オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

人間不信

2007年06月09日 | Weblog

あちこちで人間不信に陥るような事件が起きている。

 昔も今もそれほど変わらないと思うが、なぜか、どこもここも大騒ぎしている感じである。たぶん、マスコミのせいでおおげさに喧伝されている影響もあるのだろう。そして、被害者が自分の責任をさておいて一方的に騒ぎ立てる風潮もあるんだろう。それと、やはりマスコミの影響で同種の犯罪があちこちに飛び火して拡大しているような気もする。

昔も悪人は居た。

 あちこちで人を騙して良からぬことをやっていた。しかし、昔の人は騙される方も悪いという意識があり、騙されても許してしまう大らかさを持っていたような気がする。「しょうがない」「運が悪かった」「悪い人と関わった」くらいで潔く諦めて大袈裟に騒ぎ立てなかった記憶がある。騒ぎ立てることが通常で、騒ぎ立てた方が得をするという考え方が日本国中を蔓延しているようである。

本来、日本人は、人の良さを携えていた。

 一人一人が立派な人格者で、粋とか、面子とか、沽券とか、世間体とかを大事にしていたし、悪事も寛容な心で許す心の広さを有していた。だから極端な悪人もはびこらないし、悪人は理由があっての悪事しか働かなかった。悪人にもそれなりに粋と、面子と、沽券と、世間体を大事にしていた。この頃は、この粋と、面子と、沽券と世間体をすべて捨ててしまっている気がする。

悪事を働く人達も犬畜生以下だし、

 騙された人達も申し訳ないが、小学生か幼稚園並である。悪事を働く人達は、血も涙も人情のかけらもない、しかもえげつない方法でごまかしたり騙したり掠め取ったりだし、騙された人達は、怠慢だし無関心だし無防備だし、考えが未熟で、しかも被害者意識で世間に向かって騒ぎ立てる。場合によっては、自分も利益を享受しようという魂胆が見え見えである。

その様相を、マスコミがヒステリックに騒ぎ立てる。

 騒ぎは関係ない人まで巻き込んで日本国中で益々エスカレートする。悪事を働いた人の言い分も、騙された側の言い分もお互いに都合のいいことばかりを言わせて、センセーショナルに書き立てる。被害者は一方的に騙されて徹底的に弱者で虐げられ搾取されているような言い方で、悪事を働いた人達は徹底的な悪人で非人間的な金の亡者扱いである。冷静に考えると、被害者にも一端の責任と判断ミスがあり、加害者は間違いを犯した一点とその結果が責められるべきである。

何でこんなになったんだろう。

 一つは拝金主義である。もう一つは無責任体制であり、最後は徹底した個人主義の蔓延と文明社会の弊害であると思う。金に執着することに恥を感じない世代がはびこって居るし、金のためなら何でもする人達が跋扈している。次は、無責任な管理体制が秩序を乱していて悪の付け入る隙を作っている。最後は1対1から1対多数の人間関係が可能になっている現状が拍車をかけている。

金にたかる人達にろくな人はいない。

 この「金」とは、一般大衆の持つ金であるし、国の保有する金である。一般大衆から集金できるシステムを作り上げれば、国の金を有効に吸い上げるシステムを作れば、簡単に金儲けができる。これを阻止するためには、我々一般大衆が利口になって騙されないことと、国の金の放漫な支出を監視しなければならない。

この頃の国の政策はあまりにも無責任体質である。

 住宅政策も、道路政策も、介護保険も、年金政策も、補助金政策も、教育政策も・・・・(挙げればきりがない)すべてが会社経営の観点から評価すると放漫経営の大赤字でとっくに倒産しているし、その赤字分の投資はあちこちにばらまかれて、取り巻きの団体に食い物にされ甘い汁を吸わせている。この状態が日本の基本モデルとなってあちこちで悪徳な商売を許容している。

1対1は監視できるが、1対多数は監視が困難になる。

 しかも、1対多数はネズミ算的に拡大して全体に波及して大きな影響力を持つ。責任の所在も明らかではなくなるし、多数の中の個人の影響力は多数の中に埋もれてしまうし、影響力を行使する側の一人はマスコミなどの文明の利器を使って多数を操作する。しかし、結局は多数の中の個人個人が冷静な判断をすることによってこの連鎖は断ち切れると思う。

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