∞doors 八戸探検隊

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『騎馬打毬』特集~ルールを知れば100倍面白い!~

2009年08月11日 | イベント


三社大祭中日に長者山新羅神社桜の馬場にて行われる加賀美流騎馬打毬。

南部藩の始祖、加賀美二郎信濃守遠公があみだした、加賀美流馬術の「騎射八道」(やぶさめなど八種)の一つで、八戸藩八代藩主信真は 藩士に積極的な武芸の奨励を行い、野村軍記とともに加賀美流騎馬八道の伝書を編集、これに当時江戸を中心に行われていた打毬を騎乗武術訓練の目的で採り入れ、騎射八道とともに藩士に継がせた。文政十年(一八二七)に新羅神社の新規造営落成の際に、初めて祭典競技として行われた。(参照:デーリー東北

現在では新羅神社の他、山形県の豊烈神社、宮内庁でしか行われていないそうです。
山形県のものと八戸のものはゴールの形などルールがちょっと違うみたいです(リンク参照)。騎馬打毬は終戦頃まで徳島県でも阿波古式打毬として行われていた他、鹿児島の正月行事「破魔投げ(ハマ投げ)」など打毬から発祥したと思われる競技は日本各地にあるそうだ。
「破魔投げ」木製の円盤をポットと呼ばれるスティックで打ち合い、円盤が自陣内で倒れると相手方の得点となる。
徒打毬にも似た毬打(ぎっちょう)という競技もあったようで、
白珱さんのブログつきのやどりに詳しい。

騎馬による球技はペルシア発祥と言われている。やがてそれが各地に伝わり、イギリスのポロや韓国のキョック(撃毬:ポロに似た競技?)とタグ(打毬:馬なし。ゴルフに似た競技?)などが生まれた。ポロやキョックがホッケーのようにスティックで球を叩くのに対し、騎馬打毬は毬杖という網付き棒で毬を掬ってゴールに入れる所が決定的な違いである。騎馬打毬はポロとラクロスを合体したような競技といえるかもしれない。そもそも球を打つわけではないのに打毬という名がつけられているのも不思議だ。打毬(タグ)とも何らかの関連性があるのだろうか。
キョック参考:チェオクの剣HP:韓流ドラマですわよ!奥様!

騎馬打毬についてはまだまだわからない点があるので、今後も色々と調べてみたいです。例えば騎射八道とは流鏑馬と騎馬打毬の他、何があるのか?流鏑馬、笠懸、犬追物で騎射三物といわれますが、あと四つは何なのか?などなど。



■ルール
・赤白、4騎ずつ計8騎で争われる。
・赤白、4つずつの毬が与えられ、毬杖(棒の先に網がついたもの)で毬を掬い、自軍ゴールまでノーバウンドで入れられると1点。4点先取で3ゲーム行われる。
・相手の妨害も可能。敵軍の毬をゴールと反対方向に放ったり、毬杖で相手の毬杖をはたいて落球させることも可能ただし、騎手や馬に当ててはいけない。


両陣営は一番外側の門を通って入場する。それぞれ一つ内側の門がゴール。試合が終わると真ん中の門から帰ってくる。降馬して褒賞をもらいに行くのも真ん中の門から。


こんな鍔迫り合いも!


ちょーお前ー騎手さんに触れんなよ~ 馬、怒ってます。


馬は全て北海道産のものらしい。小柄なずんぐりむっくりで、道産子とも違うようだ。


騎馬打毬のゲームの間に馬に乗らない徒打毬(かちだきゅう)も催されます。

途中、手綱が切れて騎手が落馬するシーンもあったりしてヒヤヒヤしましたが、怪我も無かったようで一安心。また打球に使う毬はマリではなく、木で作ったものに漆を塗ったものだそうで、ソフトボール大くらいあって重いものです。毎年、撮影に夢中になるあまり毬の直撃を受けるカメラマンがいるのですが、今年は大丈夫だったみたい。ちなみに徒打毬の毬はテニスボール。

あとなぜか鮮烈に記憶に残ったのが、毬を補充する人が着ていたタミヤのTシャツ。長者山社務所の半纏からチラリと見えた、赤と青の正方形に白抜きで☆が描かれたTAMIYAのTシャツ。


自然いっぱいの境内。名も知らぬ花が見送っていました。

紫陽花も満開!ガクの部分も咲いてる!

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