人間は言葉で定義されると、社会的に公然と認知されたと思うようである。
そして認知された事に正当性と存在価値を認めてしまうようである。例えば「赤ちゃんポスト」であり、「援助交際」である。「赤ちゃんポスト」という言葉が世間で通用するようになるという事は、「赤ちゃんポスト」の仕組みが世の中に認められることであり、世の中に正式に認められた公然とした「捨て子」が確固とした正当性を持つ事になる。どうしようもない時には「赤ちゃんポスト」がある、そしてどうしようもない時には子供を捨てる事が許される、拡大解釈して「子供は捨ててもいい」ということになる。いくら「赤ちゃんポスト」の目的が人命救済であるとは言っても、世の中に安易な「捨て子」を増加させ、「捨て子」の罪悪感なくしてしまう人達を増加させる事の一助になることは間違いない。
「捨て子」は悪い事であり、決して認めてはいけない。
もし、捨て子をしなければならないような状況の人達には、その相談を受付け、子育てを支援できる仕組みを作らなければならない。結局「赤ちゃんポスト」もその一環としての一時的な託児施設にすぎないが、「赤ちゃんポスト」という言葉が先行すると、別の意味を持ってくるし、喧々囂々と賛成論や反対論を有名な知識人が論述していると、確固とした「赤ちゃんポスト」の概念が植えつけられてしまう。こんな決して許されないような「赤ちゃんポスト」という言葉は、直ちに死語にすべきだと思う。一体誰が命名したんだろう。たぶんマスコミがセンセーショナルにぶち上げたんだろうが、決して振り回されないようにしなければならない。特に、青少年や若者に与える影響は甚大なものがあり、勘違いさせないように細心の注意を払う必要がある。繰り返し言うが「捨て子」は決して許されない行為であり、場合によっては殺人罪である。
もし、「赤ちゃんポスト」という言葉が定着し、認知された場合は、
これから生まれる人達は、「赤ちゃんポスト」という概念が最初から存在する環境で育つ事になる。そんな人に「赤ちゃんポスト」が決して許されない事だと教えつつ、赤ちゃんポストが存在する矛盾が生じてしまう。どう考えてもおかしいし、赤ちゃんポストを普及すればするほど矛盾は拡大する。悪い事は禁止しなければならないし、悪い事を助長し支援するような施設や施策は最初からおかしい。たぶん、赤ちゃんの人命を守るためには、別の方策をすべきなんだろうし、それでもどうしても「捨て子」をする人は、罪悪感の中で、人知れず、不正な方法で「捨て子」をするしかない。その中で赤ちゃんの命を助ける知恵を見出してゆくしかない。
赤ちゃん殺しは悲惨で許すべきではないが、
本当に赤ちゃんを殺さなければならない状態の人は、精神的に病んでいる。このような人は正常な判断能力がなく、たぶん「赤ちゃんポスト」を利用しないだろう。「赤ちゃんポスト」を利用するのは、たぶん育児が嫌になった正常な母親なんだろう。そのような母親が安易に子供を捨てる考え方を持つ事のほうが怖い。いろんな言葉があるが、全てにおいて同じような事がいえると思う。問題は異常な人達への対策から生まれたものが正常な人達に与える影響である。正常な人達の悪の部分を呼び起こして拡大させ、存在意義を認知してしまう。冷静に考え直すべきである。
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