昨日予告した、父の手術の話である。
あれは、忘れもしない…いつだっけ?あ、確か3年前。ある春の日、父が「最近、視界の中に黒い点が見えるんだよなぁ」とぽつりと言った。我々はそれを聞き逃さなかった。「そりゃ飛蚊症じゃないの?医者行って来なさいよ、医者に!」と口々にはやし立てた。父は大の医者嫌いだから、最初の内は「いいよ、こんなの年のせいだよ」と言って渋ったが結局折れて、数日後に近所のS眼科に行ったのだった。
帰って来るなり父は「やっぱり年のせいだってさ。治らないって言われたよ」と言った。もうこれ以上医者に行く必要が無くなって、心持ち嬉しそうだ。母が「え~、ホントに治らないの~?別の医者でもう一回診てもらった方がいいんじゃないの?」と訝しむと、父は「治らないって言われたんだから!」と半ば逆ギレ。母も、ケンカになるのはイヤだから「ハイハイ、わかりました」とその場ではそれ以上言わなかったが、母の心配が最悪の形で的中するのに、さほど時間はかからなかった。
夏になった。お盆休みに家族で箱根旅行に出かけたのだが、父の様子は明らかにおかしかった。歩いていたら小さな段差で何度もつまずき、まるで距離感がつかめていないのだ。それまで父は全く異常を訴えなかったが、逆ギレしてしまった手前もあって、これまでずーっと黙っていたらしい。虫歯とかと訳が違うんだから、意地張ってないでちゃんと言わんか父!
問いただすと、やっと「左目が全く見えない」と白状した。箱根から帰ってすぐ、会社の人の薦めで蒲田のW眼科病院に駆け込んだ。眼科「病院」と言うぐらいだから、入院施設もあって普通の町医者よりもはるかに大きいところなのだが、医師は診察するなり「こりゃひどい。至急手術が必要ですが、ウチじゃ手に負えないので、大学病院を紹介しましょう」と言い出した。
病名、網膜剥離。図解などはリンク先の説明を見ていただきたいのだが、網膜が眼球壁から剥がれる病気である。重度になると失明する怖い病気で、最近では女優・樹木希林が左目の視力を完全に失ってしまった(サンケイスポーツ『樹木希林、「左目失明」で見せた女優魂』参照)。
父の場合は、最初にかかったS眼科の医師が病変を完全に見落としていたため、本来ならレーザー照射で十分治療できたはずが、手遅れ寸前にまで剥離が進行してしまっていた。こうなると、手術しなければならない。結局、眼科治療に定評のある東邦大学大橋病院に入院することになったのだった。
精密検査の結果、網膜が広範囲にわたって剥がれている上に、その剥がれた網膜が眼球内でクシャクシャになって癒着しかかっているという、ものすごく厄介な状況になっていることが判明。手術もかなり困難なものになった。クシャクシャになった網膜を慎重に広げ直して眼球壁に再び貼り付ける(癒着しかかってネバネバしているから、網膜を傷つけずに広げるのに非常に苦労したという)。そして、ここからがまたすごいのだが、眼球内に特殊なガスを注入するのだ。ガスの気泡で下から貼り付けた網膜を押し上げて眼球壁に定着させるという、想像を絶するような術後処置。だから父は入院中ずーっと顔を下向きにしていなければならなかった。食事の時もトイレの時も、もちろん寝る時も。これが一ヶ月近く続いたのだ。我々にはほとんど弱音を吐かなかったが、本当はかなりきつかったはずである。もし私が同じような状況に立たされたら、耐えられる自信はない。
結局、治療の甲斐あって視力は失わずに済んだ(ついでに老人性白内障の手術もやったのだ)。現在も半年に一度ぐらいの割合で大橋病院に通っているが、経過は良好なようである。
今回は、たまたま後にかかった医師の技量が優れていたこともあり、助かったからいいようなものの、これが命に関わるような病気だったらと思うとゾッとする(目でも十分ゾッとするが)。
