オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

グローバリズムとナショナリズム

2024年03月24日 | Weblog
バイデンさんとトランプさんの戦いを見ているとこの言葉が浮かんでくる。

 徹底したグローバリズムも徹底したナショナリズムも現実には存在しない。いずれも考え方で、現実を前にしてはどうしようもない矛盾が生じるばかりである。現実は、ある時はグローバリズムをある時はナショナリズムを適用して対処してゆくのであろう。そして、結果的にはグローバリズムとナショナリズムの中間を目指して調和を図ってゆくのだろう。東洋思想の中庸である。是か非か、善か悪か、右か左か、賛成か反対か、という二者選択だけでは現実世界には通用しない。

バイデンさんもトランプさんもおおむね真ん中である。

 バイデンさんがグローバリズム寄りであり、トランプさんがナショナリズム寄りである。というか、経済、外交、軍事、貿易、移民政策、人種問題などなどバイデンさんのグローバリズムでうまく行かない部分にナショナリズムの要素を取り入れて解決しようとしているのがトランプさんであろう。バイデンさんのグローバリズムがうまく行っていない状況においてトランプさんに人気があるのはわかるような気がするが、ナショナリズムに偏向して暴走してしまうのも世界全体ではあちこちで摩擦が生じ困ってしまう。

ナショナリズムは自然発生的に誕生した。

 そして、ナショナリズムの中でも、国家と民族は対立していた。その一国内で行われていたものを地球全体に拡大したのがグローバリズムである。ナショナリズムには統一した国家が存在するが、グローバリズムには地球全体を統一できるものは存在しない。国際連合はあるが、地球規模で統制する機関としてはあまりにお粗末であり権力もない。グローバリズムを統括する機能が欠けているのである。そのために世界のあちこちで不具合が起こっている。その不具合に付け込んで世界規模で金儲けを企む者がおり、その者達にグローバリズムが牛耳られている。

世界を一体化することに何の利点があるのだろう。

 個人としてはあまり利点は感じない。国であり民族を尊重するナショナリズムのほうが居心地がいい。利点を享受できているのは地球規模で経済活動を展開する多国籍企業であろう。世界を一体化することは、そのまま地球規模に市場を展開することでもある。自由貿易を拡大し、マーケットを世界規模に展開して巨大な富と組織を築こうとしている。世界はその巨大な富と組織に振り回されている。グローバリズムを牛耳っているのはこの巨大な富と組織ではないかと思っている。そして、その貧富の差は拡大し、一握りの富豪が富と組織を使って世界を取り仕切っている。

グローバリズムという言葉が誕生したのはつい最近である。

 確かに帝国主義、植民地主義もグローバリズムの一環ではあるが、グローバリズムは最近(1992年以降)使われるようになった。約30年前である。よく日本で失われた30年と言われるが、この時期と一致しているのが皮肉である。そして日本国内でも馬鹿の一つ覚えのように「グローバル化」と騒いでいたし、今でも騒いでいるのだろう。国の主体性を欠いたグローバル化は危険そのものであり、現に失われた30年はそのことを証明している。日本国として目を覚ます時期に来ているのではないだろうか?

グローバリズムを宣伝しているのはメディアである。

 世界規模でグローバリズムを推し進めている。昔の植民地主義を全世界に展開していると言ってもいい。ただし、起業に多大の投資が必要な業種は避けて、ソフトウェアを中心とするGAFA+Mの台頭が象徴的である。メディアをフル活用してグローバル化を推し進めているのだろう。一般市民としては、このことを念頭に置いて疑問を抱きながら成り行きを注視していかなければならないが、必要なのは個人の主体性である。これを失わないように自分を大切にしてゆく努力が肝心なのだろう。

地球全体が一つの共同体となるためには頭となる組織が必要である。

 グローバル化の一例として、EUの統合がある。統合はしたものの頭の組織がお粗末なために全体としてはうまく機能していない。一例として政治的最高意思決定機関である欧州理事会は立法権限を持たないし、欧州市民の代表で構成される欧州議会と共同で意思決定している。欧州議会とはEU各国から市民の直接選挙で選出された700人以上の議員で構成されている。そして、この組織を牽引しているのはドイツ、フランス、スペイン、イタリア、ポーランドなどであろう。結果としては現在のところEUはうまく機能していないし、英国は脱退した。

頭となる組織がしっかりして適正に機能していないとうまく行かない。

 グローバリズムでもナショナリズムでもいいのである。たとえ専制君主制であっても絶対君主制であっても、頭がしっかりしていれば、善政がなされるのである。どのようにして正しい頭の機能を作り上げ維持してゆくのかが問題であって、考え方はどうでもいいのである。グローバリズムもナショナリズムもただの考え方であって、正しい答えは現実のそれぞれにある。グローバリズムとナショナリズムの戦いなんて敵対関係は存在しないのであり、諸悪の根源は考え方でなく、現に頭になっている人の現実に行っている行為そのものである。

グローバリズムもナショナリズムも純粋なものは現実には存在しない。

 そして、地球全体を一体化して共同体にするのは幻想かもしれない(宇宙人に地球が侵略される脅威があるなら別だが)。ナショナリズムでさえも未だに国家と民族が対立したままなのが現実である。世界各国がそれぞれに自国のアイデンティティーを掲げて世界に主張することは何も問題ない。そして、その他の国はそれに対してそれぞれに対応するのである。ただし、世界各国が勝手気ままに主張したのでは収拾がつかなくなる。そうであれば、地球全体を区分けして適切な規模の塊にグループ分けすればいい。ローカルグループごとに自主的に纏まって自分達の頭を作って世界の中で話し合いの場を作るのである。大国も小国もなくなる。こんな折衷案はどうだろう。まさに中庸だと思うが。
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