オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

西暦2007年の終わりに・・・。

2007年12月31日 | Weblog
1000年(ミレニアム:millennium)という単位がある。  自分が生まれるのには少なくとも父親と母親の二人が必要だ。昔は平均寿命が短かったので出産年齢を推定できないが、一例として平均25歳で出産したとすると、一人の人間が現存するのに1000年とは . . . 本文を読む
コメント

効率化・合理化の原点は「ケチ」である。

2007年12月29日 | Weblog
散歩の途中、缶入り飲料が自動販売機で売られている。  通りがかりの人が気軽に買って行く。何てことないいつもの風景である。しかし、同じ飲料をスーパーで買うと量こそ多くなるが格段に安く買える。下手をすると缶入り飲料の価格にちょっと足せばたっぷりの大瓶のものが買える。同じ缶入り飲料でもスーパーで買うと3~4割引きで買える。これは一体何だろう。自動販売機の良さ . . . 本文を読む
コメント

「手作り」や「自然食品」の不可解

2007年12月27日 | Weblog
あちこちで「手作り」という言葉を耳にする。  商品や農産物、工芸品だけでなく、音楽、演劇などの無形のものまで「手作り」が珍重される。何が「手作り」なんだろうと疑問に思うことしきりである。「手作り」とは、読んで字の如く人間の手で作ったものである。「手作り野菜」「手作りの民芸品」「手作りのお菓子」といわれても人間の手で作っていない野菜や民芸品やお菓子とはどんな「モノ」だろう、普通のものとどこが違う . . . 本文を読む
コメント

権限の行使

2007年12月24日 | Weblog
権限を行使するには他人の領域へ干渉する必要がある。  自己の意志によって他人に影響力を及ぼそうとする時、まず最初にすべきことは、自分の安全を確保することである。相手に影響力を行使しても自分の安全が保たれる、すなわち自分の存在が損なわれないことである。自分の立場や考え方や客観的な状況を考慮して相手に影響力を行使できる正当な理由と意義があることを確認することでもある。 次に必要なことは、  影 . . . 本文を読む
コメント

伝統とは「普通」の反復

2007年12月17日 | Weblog
伝統とは退屈なものである。  昔から変わらないのが伝統であれば、変わり映えしない伝統は退屈なものであるのは当然である。だから伝統を守ることは大変な忍耐と努力を必要とする。この退屈なことを守り続け維持しないと伝統は消失してしまう。 マスコミの報道で伝統行事が紹介されている。  内容は面白おかしく編集してあるが、現地の当事者にとっては毎年繰り返される変わり映えのしない退屈な行事でもある。やじ馬 . . . 本文を読む
コメント

建設的な問題提起は大いに推奨

2007年12月15日 | Weblog
約15年前、第一戦の多忙な職場でバリバリ働いていた頃、  昼間は電話や来客の応対と調整会議で明け暮れ、自分の仕事は時間外の夜しかできなく、泊まり込みで次から次へと転がり込んでくる担当正面の業務に追われていた時期があった。仕事上の関係者も昼間は忙しいのがわかっているので、夕方に仕事を依頼し、明日(通常は明朝10時) . . . 本文を読む
コメント

思いつきの政策は国をダメにする

2007年12月13日 | Weblog
政治に冒険は許されない。  安定した着実な政策が必須である。木に例えるならば、幹の部分は太くてビクともしない頑丈なものでなくてはならない。これを育ててきたのはこれまでの我が国の歴史であり先人の功績である。我々は、土を造り、水と肥料を与え、枝を剪定し、内外からの厄災を退け、さらに育ててゆく努力をしなければならない。 今までAが正しいと行われていた政策をBに変えるとき . . . 本文を読む
コメント

自分の身体を傷つける行動の不可解

2007年12月07日 | Weblog
自分の身体は自分自身より他人から見られる部分のほうが多い。 日常においては自分では両手、両足、胸から下の胴体を1カ所ずつ見るくらいしかできない。顔、頭、背中、お尻などは鏡を使わないと普通は見えない。しかし、他人はその人の全身を見ることができる。すなわち日常のほとんどは他人に見られていることになる。一生懸命おしゃれをしたり化粧をしたりするのは、自己満足もあるが、ほとんどが他人に見られるためである。そ . . . 本文を読む
コメント

口コミの効果

2007年12月02日 | Weblog
情報化社会の世の中に「口コミ」が健在である。  口コミで広がった情報は数知れない。いかがわしい情報や、デマ、単なる噂などもあるが、れっきとした情報源として市民権を得ており、口コミが発端となりマスコミに取り上げられた情報は多い。反対に、よく考えるとマスコミに取り上げられる前の情報は全て「口コミ」なのである。口コミで広がる前にマスコミが横取りしてさも自分が発信源みたいな顔をしているだけである。 . . . 本文を読む
コメント

「団塊の世代」とは何だろう

2007年12月01日 | Weblog
国民生活白書で「団塊の世代」を中心テーマとした、 中年の今後の不安と希望について分析しているが、「団塊の世代」という言葉は一体なんだろう。名付けの親は元経済企画庁長官の堺屋太一氏であるが、名前はともかくとして、その意味は1947-49年の戦後の第1次ベビーブームに生まれた人達のことを言っている。評論家は、第3者の立場から自分の評論する内容にあった分析をし、その主張にあわせて物事を定義したり仮説を立 . . . 本文を読む
コメント (1)