こだわりの生活

ヒゲオヤジの何でもやってみよう、見てみよう挑戦日記

20年目

2006-12-28 21:57:12 | 日常生活

先日、カミさんの顔を久々にじっくり見る機会があり、思わず「老けたな~」って漏らしたら、「その言葉、そっくりそのまま返すわよ」って憤然として反撃された。

そりゃそうだ、老けたのはお互い様で私だっていつまでも若くいられるわけがない。

今年の9月21日で結婚満19年を迎え、現在20年目に突入している。

実際の生活レベルではそれほどの長さを感じなかったこの19年だったが、お互いの顔のシワを見れば如実にその長い歴史を物語っていると言える。

男は一生懸命に仕事をして、妻は家庭を守り、健やかな子供に恵まれ笑いの絶えない温かい家庭を作りたいと願って結婚したのだが、現実はかなり違っていた。

幸い、笑いの絶えない明るい家庭というのは実現したが、色々と夫婦の思惑が違っていて最初から自分の理想通りにはならなかった。

今でこそ、子供に恵まれているが、結婚前から子供はいらないと言われ、夫婦共稼ぎで当時流行ったDINKS(Double Income No Kids)を地で行く夫婦だった。

当初から全く考え方が違っていたのだが、その内考えを相手が改めるだろうとタカをくくって結婚に踏み切ったわけだ。

実際、相性が良いし一緒にいてこんなに楽な相手は今までにいなかったので何とかなるさと思っていたのも事実だった。

幸いにも、今までの歩みの中で、お互いの妥協点を見出して子供を作ることも出来たし、大きなトラブルもなくここまで来れた。

私が、より家事をサポートしやすい今の会社に転職し、カミさんが仕事を続けられるようにした結果、子供を作る事が出来たわけである。

仕事を変えるという大きな妥協を私がして、カミさんが欲しくないといった子供を作るという妥協をした結果である。

いざ、子供が出来たらカミさんも溺愛するようになって、二人目を結果的に作ったわけで、いらないなんて言ってたくせに、人間なんて分らないものである。

但し、自分の子供に対してはそうだが、他人の子に対しては今まで通り何一つ子供嫌いは変わってはいない。

それにしても、色々考えて悩んでいたらいつまでたっても結婚なんて出来やしなかっただろう。

たまたま運が良かっただけなのかもしれないが、どっかで見切りを付けて乗っかるしかないのも結婚だ。

失敗してもうまくいってもそれが全てではないし、先のことは読めない。

必ずしも上手くいくとは限らないが、実際結婚してみなければ何もわからないのも事実だろう。

どうしても結婚するんだという強い意志と行動がなければ、いい相手ともめぐり合えない気がする。

いい相手と自然に巡り合うから結婚ではなくて、結婚したいと願って沢山の出会いを求めるからこそ、縁のある方と巡り合えるのではないだろうか。

棚ボタで出会いを待っていても、運に左右されるだけで、適齢期という短い期間ではチャンスを逃してしまう事の方が多い気がする。

私には最近の結婚しない男女というのが、今ひとつ理解できないのだ。

勢いというのが全く感じられず、結婚への情熱も無さそうだ。

勿論、目をギラギラさせて相手を漁るのもどうかと思うが、こういった遊び人が結婚しないのなら、まだ分る。

余計なお節介かもしれないが、最低1度は結婚してみるくらいの勢いがあっても良さそうな気がする。

結婚しないのではなくて、できない人が増えている昨今、勢いのつけようがないのかもしれない。

私は高校生の頃、自分の将来の嫁さんは今何してるのかななんて勝手に想像していた事がある。

それだけ結婚するのが当たり前で、当然という意識が強く働いていたし、結婚に対する漠然とした期待や憧れがあったように思う。

夫婦の上手くいく秘訣とは夫婦の数だけあるもので、これだという決め手はないだろう。

ただ、敢えて言うならば、自分がどれだけ素の自分でいられるかどうかだろう。

リラックスして楽でいられれば、相手への気遣いが自然に出来、疲れない。

こんな呑気に1人で暮らしてるような気持ちで楽に接する事が出来れば、相手としては申し分ない。

そういう心のゆとりがあれば、お互いの多少の我が儘も許せる気がする。

勿論、それが一方的であれば、すぐに破綻してしまうだろう。

楽にいられるが微妙に空気も読んで二人のバランスを自然に考える事が出来れば申し分ないだろう。

そのバランスも夫婦の力関係を反映して必ずしも同じではなさそうだ。

我が家はどうだろう?

4対6で私の方が勝っているつもりだが、それはお互いがそう思っているだけなのかもしれない。

しかしながら、それが何かとうまくいってる最大の秘訣なのかもしれない。