オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

基準について、

2008年08月31日 | Weblog
あっちこっちで集中豪雨があって、あっちこっちで電車が止まっている。  電車の運転を見合わせる理由は、雨量計のメーターが基準以上になったからだと言う。何か違うような気がする。雨量計のメーターは人間が判断する参考にはなるが、最終的に判断するのは人間で、責任を持って判断して決心した人間は責任を免れるものではない。雨量計のメーターが基準以下であれば何も考えずに運行すると言うのも無謀だ。場所によっては基 . . . 本文を読む
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若者に一方的に将来を託すのは酷である

2008年08月30日 | Weblog
昔、私がまだ30代前半で下っ端として仕事をしていた時、  上司の部長に個性的な人がいて、「私は下っ端は当てにしない。中堅以上を信頼して仕事をする。」と明言した。本人としては「中堅以上頑張れ」と叱咤激励したつもりかも知れないが、「下っ端」の我々までその話が聞こえてきて、早速下っ端同士が飲み屋に集まってよからぬ相談を始めた。実は下っ端同士はこれまでにもしょっちゅう行きつ . . . 本文を読む
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マスコミは物語を語らないでほしい

2008年08月23日 | Weblog
マスコミの報道を聞いていると、  思いこみが激し過ぎるのではと思われる場面に多々でくわす。基本的には現在進行中の事件は真相は解らない場合がほとんどである。過去の重大事件でさえ真相が解らないままになっているものが多い。そして、「科学的」に考えると「ほんとうの真相」は最後まで解らないというのが事実である。真相に近い結果をもって公式発表としているだけである。ましてや、毎日際限なく発生している中小の事 . . . 本文を読む
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中途半端な勧善懲悪の戒め

2008年08月17日 | Weblog
物事の一番最初は良いのか悪いのかわからないところから始まる。  ある段階でこれを「悪い」と判断して止めてしまっては、ほんとうに悪いのかがわからないままで終わってしまう。当然周りの人が悪いと勝手に判断を下して強制的に止めさせるのも発展的な思考を阻害するものである。他人に迷惑をかけない限り良くても悪くても自由に扱われるのが基本であり、勝手に決めつけられた物事そのものの善し悪しではなく、他との関係で . . . 本文を読む
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「農協」の効用と弊害

2008年08月12日 | Weblog
散歩の時に農家の畑や田圃やビニールハウスがいやにでも目にはいる。  農作業をやっているところも四季を通じて見物できる。そこで気づくのは「みんな同じ」ことである。農機具も使う道具も植え方も育て方も手入れの仕方も農薬散布も作業の時期も見ようによっては農家の方の服装までも同じに見える。これはいったいなんだろうと不思議に思えてきた。理想的な農業を極めると同じところにたどり着くのだろうかとも思ったが、そ . . . 本文を読む
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万が一の危険に備える。

2008年08月09日 | Weblog
安全と安心の違いは何だろう。  安全は安心な状態を継続すること、安心は危険が排除され危険が皆無の状態である。安全と安心の違いは危険を内包しているかどうかである。危険が存在しなければ安全の努力は必要ない。安全は危険が存在することを前提に、この危険を綿密に分析して、対応する準備を十分に行って、事故を未然に防止し、万一起った時も損害を最小限にできるようにすることが安全である。普通一般には安全は事故の . . . 本文を読む
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「形式」の尊重

2008年08月06日 | Weblog
日本人は形式を重んじる。  武道、茶道、華道、書道、芸道など、まずは形から入るのが通常である。これは日本の文化であり尊重すべきである。しかし、世の風潮としてこれらの形式を古いもの時代遅れなもの無意味なものとして軽視する傾向が強いと思うがどうであろうか。これらの良さを理解するのは年輩の人達で、若者は「形式」に対してはどちらかというと拒否反応があるようである。要は美しければ、価値があれば、実力があ . . . 本文を読む
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ギブアンドテイク

2008年08月02日 | Weblog
give and take というと本来の英語では取引の場での妥協や譲歩の意味で使われるが、  日本では「相手に何かを与える代わりに自分も相手からもらう」という交換の意味で使われる。ギブアンドテイクは日本では「受けた恩には恩で返してもらう」と . . . 本文を読む
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