tyokutaka

タイトルは、私の名前の音読みで、小さい頃、ある方が見事に間違って発音したところからいただきました。

教育と市場

2005年10月16日 23時29分10秒 | カルチュラルスタディーズ/社会学
少し古くなるが、金曜日の朝、いつも時間を知るためにつけているテレビで、公立中学校の学校選択制を導入した結果、極端に生徒数が減少した学校の様子が流れていた。何故減ったのかまでは言及されていなかったが(学校が荒れているのか、進学実績が低いのか)、それにしても極端に少ない。

1990年代の半ばから終わりにかけて、教育学では盛んに、公立中高一貫制の導入と学校選択制の是非が議論されていた。かく言う私も、そうした議論に乗っかって、駄文をかいた末端の大学院生の1人だった。

「教育と市場」と書くと、公立の学校教育まで民営化するのですか?と聞かれることがある。そうではない。民間市場の競争原理を学校教育に取り入れて、画一化された学校教育に個性を持たそうという試みのことである。勿論、「競争」にさらされるのだが、そうすることで教育そのものがよくなると考えられたことがあった。すべての試みがうまくいくとは思えなかったが、私自身もよくしたいと考えたと思う。でも、当時の私は、少なくとも「お上」が用意する学校教育に対して不信感があり、少なくとも教育と市場のなかに、学習塾を組み入れるラディカルな考えであった。それ以上に、この図式を用いて学校教育を批判したいだけであったのかもしれない。しかし、長く続けていると、ただの批判は疲れてくる。

言い直せば、そこに本当の「問題」などなかったのである。

あの後、当時議論された「ゆとり教育」「完全週休2日制」「公立中高一貫制」「学校選択制」がどんどん導入されて、ほころびが見える時期になってきた。あのころ盛んに発言した人々も、いまではすっかり、なりを潜めた。でも今日の「ほころび」は昔から指摘されていたことで、テレビを見て、「ああ、すっかりあの(議論の)通りになったな・・・」と思った。

何かを良くしようとして、結局何も良くならなかったかもしれない。