オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

教えるのはあなたで、教えた内容を行うのもあなた。

2007年04月26日 | Weblog

言われないとやらない人達が増えている。

 言われないからやらないという。言われないまではやる必要がないと思っているし、言われないのにやるのは損だと思っている。その人達の行いをよく見てみると、結局は自分からは何もしないのかと思いきや、自分のためになって、自分が得をすることは他人を押しのけてでもやろうとする。自分の感性に沿わない事はまるで無関心である。他人は利用するものであって、利用する以外は他人と係わる事はない。当然、他人のために奉仕するなんて考えてもいない。格好良く言うと「ギブアンドテイク」しかも刹那のその場限りのギブアンドテイクである。

こんな人達が増えているのは、

 教える事を怠っているからだと思う。他人のために行動を起こす必要性を教えていないし、手本を示す事もない。ただ、「○○しましょう」と呼びかけているだけである。呼びかけは強制力はないし、誰が誰に訴えているのか定かではない。教える事は、教える人と教えられる人がいて、教える人の意向が教えられる人に確実に伝わって行動に表してくれて完結する。中途半端な教え方もあるだろうが、単なる呼びかけとは根本から違うと思う。

「身体の不自由な人に席を譲りましょう」と呼びかけている。

 通常は車内放送である。誰が呼びかけているのか定かでないし、誰に呼びかけているのかも定かでない。無視しようとすれば無視できるし強制力もほとんどなく単なるお願いである。それでは、乗客の一人が誰かに向かって「お年寄に席を譲りなさい」と教えた場合、どうなるか?通常は気まずい空気が流れる。なぜかと言えば、教えられる人は教えられる事に慣れていないし、勇気を持って教える人があまりに少ないために、周囲も戸惑ってしまう。それほど教え教えられる機会が少なくなって、その風潮が希薄になっている証拠でもある。

教える事が確実になされていれば呼びかける必要はない。

 呼びかけなくても自分で考えて行動する。自分が何をなすべきかが解っている。教えられた経験がない人に「みんなやっているからあなたもやりましょう」「これがマナーです」としきりに呼びかけお願いしている。目の前に身体の不自由な人がいれば、この人をいたわるために席を譲る。席を譲るのはこの人との関係においてであり、根本的には行動を起こしているのは呼びかけや周囲の目やマナーではない。そして過去に教えられた経験があるからである。

こんな車内放送を止めたらどうだろう。

 そう言うと、誰も注意できなくなるという。それを注意し教えてやるのはあなた方個々人なのだと思う。それをやらないから、車内放送をのべつ幕なしに流さなければならない状況になる。注意喚起だけならまだいいとして、車内放送でマナー教育までするのはどう考えてもおかしいし行き過ぎである。そうしなければならない事情そのものが何かおかしい。結局は、個々人が教える事を怠っているからこのような結果になっていると思う。おかしい、間違っていると思ったら自信を持って主張し教えなさい。

自分から気付いて自分から行動を起こさなければならない。

 目の前に困った人がいたら自分から助けるし、ゴミが落ちていたら自分から拾ってゴミ箱に捨てるし、おかしな状態になっていたら自分から正常な状態に戻すし、気付かない人がいたら教えてあげるし、そんな心構えが必要だと思う。何のためにと問われたら「他人のため、みんなのため」である。自分のためだけに人間生きているわけではない。「損だ」と思う人は、何処かで多大な損に遭遇する事になるし、いつまでも他人に迷惑をかけるだけの存在から成長できない(赤ちゃんのまま)。

初対面の赤の他人に向かって教育するのはちょっと無理かもしれない。

 しかし、せめて、肉親や知人や隣人などにはしっかりと係わって教えてやるべきである。その教える姿を見て教える事の大切さを教わるし、教える人は自分の姿勢を正す事になる。そんな風潮があれば世の中はずいぶんと変わってくる。大上段に道徳がどうの、モラルがどうの、社会規範が、教育が、政治がどうのと言ってないで、自分の周りから始めたらいいと思う。教えるのはあなたで、教えた内容を行うのもあなたなんです。

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