うえぽんの「たぬき鍋」

日々のつれづれ、野球ネタ、バカ話など、何でもありの闇鍋的世界?

うえぽんの”(私が)使えん外国語”

2005-05-21 18:29:17 | 雑記
「ロックな幸せ☆」で「みおの”使える韓国語”---NHK教育『ハングル講座』(昨年のやつ)」という記事が。
う~んハングル。発音だけはわかるんだけどなぁ。あの「○」だの「□」だのカタカナの「ト」や「ス」みたいなやつだの、あれらはすべて単なる発音記号だから、その内容と組み合わせの規則を一通り覚えてしまえば誰でも発音は可能なのだ。自分の名前ぐらいなら書ける。ただ、私の場合文法を覚えるのが苦手なのと、脳内で一旦日本語に変換するクセが抜けきらないためにそこでつまづいてしまい(ヒアリングができない)、進展しないのである。思えば、英語に始まって、私の語学の勉強は毎度こんなんばっかりだった。

英語に関しては、中学3年途中までは得意科目だった。しかし、これには裏があって、単に教科書の内容を塾でちょっぴり先取りしてやっていたからで、英語を本当に理解しているわけではなかったのだ。その証拠に、高校に入ってその塾を辞めたら成績は一気に急降下し、苦手科目と化したのだった。何がわからないのかすらわからないという泥沼状態。それでいて勉強嫌いだったから成績が上がる訳がなかった。文法(「グラマー」って言いましたよね)で赤点を取ってしまった覚えもある。唯一好きだったのは、3年の時に必須選択で取っていた、「シカゴ・トリビューン」という新聞に連載されていたマイク・ロイコのコラムを毎回和訳して読んでいくという授業だけだった。コラムの内容が面白かったのと、担当が担任だったので、やりやすかったからだ。この授業を除けば、残りの英語の授業は記憶にすら残っていない「暗黒の世界」であった。

予備校では秋口に英語を捨て(詳細は「十年一昔(我、かくて大学に合格せり)」をご参照されたし)、国語一発勝負で何とか大学に滑り込んだ私である。大学では教養科目として、外国語の授業が必須であるのが一般的である。しかも、基本は2ヶ国語。「さあ何を選択したものか…英語やらなきゃいかんのかなぁ。だとしたらまずいなぁ」とシラバス(教授〔講義〕要目集)を開いてみたら、何と第一外国語(略して「イチガイ」)は、英語か中国語の二者択一だったのだ。「ラッキー♪」心の中で小躍りした私が中国語を選んだのは言うまでもない。第二外国語(略して「ニガイ」)は、親戚に某大手新聞社モスクワ支局長がいたことを思い出し(当時、既に亡くなっていたが)、「これでいいか」とロシア語に決めたのだった。

中国語は、漢字を使っているから読めば大体の意味はわかるが、クセモノは発音だ。「四声」と言って、日本語にはない厳密なイントネーションの区別があり、例えば同じ「マー」でも抑揚を変えれば全く違う意味になる。「マーママーマー」カタカナで書くと赤ちゃんがお母さんを呼んでいるようだが、ちゃんと中国語の文章になっているのだ。その正体はこちらで詳しく述べているのでぜひご参照いただきたい。

ロシア語は、文字やら何やらピンと来ない人がいるかも知れないが、長いことネットをやっている人ならきっとお目にかかったことがあるはずだ。特に「2ちゃんねらー」の方々(笑)。例えば、こんな顔文字。

ガクガク(((( ;゜Д゜))))ブルブル

恐怖にうち震える表情がよく出ているが、この口の部分の「Д」。これが、ロシア語で使う「キリル文字」の一種で、アルファベットに置き換えると「d」にあたる。

Здравствуйте! Меня зовут Уепон. Спасибо!
(ズドゥラストゥビチェ!ミェニャ ザブート ウエポン。スパシーバ!)

久々に教科書出してきて(ちゃんととっといてあるんですよ。辞書とか高かったんだから)、書くのにえらい時間がかかった。ひょっとしたらスペルが間違っているかも知れない(笑)。ちなみに、日本語訳は「こんにちは!私の名前はうえぽんです。ありがとう!」である。ロシア語は、文法はそれほど厳密ではないのだが、男性・女性・中性名詞があるのが非常に難しいのだ。これもまた、ものになることなく終わったが、授業は楽しかった。ただでさえロシア語など履修する物好きな学生は少なかったのだが、2年生になって続けて取ったら、なんと学生は私を含めて3人だけ!講師のK先生も授業はそこそこに「じゃ、今日はこの辺でお茶にしましょう」なんて言って学食でしょっちゅうおごってもらったものであり、未だに年賀状のやりとりをしている。

ハングルが読めるようになったのは、単なる偶然からである。私はCMソングの研究や収集が好きで、たまたま韓国のCMソングをMIDIで聴ける「MIDIクモンカゲ」というサイトを発見したのだが、そこにハングルで歌詞が書いてあるのを見たら、「この組み合わせでこう読むんだ…」というのが少しずつわかってきて、とりあえず発音の規則だけは覚えてしまったのだった。あとは単語のボキャブラリーや文法なのだが「そこまでは別にいいか…別に住む訳じゃないし韓国人の知りあいもいないし」とか思ってしまって、そこで止まってしまっている状態だ。「切迫感の無さ」が、私が語学を習得できない最大の原因のようである(爆)。

ちなみに、叔父は英語に強く、インドネシア在住経験があるのでインドネシア語もいける。ただ、帰国して20年以上も経つので、ちょっと怪しくなってきたと言う。やはり使わないと忘れてしまうらしい。語学は使ってナンボなのだ。ただ、私の場合は肝心の日本語力が昔と比べると鈍くなってきているような感があり、他国語を覚えてるどころではないような気がするが。
コメント (6)
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