オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

共謀罪

2006年11月12日 | Weblog

一日ソファに座ってテレビを見ていると、

 いろいろヘンテコだなと思うことが飛び込んでくる。そのひとつが「共謀罪」である。基本的には、犯罪を取り締まるのが前提で、犯罪の共謀をしただけでも警察が取り締まれることを可能としたことだと理解している。共謀は犯罪を目的としたものであることが必要十分条件である。

ところが、共謀しただけで犯罪になると言う誤解がある。

 だから、何であろうと共謀できない、共謀と言われれば会議も打ち合わせもできないと言う拡大解釈が飛び交う。そのくらい警察に歯止めをかけて法律化しろよと言いたくなる。まさか、本当に共謀しただけで犯罪だと取り締まる馬鹿はしないだろうが、この頃の日本では心配になってくる。あちこちで「計画で、規則で、法令で、法律で決まっているから」と言うだけで善悪判断なしに適用される例が後を絶たない。

いっそのこと、こんな共謀をしますと宣言したらどうだろう。

 黙ってやるから不審を抱かれる。あちこちで宣言されて対応がつかなくなったら政府もなんか考え始めるだろう。ドサクサにまぎれて犯罪者も宣言したりして・・・。もっと有効なのは警察に「こんな共謀をしますがよろしいでしょうか」と届出をしたらどうだろう。「よろしかったら、どうぞ警察も参加して確認して下さい。」まで突きつけたら完璧だ。

共謀と同じことに「談合」がある。

 談合にも善い談合と悪い談合がある。談合して悪いことをしたら犯罪だが、談合そのものは必要な機能で、談合一切なしに商談や契約しろと言う方が無理があるし不可能に近い。誰でも真っ暗闇に無謀に飛び込む愚はしない。事前に調査や分析や相互調整はする。それを「談合だ」と言われ犯罪扱いされたら何もできなくなる。

「いじめ」も同じである。

 いじめにも善いいじめと悪いいじめがある。何でもかんでも「いじめ」で片付けられてしまうと、他人に何も干渉できなくなる。セクハラとか虐待とか人権問題だとか大々的に喧伝されて何でもかんでも拡大解釈され犯罪扱いされると、君子危うきに近づかずの発想で、人間関係は消極的になるばかりである。少々悪いことでもやったりやられたりがあるのが普通の常識のど真ん中だと思うのだが・・・。

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