近頃の教育とかいろいろブツブツ

近頃の教育としましたが、数十年前より状況がおかしいと思います。
他のこともブツブツと愚痴ると思います。
隔日です。

職場での受動喫煙対策強化

2011年09月10日 | Weblog
 2011年9月7日に毎日新聞で報道された記事に『職場の受動喫煙:対策強化 「全面禁煙か分煙」義務 厚労省、法案提出へ』というのがありました。内容は毎日新聞でね。
 『厚生労働省は6日、職場の受動喫煙対策を強化するため、一般の事業所や工場では全面禁煙か、一定の条件を満たす喫煙室以外での喫煙を認めない「空間分煙」を事業者に義務付ける方針を固めた。』というのですね。客が喫煙する場合は換気装置などである一定値以下の浮遊粉じん濃度にするようにとか。
 3月11日の東日本大震災で原子力発電所の事故がありましたね。そして、放射線の影響についてどの程度かという目安の報道がありました。原爆被害者の発癌率や喫煙・受動喫煙での発癌率などから算定されたものですね。その中で、受動喫煙について、配偶者の一方が喫煙者の場合の相手方のリスクについて、「年間200ミリシーベルトぐらいになる」というのがありました。
 前々から書いていますが、今騒がれている1ミリシーベルトや10ミリシーベルトに比べて、圧倒的にリスクが高いですね。ですから、厚生労働省は「職場の受動喫煙対策」を強化することになったでは。求めるのは「完全禁煙」か「一定の条件以上の設備を備えた喫煙室のみでの喫煙」にということですね。そして、将来的には「罰則規定」もということのようです。当然ですね。
 放射線のリスクが低いとかではなく、非常にリスクの高い喫煙が放置されてきていたというのが日本の現実ですね。喫煙では、臭いがあることもあるのですが、発がん性物質すべてが臭いを持っているわけではないのです。放射線と同様に目に見えない、臭いもない、音もないというようにしてからだに侵入してくるのです。その上、放射線と違って、肺の中などに残留物を残していきます。この残留物による害も計り知れないものがありますよ。
 まあ、喫煙は認知症にもなりやすく、脳梗塞や心筋梗塞などの血管系の病気にもなりやすく、COPD(慢性閉塞性呼吸器疾患)にもなりやすく、その他の病気にもなりやすくなり、その上、発がん性も高いのです。これらは受動喫煙でもリスクが高くなるのです。ですから、全面禁煙が一番よいのですが、少なくとも「完全分煙」を実現させるように法令を整備し、実行させるのが厚生労働省の務めであると考えます。

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想定は変化しますよ、民主党さん。災害に備えましょう。

2011年09月08日 | Weblog
 2011年9月3日に四国に上陸した台風による大雨で紀伊半島に甚大な被害が出ましたね。そして、9日未明あたりに紀伊半島に雨が降るということです。それで、被害は心配されています。
 今回の豪雨では、3日間で2500ミリが降ったというのです。熱帯多雨林はたしか、年間4000ミリ前後の雨量かな。それの7ヶ月分程度が3日間で降ってしまった量です。梅雨の時の宮崎などの豪雨でも1000ミリを越えていますね。昨年の山口県、今年の新潟福島豪雨と数え切れないぐらいになっています。
 今までの官僚が想定していた「100年に一度」程度の災害の雨量を近年は簡単に超えてしまっているように思うのです。気象庁はしょっちゅう「観測史上・・」をよくいっています。それだけ、気象現象が変わってきている感じがするのです。「水蒸気をたくさん含んだ気流」が次々に供給される状態になってきたということかな。
 このような状態で、今までの「100年に一度」程度を起こらないと考えていたのが、民主党かな。マニフェストの財源確保にかな。このような民主党の事例は他でも見られますが、政権党とは思えない政治運営と感じています。もっと、謙虚に政治経済財政や自然現象などを学んでください。そして、次の総選挙で過半数を維持したいなら、「出来ない」ことが「今は出来ない。将来・・する」とかしたほうがよいのでは。
 水害で被害が多発している状況で防災予算(河川改修などを含む)を減らして、マニフェストに予算を回すのはどうかと思います。ですから、先の3党合意の方が現実的だと思うのです。災害は待ってくれないのです。

