9月は、毎週お祭りです。
土曜日は、子供神輿と山車。
子供たちが集まってくれて嬉しい。
僕は、山車の舵取りですが、うまいです。
日曜日は、大人神輿。
高張提灯を先頭に渡御。大人神輿を久しぶりに担ぎました。
我が町会は渋谷区ですが、新宿区、中野区に接してます。
この日は、新宿十二社熊野神社の祭礼とぶつかりました。隣町会新宿区柳橋睦がお応援に来てくれたので、夜担ぎに行ってきました。
久しぶりに肩を入れて楽しかったです。
9月は、毎週お祭りです。
土曜日は、子供神輿と山車。
子供たちが集まってくれて嬉しい。
僕は、山車の舵取りですが、うまいです。
日曜日は、大人神輿。
高張提灯を先頭に渡御。大人神輿を久しぶりに担ぎました。
我が町会は渋谷区ですが、新宿区、中野区に接してます。
この日は、新宿十二社熊野神社の祭礼とぶつかりました。隣町会新宿区柳橋睦がお応援に来てくれたので、夜担ぎに行ってきました。
久しぶりに肩を入れて楽しかったです。
女性に対して「結婚したら?」とか「結婚しないの?」「早く結婚したら」ということはセクハラなのか。
男性にたいして「早く結婚したら」ということもセクハラなのか。
独身でいないで結婚して家庭を持ったらいいよということがセクハラだというのは、少し行き過ぎじゃないか。
都議会で野次として言った事と普段話すことの意味が違う。
結婚を進めることがセクハラだということが理解できない。女性蔑視だということが分からない。
結婚は悪いことじゃないと思う。むしろ良いことだと思う。
男女が結婚し、家庭を持ち、家族を持ち、生涯を共にすることは幸せなことだとは思いませんか。
もちろん、結婚をしないで、独身を良しとする方もいるでしょう。
女性は結婚して家にいて子育てして亭主のお三ドンしてればいいんだよ、家に引っ込んでろ、結婚しないのはできないんじゃないの、結婚をそのような捉え方で女性に押し付けるのは古い考えだとは思う。
今や女性は社会に参画し、今時、家に引っ込んでいる人などいない。
ただ結婚生活は互の都合だから、どんjな形でもいいわけで、女性が家にいて何故いけないとも言える。
女性が男どもにどれくらいひどい目に遭ってきたか、すべてがそんな具合ではないと思う。
男性は女性に優しいですよ。
男と女にとって、セックスはタブーじゃないはず。
だから空気読めよ!てことだ。
今回、弥生ばやし連は、引き屋台で登場です。
本三西町会にデビューしました。
町内神輿渡御の先頭を歩きながら笛を吹き、太鼓を打ち、鉦を鳴らす。
今までお囃子のなかったこの町会ですが、鳴り物が神輿に付いたことで、町内の人が家から出てきて顔を見せてくれたと、町会長も喜んでくれました。今まで寂しかったみたい。
担ぎ手も、お囃子が付いているので、威勢よく、盛り上がってました。
町会の人たちや担ぎ手にも賑やかで楽しいと好評で、大変喜んでもらえました。応援に来ていた他町会からもお誘いを受け、うれしい限りです。
最近は面白い人たちが神輿についてます。
本三西町会の皆さん、ありがとうございました。
福島第一原発前所長吉田氏の調書が公開された。この調書は原発事故の恐ろしさをリアルに伝えている。
原発は安全だから稼働させる。しかし絶対事故が起こらない保証はない。
飛行機だって安全とはいえ事故は起きる。だから飛行機を利用することを止めろとは誰も言わない。それと同じように原発稼働を国も東電も考えている。安全基準が守られても絶対はないのだ。
吉田調書に見る原発事故の恐ろしさは、ともすれば日本の半分が放射能に汚染されて焦土となる危機があった。原発がもたらす利益と失うものを比べたら、明らかに失うものの方がはるかに大きい。その危険を冒してまで原発政策を続けることは政治と東電は如何なる覚悟と責任を考えているのだろうか。
多分、二度と事故は起こさない。事故が起こったらどうするなんで考えたらできない。事故はすべて想定外なのだ。
福島はどうなった。被害が少なくて済んだ。これぐらいで済んで良かった。そう思っているのか。福島で学んだことは再稼働することではなくて、原発を止めることではないだろうか。
人間は失敗と経験を積んでより良いものを作る。それは原発に当てはまるのか。
放射能の恐ろしさを国民はわかったはずだ。
国も東電も分かっていても今すぐ止められないのは、国の政策、経済であり、東電の経済的理由にほかならない。
電気代は高くなるぞ、経済は悪くなるぞ、東電破産、廃炉に税金使うぞ、どうするんだ?
