うえぽんの「たぬき鍋」

日々のつれづれ、野球ネタ、バカ話など、何でもありの闇鍋的世界?

こんなヤツが住んでてすみません。

2005-05-07 17:22:49 | 雑記
昨日、ながの氏と待ち合わせて飲みに行ったのである。場所は彼の地元、自由が丘だ。普段は家から自転車で行くところだが、あいにく雨が降っていたので電車である。
駅に降り立つと、その人の多さに驚いた。まぁゴールデンウィークの中間日、休みの人もいるだろう。そうでなくても金曜日の夕方である。携帯電話片手に連絡を取り合う待ち人たち。家路を急ぐ地元の高校の生徒たち。同窓会とおぼしき若い男女の集団。老若男女、人種のるつぼである。ながの氏を待っている間、ボーっと駅前のにぎやかな光景を眺めていたのだが…。

「こんなに来てるけど、自由が丘って、そんなに何かあったっけ?」

いや、わかるんですよ。いろんな店があるし、渋谷にも横浜にも近いし、住みたい町ランキングでもやれば必ず上位に食い込む土地だって事は十分承知の上です。でも私やながの氏のような、おしゃれにもグルメにも大した興味がない人間にしてみたら、自由が丘で見どころって言ったら「本屋が多い」ぐらいしか思いつかないのである。飲み屋だって全然知らない。行くのは判で押したように同じ店。しかも、チェーン店だ。
むしろ「外」の人間の方が自由が丘の店に詳しいことだろう。えてして、そういうものだ。意外と、地元の人間の方が地元に疎い。

私にとって、自由が丘は幼稚園の時から母の自転車の後ろに乗って、しょっちゅう買い物に連れて行ってもらった、地元と言うに近い土地である。特に覚えているのは自由が丘デパートひかり街。いずれもおしゃれというより実用本位の商店街でもって、一般的な自由が丘のイメージからは少々ずれる。しかし、私らにしてみればあれこそが古き良き自由が丘であり、最近でき始めた店はちょっとばかり「ヨソモノ」みたいな感覚がある。何せ、ちょっと目を離すとあったはずの店がなくなり、何もなかったはずの場所に見たこともない新しい店が入っている。ついていけないのだ。あまりそういう回転が続くと、新しい店ができても「どうせまたすぐ潰れるんでしょ」と、すっかり醒めた目で見るようになってしまい、これじゃ愛着もへったくれもない。興味ある分野の店でなければなおさらのことである。
感じるのは、そこだけ別世界みたいに浮いているような感覚。世間的に持ち上げられている町ほど、いいイメージを持つ人と実際そこに住んでいる人間との温度差は大きかったりするのだ。

目黒に住んでいると言ったら「いいところに住んでるね」とか「うらやましい」とか言われる。でも、住んでみないと見えないものもあるし、逆に住んでいるから見えにくいものもあるわけで、うれしいような申し訳ないような、複雑な気持ちである。
コメント (11)
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