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健康維持のためにはたばこ大幅値上げを

2011年09月06日 | Weblog
 2011年9月5日に今度の森内閣の小宮山厚生労働相が「たばこ、最低でも700円」とかいうことを記者会見でいいました。すると、他の閣僚から、「・・」とかですね、あったので「政府税調で検討して」とかということを記者会見でいったようです。
 たばこ税を税収として、使うのは間違っていると思うのです。たばこ税は、たばこ消費を減らす目的で設定し、それでいくらかでも税収があれば、健康維持や医療等の目的税と設定するべきものだと考えるのです。最終は「たばこ消費ゼロ」を目的とするための手段の一つとして、「たばこ税」であって、他の諸税とは性格が大きく異なるように法令を作り直す必要があると考えるのです。
 あの原子力発電所の事故で、報道された中に「放射線の発癌リスク」と「喫煙の発癌リスク」というのがありました。たばこは自身の喫煙ですと、5~6本同時ぐらいが限度かな。吸い続けた場合は1日で何本ぐらいになるのかな。まあ、このことでの即死はないかもですが、喫煙の蓄積で心筋梗塞や脳卒中などによる即死があります。放射線でも多量になると即死状態がありますね。
 でも、今、ほとんどの地域で問題にされている放射線量は年間1ミリシーベルトや10ミリシーベルトです。配偶者が喫煙者で配慮がない場合の非喫煙の妻(あるいは夫)のリスクは年間200ミリシーベルトぐらいになるというのがありました。喫煙者のリスクはもっと大きいわけですね。増税はこのような危険物を減らすためであって、税収のためではないのですから、政府税調はガタガタいわずに増税を認めるべきです。
 喫煙の害は、がん以外にも即死のある心筋梗塞や脳卒中、これらは即介護もありますよ、酸素ボンベが必要になるCOPD(慢性閉塞性呼吸器疾患)とか数え上げれば切りがないですよ。
 喫煙閣僚がおれば、禁煙させる意気込みで頑張るべきです。 

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「体罰=愛」の誤解

2011年09月04日 | Weblog
 2011年9月3日の日本経済新聞夕刊「こころ」面に「児童虐待を生む土壌 川崎二三彦さんに聞く」という記事がありました。川崎二三彦さんは現在「子どもの虹情報研修センター研究部長をされているということです。
 記事の中の大きな見出しに『「体罰=愛」の誤解いつまで』と「子の行動、親は熟知を」というのがありました。「体罰は法則的にエスカレートせざるを得ない」というのです。民法にある親の子どもへの懲戒権ですね。これに体罰も含むという意見があるというのです。このようにいっている人は自身どうなのでしょうか。はじめは軽い体罰でも、普通はしてしまうと子どもは大きくなっていくので、次はより強くとエスカレートするというのです。まあ、全員が全員ではないですけどね。でも、多数がエスカレートしているというのが現状かも。
 躾とかからの体罰は、ほとんどは「子への無知」からきているとも思えるのです。「なつかない」→「殴る」というのはよく報道されているパターンです。また、例えば、食事の時の躾でも「早すぎる躾」を判っていないとかですね。子どもの成長と行動に対する無知状態ということです。親は子どもを熟知しなければならないのですが、基礎的教養がなければ難しいですね。今の教育のように順位とかのめり込んで、本来必要な教養が無視されている感じがするのです。授業があっても「授業した」というだけで「教養」になっていないのですね。
 体罰は虐待へと繋がります。そして、この「体罰」も「虐待」も「見えない」というタイプもあるのです。「見えない虐待」とかになりますと、子どもの親も気がついていないことが起こりうるのです。俗にいう「勉強」ですが、一見進んでしているようでも「見えない虐待」状態の場合はどこかで切れることがありますよ。大人になってからの「家庭内暴力」とかもね。DVとかいう形で問題が出てきたりします。問題が出てこない家庭が「理想的」とかいわれているのが現状でしょうか。親子とも気がついていない状態だけなのにです。
 これにあるのは、基礎力を十分につけてより発展的にではなく「取り敢えずその場しのぎ」になってしまうことが多いみたいですね。ですから、勉強時間の割に効果がなかったり、昨日も書きましたが、大学入試センター試験「生物」で考察問題を増やすと平均点が下がるような勉強になってしまうのですね。
 順位競争の見えない虐待に落ち込んでしまったら、子どもが家庭内暴力を起こしても親は気がつかないでしょうね。これは、世間一般がそうなってしまっている感じがします。あの大阪府知事の橋下氏などはその典型でしょうね。子どもそのものを親が受け入れなくなってしまうとも思うのです。子どもにとっては居場所がなくなるということになります。
 おかげさまで、世間に間違った子育て家庭が多かったようなので、家でゴタゴタいうことなく難関大学に進学してくれました。