結論、リスクがあっても続けるべきだ。
事故が起きれば、日本は放射能で住めなくなる。そんなことはないと、誰が保証できる。
吉田調書は、あらためて原発事故の恐ろしさを蘇らせる。戦争よりも悲惨だ。自爆に違いない。
ただ、事故を何とかして最小限に止めようとした現場の人たちには敬服しなければならない。
愚か者は誰だ。
ヘイトスピーチというと、日本では、在日韓国人に対する抗議デモが言われている。
確かに、汚い言葉、不愉快な言葉があることは事実だし、聞くことも嫌だ。
人は、憎悪したり怒るとなんでそのような言葉を発するのだろう。そんな言葉、最初から無ければいいと思うのだが。
この汚い言葉、不愉快な言葉は、誰が使い始めたのだろう。僕もいつから覚えたか記憶はないが、小さい頃からあるように思う。多分、小さい頃は、親、友達、大きくなって友達、書物、メディアということになる。
敬語や尊敬語があるように、汚い言葉、不愉快な言葉もあるのだろうか。だとしたら、TPOによっては使ってもいいことになる。
差別用語というものもある。人が不快に感じる言葉や下品な言葉はなぜあるのだろう。必要なのか。
汚い言葉や不愉快な言葉、下品な言葉は、人間として知的能力が低いということなのか?それとも育ちが悪いということか?
ヘイトスピーチの言い合いは、汚い言葉を知っている僕でも聞いていて辛い。でもそれは客観的に外から見ているだけからかもしれない。僕も憎悪を抱けば発するかも知れない。
人間は憎悪を抱いてはいけない。怒ってはいけないのかといえばそでもないはずだ。その時、どんjな言葉を発するか、それが問題なんだろう。どんな言葉が良いのだ。
罵り合って得るものは何なのか?
感情の不毛でしかないのでは?
結局、朝日新聞は池上氏の論評を掲載した。
池上氏の論評を読んだが、どうして掲載を控えなければならないと検討しなければならfないのか分からない。
この論評を素直に掲載できない朝日新聞は、経過説明とお詫びの掲載より、社内の体質改善が大事なのではないだろうか。
池上氏の論評は「検証をして間違っていたなら、お詫びもしたら」と言ってるだけだ。
朝日新聞といえども、法人が拒否できるわけはないのだから、責任者が責任を取るべきだと思う。
責任を取るということは、外すということだ。報道という立場には過ちは許されないし、信頼は取り戻せない。一新することが朝日の反省だと思う。
従軍慰安婦問題においても植村隆他担当責任当時の役員全てに時効はないはずだ。ごめんなさいで済まない状況をどう償うべきか真剣に考えるべきだと思う。新聞社にも国家にも不利益を与えたのだ。それを法人個人に対する誹謗中傷、脅迫と捉えるのはいかがなものか。
検証もそうだったが言い訳に終始し、隠蔽しようとする行為は、朝日新聞の記事をすべて疑って掛からなければならないことになる。そんな新聞は読みたくない。
朝日新聞は、しばらくの間、朝日新聞検証、反省、改革をテーマに記事を作ったほうがいいと思う。
自分を痛めつけてこそ本当の道が見えてくると思う。期待したい。
今日から2日間、中野本郷氷川神社のお祭です。
当社事務所は神田川にかかる中野新橋のたもとにあり、弥生町二丁目になります。川向こうは道玄町会と千代田町会。複雑な位置にあります。
弥生町二丁目は全国でも珍らしい町会で、神明神社と本郷神社の氏子が混在しており、隔年に両神社の祭礼に参加しております。今年は弥二睦は神明神社でしたが、本年、本郷神社の3年に一度の本祭り連合渡御に当たり、二度御神輿を出すしだいです。
私は、獅子舞保存会と一緒にお囃子をお手伝いする予定です。
今日土曜日は、中野本郷神社境内、神楽殿において19時から子供神楽が上演されますが、子供のお囃子も演奏する予定です。私も陰ながらお手伝いです。
元気に出て行きました。