているが、弾劾裁判や国民審査によって国民から監視されている。このようなチェックアンドバランスによって権限は適正に執行され間違いや行き過ぎを防止しているのである。何も三権分立だけでなく、組織の中でこのようなチェックアンドバランスの機能を作り上げて行く必要があるのである。

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