秋まつり

2013年10月18日 | 介護

また襲ってきた台風26号、大きな被害をもたらしましたね。
人間は科学技術を発展させ、宇宙開発、先端技術、先端医療、文化芸術を誇っていますが、そんなものは自然の猛威の前には何の役にも立ちません。どんなに多額の資金を使ってもです。
昔の人々は、こうした自然の猛威を恐れ崇めていました。それが科学技術の発達でその正体が知れたのはいいが、だからと言って予防も何もできないのですから、情けないものですね。
第一こういう自然の猛威に見舞われるのが重なるのは、こういうふうに人間のおごりから、自然に勝るものを掴んでいるというおごりからですね。
政治家が靖国神社に参拝していることで、「国のために命を捧げた方々の慰霊をどうするかは国内の問題だ」とも述べたり、「個人の心の自由の問題なので、論評されることではない。外交上の問題になるとはまったく考えていない」と語ったりしているが、このために中国、韓国は態度を硬化させていて、とてものこと「国のために命をささげた人々への慰霊」にはならない。単なる身勝手な身分表示みたいなもの。
゛政治家がこういう事をしていて自然の猛威に対する畏敬の心を持たないものだから、自然の猛威は益々強力になっていくみたいに思えます。
自然に歯が立たない人間の無力さに気付き、生意気にならずに自然や周囲のものを大切にしていくことが大事ですね。
ディサービス利用者でしかない私たちですが、子孫のことを思うと、そう思わないではいられません。
それはそうとこの台風が通過する日、こちらでは秋まつりが行われました。
15日が宵祭り、来雨がぱらつく中を、子どもたちは下交互急いで宿題を済ませるとさっさと祭りへ。16日のお中日も一番台風が近づいた日でしたが、喜んで出かけています。そして後祭りの17日、天気が良くなりましたので私も午後に見物に参りますと、ディサービスの人たちと鉢合わせです。

今日の記事には、画像を載せられません。また車いすの背中のポケットに、カメラを入れ忘れてきましたので。



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1 コメント

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hierarchy (noga)
2013-10-18 23:10:51
>安倍首相、「参拝は決めている」 靖国に真榊奉納、時期見極め       (2013/10/18      産経新聞)
> 安倍晋三首相は17日から始まった靖国神社(東京・九段北)の秋季例大祭にあわせ、内閣総理大臣名で「真(ま)榊(さかき)」という供物を私費で奉納した。春の例大祭時にも「真榊」を納め、参拝は控えたため、今回の例大祭期間中も参拝は見送りとの観測が流れている。ただ、首相は周囲に「どこかのタイミングで参拝することは決めている」と述べているほか、例大祭は20日まで続く。首相は例大祭期間中も含め、慎重に参拝時期を探っているとみられる。

意識改革・意識革命を望む者は、まず言語の特徴に着目しなくてはならない。

あらかたの日本人は、自分自身のことを無神論者であると考えているようだ。
それにもかかわらず、国の指導者が無宗教で (靖国神社とは無関係に) 戦死者に追悼の念を表明できないのはどういうことなのか。

人間は、基準に合わせて判断を下している。
日本人の基準は序列である。序列の基準は現実の中にある。非現実の基準は考えることができない。
英米人の基準は ‘あるべき姿’ である。この基準は現実の外 (頭の中) にある。人々が求めるものは、個人の頭の中にあるリーズン (理性・理由・適当) である。
彼らはリーズナブルの範囲での決着を願っている。リーズンを失うことは恥である。この恥は、見栄とも外聞とも関係がない。

我が国においては、お上の言うことは、理由のあるなしにかかわらず、現実の基準 (錦の御旗) になっている。そうでなければ非国民 (非序列人間)。こうした傾向は、国の内外から危険視されている。
民はお上の恣意に対して無防備・無力・無抵抗。’耐え難き’ を耐え、’忍び難き’ を忍んで、南の島に雪を降らせている。
民はたとえ反抗しても、筋 (リーズン) を通すことは難しい。筋により事柄を取り決める習慣が社会にないからである。

我が国の長は、自分が日本人の信頼を得るために、序列人間である証拠を示さなければならない。だから、神社参拝が必要である。カミに服従を示す態度・姿勢が欠かせない。信なくば立たず。村八分にされては活動できない。
序列人間の長であることが人々に確信できれば、いったん緩急あれば、’たとえ火の中水の中’ という人間がいっぱいいる。ともに散ります国のため。かれらは、そうでなければ動かない人たちでもある。
だから、我が国の政治家は、英霊の御霊に追悼の念を表す際に、宗教家の手を煩わさないわけにはゆかないのである。






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