結婚にまつわる話が続いている中、ついでにもう一つ。
結婚というのはアカの他人が一緒になって新しい家庭を作っていくことなのだが、生物学的には異なる遺伝子の組み合わせによって新しい係累を残す為のものだという当たり前の事に気がつかされる。
だから必ず子供を作ろうという話ではない。
作る作らないは各々の夫婦の価値観・人生観によるものであり、なんら強制されるべきものではない。
ただ、結婚する時に相手方の親を含む親戚一同に会った時にそれを強く感じることがあって、明らかに自分の血縁とは違う異種のニオイを感じたからだ。
夫婦は他人だと言われるが、相手方の親戚に囲まれると余計それを意識してしまう。
無論、育ってきた環境が違うから、考え方や価値観などは違っていて当たり前だが、それは遺伝とは直接関係がない。
が、カミさんと驚くほど似ている彼女の肉親や親戚を見ていると、この一族と結婚するんだということをひしひしと感じた。
あたかもカミさんが相手方のDNAの代表選手であるかのような感じがしたのだった。
「じぞうさんのブログ」にも結婚して相手方に挨拶をした際に同様な感想を抱いた事が述べられていて自分の意を強くした。
当時、そこまでは深く考えが及ばず、結婚とは二人だけの問題ではなく、相手方と親戚になることを実感する根拠だと漠然と捉えていた。
それから20年、そのとき感じた事が日々の生活を通じて、大きく増幅されてきた。
見た目の類似点だけでなく、体質やしぐさ、クセにまで及ぶのだ。
あくびの仕方一つをとってもカミさんとその弟がそっくりだったりする。
先ほど関係ないとした価値観なども、場合によってはそういう同じ体質の下で育まれて極めて酷似する事もあり得るだろう。
長い結婚生活を経るとこんな細かい事まで自然と気がつき、場合によっては、とても気になってしまうものもある。
勿論、これはお互い様なので、相手ばかりを責めるわけにはいかない。
夫婦の仲がうまくいかなくなると、こういった事が一々気になって許せなくなるのもよく分るようになった。
嫌いになると相手と同じ空気を吸ってるのも嫌だと、よく言われるが、あながちこれは大げさな表現ではないと実感している。
子供が生まれると、それがもっと顕著になる。
二人の遺伝子が混ざり合って子供が生まれるわけだが、必ずしも50:50の比率ではないにせよ、明らかにそれぞれの遺伝子の特徴を見つける事が出来る。
知らない人が見ても間違いなく同じ家族だと認識してくれるに違いない。
つまり血縁というものを物凄く意識するのは、やはり子供なのである。
我ら夫婦もアカの他人同士だが、お互いのDNAの合作である子供を二人作った事で一族を形成できた気がする。
いつの日か、子供達が結婚する時があれば、一族として相手方の一族に会うことがあるだろう。
どんな遺伝子を持った人達だろうかと、今からとても楽しみになってきた。
もっとも子供達が必ず結婚するとは限らないのだが・・・・。(^-^;