「お母さん」の詩

2012年04月18日 | 介護

今日の献立です。この「きょうの献立」は、「お楽しみランチ」でございまして、「種種のてんぷら」の実演が行われ、その揚げ立ちを戴いております。
こおばしい揚げ立ちのてんぷらに、2.3度お代りをしている利用者の皆さんです。











午後になりますと、先日私などが行ったお花見に、行かれないでいられた方たちが出かけられて、私たちはお留守番です。そして今月続いています「創作活動」の「クラブ活動」をしていました。
一つの班では映画鑑賞、もう一つの班では「牛乳パック」での「小物入れ」作り。
私はこれら何れにも加わらず、一人で「読書クラブ」に専念していました。
今日読んだのは、先日に続いて「サトウ・ハチロウ」作の、「お母さん」です。時々休みながら、全部読破しました。この読後感想です。
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「お母さん」と言えば、「母、母親」の事ですね。
しかしサトウ・ハチロウの詩を読んでみますと、「お母さん」とは単なる「母、母親」などと肉親としての母親とは感じられません。
どういうふうに感じたかと申しますと、「時空を超えた母」と感じられました。
言い換えてみますと、「生命の母親」というふうに、です。それはまた、「この世の母親」と言ってよいかもしれません。
そしてそう思い感じますと、ここに今いる私共が、真実に「お母さん、母、母親」にならなければ、「生命の母親、この世の母親」に対峙できない事になります。
「やさしい母、可愛がってくれる母、すぐ涙する母、働き者の母」というふうには、私たちの胸には受け取られなくなります。
私たちが「おかあさん」と、素直に思い受け取れなくなってはなりませんね。
ところが今日では「高齢者虐待」ばかりでせなく、「児童虐待」が横行しています。哀しいかな、「心に思い胸に思うお母さん」は、いなくなっているのですね。

今日サトウ・ハチロウの「おかあさん」を読んで、「母と思うべき時空を超えた母、この世の母」というふうに感じますと、そこに「宗教」の世界を感じます。
「おかあさん」とは、「神であり仏」であると看做されるのです。「神であり仏」とみなさないならば、「おかあさん」と思い親しみ、敬う気持ちが浮かび様もありません。その「神であり仏」とみなす時、私たちは真の母親に、また父親になっていけると思います。

最後に先日花見に行った雰囲気を、詩にしてみました。「トランクパック」にリンク付けして置きましたので、どうぞ・・・・・。


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