tyokutaka

タイトルは、私の名前の音読みで、小さい頃、ある方が見事に間違って発音したところからいただきました。

沖縄へのまなざし/偏見

2006年03月25日 23時35分44秒 | カルチュラルスタディーズ/社会学
3月の上旬、母と妹が新垣勉氏のコンサートに行ってきた。新垣氏は沖縄県出身。米兵の父と日本人の母を持つが、生まれてまもなく事故により失明。母親も彼を捨てるように立ち去り、施設で孤児のような不遇の生活を送った。しかし、その後幾多の困難を乗り越えて、現在は沖縄の歌を中心とする、テノール歌手として活躍している。今日、家族と車で出かけて、新垣氏のCDをかけていた。そこで不思議な事実に気づく。

「我々は今だに沖縄に対して、ある種の外国という差別的視点を有している」

のではないかと。かつて、沖縄の人々や北海道のアイヌ民族は内地の「日本人」に比べて劣る民族として扱われてきた。その結果として彼らの固有の文化を根こそぎ収奪し、破壊してきた。今頃になって反省しても遅い。
しかし、いまだ、この沖縄に対して我々とは異なる何らかの区別という差別的なまなざしを向けているのである。それは一体何か。

まず沖縄民謡や、特定のテーマを沖縄を中心にして発しているという事実なのである。独特のリズムを持つ沖縄民謡や、ブームがかつてヒットさせ、現在は遠く南米でも歌われている「島唄」。ここに我々は「沖縄」の民謡を通じて、エキゾチックな印象を与えられる/感じるという構造が現出するのだが、先に私が沖縄をかぎ括弧でくくったのは、改めて沖縄という固有名詞をつけることでの異質性を現出させる問題のことなのである。言い直せば、ここまで「沖縄民謡」と差別させている半面で、大阪民謡や奈良民謡や埼玉民謡といった固有名詞を改めて使うことがないのである。またその地方特有の歌、たとえば「東京音頭」に特別性を認めることなどないのである。

あともう一点、沖縄の唄には戦場の記憶を想起させるものが多いことである。例えば「さとうきび畑」などがその代表格である。勿論、国内唯一(当時の大日本帝国の版図を見れば国内と呼称できる場所は、今の地図と同じことでないことは明確であるが)の戦場であった沖縄では悲惨な激戦が行われた。その悲惨さを受け継ぐために、唄の形として流すことへは何の依存もない。しかし、それゆえに沖縄に戦場の記憶という立ち回りを押し付けているのではないかという疑問も生じるのである。

新垣氏の歌の中には、東京大空襲に関する歌も入っていたが、正直なところ彼の声楽の能力を批判するのではなく、あえてそれを主題として歌うことへの一つの違和感を感じ取ったのだ。言い直せば沖縄戦の対置構造としての東京大空襲という主題の設定に違和感を感じたのだ。

ある役割を押し付けられた人々から帰ってくるそのことへの疑問。それは結局のところその「役割」の「内容」を媒介にした狭い土俵の中の議論に過ぎないことが多いのである。

まだまだ我々と沖縄の人々の互いの理解が足りないのかもしれない。

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