うえぽんの「たぬき鍋」

日々のつれづれ、野球ネタ、バカ話など、何でもありの闇鍋的世界?

十年一昔(我、かくて大学に合格せり)

2005-01-18 00:24:40 | 雑記
何気なくダラダラとネットサーフィンをしていたら、この時期だから受験の話題が多く目についた。そんな中、「ロックな幸せ☆」というブログで、「楽しかったけど戻りたくない---受験生時代のお話」というお話をしていて、私も通っていた代々木ゼミナールが話題に上っていた。内容を読むに、どうやら、こちらの管理人のみお様(偶然にも私の妹と同じ名前だ!)は私と同世代のようだ。みお様が大好きだったという代ゼミ講師の話を、興味深く読ませていただいた次第である。

あれからもう10年も経つのだ。そう、あの年は阪神淡路大震災とぶつかったこともあって、余計に印象に残る。私は1浪していて、両親から「今年もダメだったら大学はあきらめて、就職するか専門学校に行くことを考えろ」と、やんわり釘を刺されていた。言われなくても私だって「恐らく2浪は許してくれないだろう」という覚悟は決めていたが、それに反して模試の結果は毎回超低空飛行を続け、確か受験間近の最終模試では、目標とする大学の合格率は全てD判定で、偏差値40前後ぐらいしかなかった。
実は、秋口早々に「このまま普通に受験したら合格できない」と悟った私は、ある賭けに出ていた。
 
得意科目の国語以外、全ての科目を「捨てた」のである。

国語だけで受験できる大学が、関東地方に当時6校あった。そして幸運なことに、私の元々志望する大学もそこに含まれていたのだ。だから、普段の代ゼミの授業も国語以外は出席せず、当時信奉して授業も取っていた椎名守先生(古文)國井丈士先生(現代文)のテキストだけを延々と解く毎日だった。それなのに最終模試でD判定の山を喰らい、非常に焦った覚えがある。

そこへ1月17日午前5時46分、阪神淡路大震災がやってきた。
前の晩、かなり遅くまでテキスト相手に神経をすり減らした私は、その時も熟睡していた。そこへ突然、揺れを感じた。「あ、地震だ…」目は覚めたが、まだボンヤリしていた。父がテレビをつけた。地震が来た時、私の両親の反応は実に素早い。どんなに熟睡していても、揺れを感じたり「地震だよ」と言う声を聞くとすぐ飛び起きて、まずはNHKの地震速報を見るのだ。
しばらくすると、テレビ画面に関西地方で大きい地震が起きた旨のテロップが現れた。「1人死亡」…あれ、こりゃただの地震じゃなさそうだ。そう思い、完全に目が覚めた。テレビでは臨時ニュースが始まり、被害状況を伝えている。その間にもテロップが次々に流れ、負傷者・死亡者の数がガンガン跳ね上がっていく。そして、いよいよ空撮の映像で高速道路が倒壊している場面が映し出され、我々一家はその被害の大きさに呆然としたのだった。
神戸に住む親類が被災し、家が壊れたりしたが、全員命は助かった。それは良かったのだが、あれからどうも受験勉強に身が入らずに困った。なぜか気持ちがフワフワする。受験が始まったが、そんな状態でベストの力が出るはずもなく、立て続けに4連敗を喰らってしまい、あっという間に3月になった。残りはあと2校である。

5校目の試験。そこにはちょっとした「事件」があった。試験当日、私は風邪とアレルギー性鼻炎で最悪に近いコンディションだった。頭がボーっとして何も考えられない。「こりゃ今回もダメかな」と思いながら受験会場まで行った。すると、受験会場の前で、おじさん数人が「電報のサービスをしています!」と声を張り上げていた。どうやら、合否の通知を電報で知らせてくれるらしい。他の受験生たちもゾロゾロと手続きをしている。私もつい勢いで料金の¥1000を渡し、手続きをした。
後から考えたら、十分おかしな話だったのだ。大体、そんなのは大学側でやってくれるはずで、何も会場の外でそんな呼び込みなどするはずがないではないか。まんまと一杯食わされた。相手が何者かは知らないが、金が取れて、おまけに住所のデータまで手に入る、絶好のカモにされたのである。ようやく気付いたのは、受験会場で「表にいる人たちは学校と全然関係ないので気をつけて下さい」と言われてからだった。

