tyokutaka

タイトルは、私の名前の音読みで、小さい頃、ある方が見事に間違って発音したところからいただきました。

書評:鎌倉 芳太郎 『沖縄文化の遺宝』

2005年10月30日 22時50分14秒 | Weblog
(書誌データ:岩波書店 2005年6月復刊)

一ヶ月ほど前、書店で『岩波書店の新刊』と言う小冊子をもらってきた。学生時代には、大学生協の案内コーナーに置かれていて、よくもらって帰った。内容はいわば、岩波書店の新刊の案内なのだが、外国文学を専攻していた私にとっては、岩波文庫の訳本は、すべて押さえておきたいところだった。学生時代は重宝したが、社会人になるとこの種のパンフレットには、トンと縁が無くなる。時々本屋の軒先においてあって、「ご自由にお持ちください」という状態だったから、持って帰ってくるくらいだった。勿論、いくつかの情報は得られるが、学生時代のように重宝すると言う類のものではない。

さて、今回偶然にも7月の案内をもらった。パラパラめくってみるが、それほどよさそうな本が無い。まあいつでもいい本が出てくるわけでもない。

人によっては、あの岩波書店の文化に対し嫌悪感を示す人がいる。確かに、いて普通なのだと思う。小売店に対しても高圧的だしね。それでもたまにいい本が出てくる。

話を戻して、この冊子を一通り見て、捨てようと思うと、表紙の写真が眼に留まった。(ブログの写真参照、クリックしてもらえば大きく出ます。)じっと見る。

次の瞬間、すごい写真だと言うのがわかった。沖縄戦で失われる前の沖縄の文化を写真集としてまとめたものであり、そこに写っていたのは昔の荒れ果てた首里城正殿。

沖縄、とりわけ琉球王朝の文化を色濃く残した建物や財産は太平洋戦争の沖縄戦の際にことごとく灰燼に臥した。すなわち、戦災ですべて燃えてしまったのである。今日、我々が観光のパンフレットで見る守礼門もまた、先の戦争で燃えてしまい、戦後復元されたものである。しかし、文化財としての価値はすごく高かったらしく、あれは大正8年に国宝としての指定を受けている。

近年、首里城の中核的な建物である正殿が再現された。こちらは立派な朱塗りで、見たことがあるという人が多いと思う。しかし・・・

実際に、大正時代の正殿は木の打ちつけの荒れ果てた廃墟であった。玄関部分に当たるところの木彫りの彫刻が立派なだけの建物であった。過去の地震でかなり危険な建物になり、大正12年には取り壊して跡地を神社にする計画が持ち上がった。

この本の作者は、東京帝国大学工学部建築学科教授であった伊東忠太博士に相談し、取り壊し3日前に、工事を差し止め、国宝としての指定へ持っていかせたという壮挙を行った。その結果、戦災で失われる前の首里城正殿は解体修理が行われ、大正14年、国宝としての指定を受けたと記載されている。

本書は、戦災で失われる前の沖縄-琉球文化の記録としては一級品である。惜しむらくは、写真集と解説書の2冊本で5万円以上と言う値段であり、誰でも手の出せるものではない。図書館等で入手して眼を通して欲しい(ブログ執筆者も禁退出本を図書館で借りて現地で眼を通しました。)