医師は、やっぱり選ばねばダメだね。
あれは、忘れもしない…いつだっけ?あ、確か3年前。ある春の日、父が「最近、視界の中に黒い点が見えるんだよなぁ」とぽつりと言った。我々はそれを聞き逃さなかった。「そりゃ飛蚊症じゃないの?医者行って来なさいよ、医者に!」と口々にはやし立てた。父は大の医者嫌いだから、最初の内は「いいよ、こんなの年のせいだよ」と言って渋ったが結局折れて、数日後に近所のS眼科に行ったのだった。
帰って来るなり父は「やっぱり年のせいだってさ。治らないって言われたよ」と言った。もうこれ以上医者に行く必要が無くなって、心持ち嬉しそうだ。母が「え~、ホントに治らないの~?別の医者でもう一回診てもらった方がいいんじゃないの?」と訝しむと、父は「治らないって言われたんだから!」と半ば逆ギレ。母も、ケンカになるのはイヤだから「ハイハイ、わかりました」とその場ではそれ以上言わなかったが、母の心配が最悪の形で的中するのに、さほど時間はかからなかった。
夏になった。お盆休みに家族で箱根旅行に出かけたのだが、父の様子は明らかにおかしかった。歩いていたら小さな段差で何度もつまずき、まるで距離感がつかめていないのだ。それまで父は全く異常を訴えなかったが、逆ギレしてしまった手前もあって、これまでずーっと黙っていたらしい。虫歯とかと訳が違うんだから、意地張ってないでちゃんと言わんか父!
問いただすと、やっと「左目が全く見えない」と白状した。箱根から帰ってすぐ、会社の人の薦めで蒲田のW眼科病院に駆け込んだ。眼科「病院」と言うぐらいだから、入院施設もあって普通の町医者よりもはるかに大きいところなのだが、医師は診察するなり「こりゃひどい。至急手術が必要ですが、ウチじゃ手に負えないので、大学病院を紹介しましょう」と言い出した。
病名、網膜剥離。図解などはリンク先の説明を見ていただきたいのだが、網膜が眼球壁から剥がれる病気である。重度になると失明する怖い病気で、最近では女優・樹木希林が左目の視力を完全に失ってしまった(サンケイスポーツ『樹木希林、「左目失明」で見せた女優魂』参照)。
父の場合は、最初にかかったS眼科の医師が病変を完全に見落としていたため、本来ならレーザー照射で十分治療できたはずが、手遅れ寸前にまで剥離が進行してしまっていた。こうなると、手術しなければならない。結局、眼科治療に定評のある東邦大学大橋病院に入院することになったのだった。
精密検査の結果、網膜が広範囲にわたって剥がれている上に、その剥がれた網膜が眼球内でクシャクシャになって癒着しかかっているという、ものすごく厄介な状況になっていることが判明。手術もかなり困難なものになった。クシャクシャになった網膜を慎重に広げ直して眼球壁に再び貼り付ける(癒着しかかってネバネバしているから、網膜を傷つけずに広げるのに非常に苦労したという)。そして、ここからがまたすごいのだが、眼球内に特殊なガスを注入するのだ。ガスの気泡で下から貼り付けた網膜を押し上げて眼球壁に定着させるという、想像を絶するような術後処置。だから父は入院中ずーっと顔を下向きにしていなければならなかった。食事の時もトイレの時も、もちろん寝る時も。これが一ヶ月近く続いたのだ。我々にはほとんど弱音を吐かなかったが、本当はかなりきつかったはずである。もし私が同じような状況に立たされたら、耐えられる自信はない。
結局、治療の甲斐あって視力は失わずに済んだ(ついでに老人性白内障の手術もやったのだ)。現在も半年に一度ぐらいの割合で大橋病院に通っているが、経過は良好なようである。
今回は、たまたま後にかかった医師の技量が優れていたこともあり、助かったからいいようなものの、これが命に関わるような病気だったらと思うとゾッとする(目でも十分ゾッとするが)。
医師は、やっぱり選ばねばダメだね。