オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

情報共有と情報保護

2007年04月17日 | Weblog

情報共有と情報保護は相反する機能である。

 それなのに同時並行的に必要性が求められている。情報共有すればするほど情報保護ができなくなり、情報保護すればするほど情報共有が阻害され利便性は格段に悪くなってくる。しかも、共有すべき情報は重要な情報でなければ意味がないが、重要な情報ほど保護しなければならない必要性が出てくる。全ての人に共有されることを許された情報は既に情報の価値がない。

情報共有と情報保護を両立させるにはどうしたらいいんだろう。

 まず、優先すべきは情報共有である。情報化社会の最終目的は情報の共有であり、インターネットがこれほど爆発的に普及したのは自由な情報共有の場が実現できたからである。本来は平和的な善意の奉仕からスタートしたが、これが商業主義に利用されると利害関係が生じて無防備なままで放置できなくなってしまった。

情報共有を前提として情報保護を考えなければならない。

 情報保護は情報共有できないものから選択することになる。最初に情報保護ありきでは利用環境は悪化し衰退し最終的には情報化社会が消滅してしまう。情報を発信することが重要であって、情報を閉じ込めておくのは本来の目的ではないし、情報は閉じ込めたら死んでしまう。情報は常に変化し活動し更新され淘汰され流通して生きているのである。

情報保護にも程度がある。

 まずは、利用者の制限であり、次に情報内容の秘匿である。それぞれにピンからキリまである。利用者の制限はアクセス制御で実現する。制限すればするほど強力に保護できるが、新たな情報を獲得できる可能性もなくなってしまう。たぶん、ある程度以上は情報が進化しなくなって死んでしまうだろう。

情報内容の秘匿は盗聴を防止できる。

 悪意の盗聴はネットワーク社会の敵である。商業主義がもたらした利益追求の拝金主義がもたらした害悪である。人間が金儲けの亡者に成り下がってしまったんではろくなことはない。お互いに足を引っ張り合って共倒れになるだけだが、本人達はそれに気づいていない。自分は他を出し抜く自信があると思い込んでいる。

悪事に利用されるから情報保護が必要になる。

 よって、悪事に利用されないように情報を保護しなければならない。悪意の人達はしたたかでずる賢くてかつ努力家で精力的である。下手をするとやられてしまう。そのための手段としては、まず、個人の情報を流出させないことである。特に固有の不変の基本情報(名前、生年月日など)は注意する必要がある。

次に、情報を送る相手を制限することである。

 一番怖いのが不特定多数への発信である。どこに悪意の人が居るか判らない。対象を広げれば広げるほど悪意の人が存在する確率が高くなる。しかも、対象を広げれば広げるほど悪意の人を特定できる確率が低くなる。結局多数の見えない悪意の人に狙われることとなる。

最後に、盗聴されてもいいように内容を秘匿することである。

 あまり個人でファイル秘匿をする人はいないけれども、これからは一般的になってくるんだろう。あちこちで情報機器を紛失したり盗難にあったりして重要な情報が漏洩したという話題が世間を騒がしている。こんな場合でも中身が秘匿されていればある程度以上は安心である。情報をネットワークで流通させる時でも中身が秘匿されていれば安心だし、安全にネットワークを利用できる。

ゆくゆくは、送った人と受け取った人しか情報が伝わらない世界が実現するだろう。

 その機能はどちらかというと、ネットワークシステムではなく、コンピュータシステムに依存するのではないかと思う。サービスを提供する側の機能としてこのような世界が広がって行く。何も自己責任とか倫理観とか法律や規則論議で終わらせていいものではない。淡々とシステムそのものを強化して悪意の人を排除できる環境を構築するだけである。その実現の日もそれほど遠くない。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 何でもかんでも細かく規則を... | トップ | 官公庁の緊急対応の現状 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事