日本の場合は従来多数派に流される人がほとんどだった。
大多数の他人と変わったことをするのに抵抗があり、周囲からも悪人扱いにされていた。現在でもその傾向にあると思う。大多数の判断基準がどこにあるのかを気にしながら周囲の環境に合わせようとしている自分がいる。また、このほうが生活しやすいのである。大多数の意見は概ね正しいことが多いし、間違ってもいわゆる常識とかけ離れた意見であることは少ない。常識と言 . . . 本文を読む
どんなに巧みに描いてあっても食べられないところから、
何の役にも立たないもの、実物・本物でなければ何の値打ちもないこととある。それじゃあ、本当に画餅が役に立たないかというと、実物・本物を見て食べて味あわなくても「餅」とはどういうものかを理解させる意味で十分価値がある。餅を食べた経験のある者にとっては、画餅を見ただけでおいしかった餅を再現することができる。実物・本物の餅は劣化して腐ったりするが、 . . . 本文を読む
何でもかんでもハラスメントである。
いい加減にしてほしい。もうこの辺でカタカナ英語の「ハラスメント」を日本語に翻訳すべきだし、新しい概念で日本語にないというなら新しい日本語を作るべきだ。私もいろいろ考えたが、従来の日本語で「いびる」という言葉がある。「ハラスメント」はこの「いびる」を名詞にした「いびり」でのいいのではないかと思っている。本来は火にあぶって焼くことであるが、しいたげ苦しめ、いじめ . . . 本文を読む
「アンチ」とは抵抗のことである。 年齢は受け入れればいい。年齢に抵抗して戦う必要はない。年齢を考えるのは人間くらいで、数字を発見したばかりに年数を数えることを覚えてしまったが、その数字にあまり意味はない。毎年繰り返される歳に名前を付けて区別しているだけで、一年の繰り返しにそれほどの違いはない。いつも通りの一年を繰り返せることに感謝しなければならない。その繰り返しの中に進歩があり進歩の履歴が自分の人 . . . 本文を読む
「民」が「主」であることには誤解が多い。 民が主(あるじ)に仕立て上げられている気がする。本当に民が主(あるじ)であれば、政治が気に食わないなら倒せばいい。企業の不正がどうしようもないなら潰してしまえばいい。民主主義がなかった頃には政治を自分達で改革し不当に搾取する会社があれば敢然と戦って自分たちの権利を守った。日本の現在の社会でこんなことができるかと言うと疑問であるが、本来は民主主義という仕組み . . . 本文を読む
運は万人に平等に与えられている。 この運を見逃さないで自分のものにするのが幸運の持ち主である。そのためには何をしなければならないか考えてみた。運には幸運と不運があるが、どちらも運であることには変わりない。幸運を見逃さないで生かして、不運による被害を最小限にする努力を怠らないことが幸運の持ち主であるかもしれない。なおかつ不運を踏み台にしてさらに向上することを目指すことによって不運さえも幸運にしてしま . . . 本文を読む