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教育には飛び級や待ちとかが必要なのでは

2011年09月02日 | Weblog
 2011年になっても、大阪府の橋下知事などの教育への話しぶりですと、同一学年での順位争いをさせるのを想定させるような言いぐさが耳につきます。
 そして、飛びや待ちとかが出来ない硬直した教育状態にしているのに気がつかないようですね。「飛び級」ではなく、「待ち」そう児童生徒の成長を手助けしながら待つわけですね。ところが、今の日本の教育への意識ですと「待つ」というのは「原級留置」も伴うこともありますし、そうでない場合は補習とかですね。これ、「平等」というをどう捉えるかです。待たないときは、判らなくても進級ですね。判らないから「丸暗記」とかになっていきますよ。それと、教育の意味の取り違えが深刻になっていきます。
 本来、子どもは勉強好きです。それを自発性のない義務感覚の受け身の教育にしていくのは、親や教師が子どもの成長ではなく、ただただ「順位」で見ているからでしょうね。ですから、「丸暗記」大好きが多くなってきているのでは。「丸暗記大好き」生徒とかには、覚えることだけで考えさせずに覚えさせ、トレーニングすると取り敢えずは覚えています。ですから、大学入試センター試験で考察問題とかを増やすと平均点が下がるのですね。考察問題は出題教科によっては作りにくいのがあるみたいですね。
 元々日本人は「覚える」というのが好きだったりしているのかな。「読書百遍」とかいう言葉もありますね。でも、以前は「遊び」が自然を相手であったり、多学年で構成されていたりでした。どちらも減ってますね。クラブ活動は多学年ですが、多くの場合は管理されていたりしてね。
 「飛び級」の方ですが、飛び級が出来るほどというのは「優秀」なのですが、単純な順位でのみの評価を続けていたらどうなるのでしょうか。親がしっかりしていないと「慢心」というのが起こりやすいですね。ですから、出来る子にとって「相対評価」は「皆でサボれば怖くない」の入り口になる恐れがあり、その時、たまたま順位が悪いのが続いた子にとっては,さらに順位の子、点数の悪い子があれば、「ラッキー」になってしまうようです。勉強内容も発展性のない記憶中心に向かってしまう恐れが多いですね。
 教育とは、子どもがどう成長したかであって、何番になったかではないのです。何番とかは「入試」の本番だけでいいのでは。それも、出来るだけ「アバウト」な判定で、入学後、勉強させて卒業基準を守って貰う方がよいのでは。そして、何浪しようがいいではないですか。どれだけ、「飛ぼう」がいいではないですか。そうすれは、今よりは「勉強」に向かってくれるのではと期待しています。
 私の家庭では「何番?」とかいうのは、塾通いの時でもほとんど出ませんでしたね。大学入試の時もね。俗にいう「難関大学」に進学してくれました。「勉強しろ」といったこともほとんどありません。親が見本をみせればよいのですし、幼児期とかには本読みとかの遊びのお相手はしました。俗にいう早期教育はしていません。「勉強は楽しい」を実感させるのいいですし、順位競争を親とかがけしかけると「勉強は義務」になりますよ。

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