こだわりの生活

ヒゲオヤジの何でもやってみよう、見てみよう挑戦日記

娘のヤル気

2008-05-08 07:18:00 | 日記・エッセイ・コラム

Tennis小学校4年生の娘がテニススクールへ通いだして、もうすぐ1年になる。

嬉々として通っていたが、テニスというより皆とワイワイ言い合いながらラケットを振り回す事が面白かっただけのようだった。

半年後、それなりにラケットに当たるようになると、ちょっと事情が変わってきた。

一つ上のクラスへ進級する事が出来たのだが、今度はラケットを振り回すだけの遊びからスポーツへ少しづつ変わってきているのだ。

そうすると、進級できた喜びも束の間、今度は周りのレベルが上がったことに戸惑い、置いてかれてる不安感が顔を出し、アセリが出てきた。

そうなると、このまま上達せずにやめるのかどうかが、正念場だった。

娘とそういう話は一切しなかったが、顔を見てれば一目瞭然。

どういう気持ちで通ってるかすぐ分る。

こういう不安を抱えてる時でも、「テニスはどうだった?」と聞くと「楽しかった。」と楽しくなさそうな顔で答えるから、小さい子供ながら無理してるんだね。

周りについていけなさそうな事を口惜しがってるせいなのか、自分の不甲斐なさを恥ずかしいと感じるせいなのか分らないが、ホントの事を言おうとしない。

いじらしいね、自分なりに何とかしなくてはと必死でだったように思う。

この頃、練習したいから付き合ってとか、言ってたな。

こんな時、親として余計なことを言うべきではないと思う。

どう本人が対処して乗り越えていくのか、よく見守らなくてはいけないからだ。

乗り越えるのに少しでも手助け出来る事があれば、勿論するが、手出しできる事はあんまりない。

自分で壁を乗り越えていくしかないのだ。

当然、無理して続ける必要もなく、楽しさが見出せないのならやめても一向に構わないと思っていた。

親としては、色んな事を小さい頃からやらせて、体験させておきたいと思ってるだけで、背伸びしてまでやる必要はないし、子供に押し付けるつもりもなかったからだ。

色々試してみて、自分にピッタリ合うモノが早い時期に見つけられれば、こんな幸せなことはない、そんな感じでやらせているだけだ。

幸いに自分なりに最初のハードルは越えたみたいで、最近は再び嬉々として通っている。

フォームを両手打ちから片手打ちに変えるなど、試行錯誤に余念がない。

さすがに教室に通ってるだけあって、イージーボールなら鋭い打球を返す事もある。

ただ、ボールを追いかけていって、ボールとの適切な間合いを取って打つというのは、そんなに簡単に出来るものじゃない。

それこそセンスが問われるわけで、テニスの一番難しい部分だろう。

ジッと立ってる所に打ち易いボールが来れば誰だってうまく打ち返すことが出来るわけで、生きたボールを打ち合うというのは本当に難しい。

これが次のハードルになることは間違いないだろう。

でも、息子がバスケットに夢中になったように、娘にも何か夢中になれる何かが見つかればこんなに嬉しい事はない。

テニスがそうなるといいなと思って、温かく見守るほかないよね。

強制されることなく、自分で楽しさを見出したヤル気なので期待は持てるかもしれない。