「あの野郎ども、受験生を食い物にしやがってー!!!!!」

プツーン!頭の中で何かが弾けたような感覚が確かにあった。完全にキレた私は、そこから先、家に帰ったあたりまであまり記憶が残っていない。ただ、なぜか怒りとは裏腹に、異様なまでに冷静な気持ちで問題用紙に向かっていた断片的な覚えだけはある。あれは一体何だったのか。まるで自分が自分でないような変な気持ちだった。ああいうのを「無心」と言うのだろうか。未だにわからない。
そこの合否通知が来るのは、6校目の試験日とかぶっていた。しかし、もはや私は諦めきっていた。6校目の試験はそれなりの手応えがあったが、その前に受けた大学も「それなりの手応え」で落ちていたから、とても期待はできない。「さて、これからどうしたもんかな…」放心状態で家に帰ったら、既に通知が届いていた。「どうせダメなんだから…でも、まぁ一応ね」そんな気持ちで机の上に足を投げ出し、ぞんざいに封筒を破り、中に入っている合格受験番号一覧と、自分の受験票を照らし合わせる。

「…5091…5091…!!…5091!?」

一瞬、心臓が止まったような気がした。もう一度、目をカーッと見開いて、受験票と一覧とにらめっこだ。間違い…ない。受かってる。その瞬間、また頭の中で何かが弾けたような感覚がして、意味不明の雄叫びをあげながら家族にそれを見せに行ったのだった。あの光景、端から見たらどう考えたってただ変人が暴れているようにしか見えなかったであろうが、喜び方がわからなくて思わず叫んで飛び跳ねてしまったのだ。
家族とひとしきり喜んだ後、今度は急に不安になった。「騙されてるんじゃないか!?」と思い始めたのだ。ひょっとして、あのニセ電報業者がウソの通知でもよこしてきたんじゃないかと。その数時間後、正式な合格通知を受け取るまで、私は生きた心地がしなかった。

6校目も合格したが、結局母校になったのは5校目の大学である。毎日使った2冊のテキスト、受験票、合格番号一覧表、合格通知は今も大切にとっておいてある。
よく考えたら、5校目に関してはあの事件がなかったら、ボーっとしたまま試験を受けて、落ちていたかも知れないのだ。だとすれば、一目惚れしていたアオチュー教授にも出会えなかったのである。むしろ、私はニセ電報業者に感謝しなければいけないのかも知れない。 

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2 コメント

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コメント及び、TBありがとうございます。 (みお)
2005-01-18 10:46:03
コメント及び、TBありがとうございます。

阪神・淡路のニュースは、世間から隔絶された、関東地域に住む一受験生たち(私のその周辺ですが)をも、TVの前に引き寄せました。



ところで『電報サービス』のおじさんたち、いましたねー。

学校側も注意を促すのが遅い!! 教室についてから、「学校とは無関係の人たちです」って言われたって、多くの人は料金を払い終えた後だし。

他にも、受験後に『解答速報』を有料・無料で配布する近くの予備校の関係者もいました。



学校前で配布するのは、ホカロンと鉛筆くらいで、いいよーーー。
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Unknown (うえぽん)
2005-01-18 14:54:33
みお様

ご来訪&コメント&TBありがとうございまーす。

ホントにあの時は、生まれて初めてぐらいの勢いでブチキレましたが、あれでかえって邪念がなくなって、問題にひるむことなく素直に取り組めたのでしょうね。



TB読ませていただきましたが、みお様も大変良い学校に合格されたようで(笑)。私も、どの学校もほとんど事前調査なしで受けましたから、いざ合格したはいいものの、まさか前半2年間は千葉の奥地へ片道2時間通学だなんて思いも寄りませんで、いや~、エライ目に遭いました(下宿する金なんてなかったし)。



今後ともよろしくお願いします。ではでは。
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