tyokutaka

タイトルは、私の名前の音読みで、小さい頃、ある方が見事に間違って発音したところからいただきました。

ゾンビ映画のフレーム

2005年10月19日 14時24分37秒 | 映画
人間がサルから進化し、直立二足歩行を行った頃、何でもかんでもできたわけではなった。手先が器用だとか、道具を作り使用するとかでそうした「原人」たちを区別する。死んだ人間を畏怖し、埋葬するという風習をはじめたのは、南フランスのクロマニヨン人であり、それ以前の北京原人は火を使うことはできたけど、埋葬の習慣はなかったそうだ。

さて、埋葬するというのは、死んだ人間がわれわれ生きた人間と違う世界にいることを認識し、別な世界に送り出すための儀式と方法であった。もちろん、遺体をそのまま放置しておくと、生前の形とは異なった「異形の者」になるから、生前の形のままに見えないところへ隠すという現実的な作業でもあった。

古事記においては、死んだイザナミがいる冥界へ行ったイザナギがその変貌(腐敗したという意味での)に驚いた話が出てくる。

一度死んだ人間が生き返るというのは、この上ない恐怖を提示する。映画におけるこうした「帰還者」のウロウロする映画が出たのは1970年代後半であったと思われる。そしてまた、今日も作り続けられているのだが、その基本的な枠組み(フレーム)は、もはや陳腐というくらい使い古されているのである。

すなわち、①何らかの問題が起きて、死者がよみがえる。②死者と生存者の線引きが行われて、生存者が追いかけまわされる。③きわめて隔離された閉鎖空間で行われる。(町とか島とか)

言い直せば、ある映画は「バカンスで訪れた島で遭遇する一夜の恐怖」これだけで映画の説明が成り立つのである。さすがに追い掛け回されるのでつまらないので、一時期、その死者のメークにこだわった時期があった。これは相当怖かったが、今じゃほとんどない。さすがに生存者もバカじゃないから、反撃する。そこにこだわって、ゲームをつくり、アクション映画にしたのが「バイオハザード」だ。

実はこうしたゾンビ映画の古くからあるフレームは、ゾンビ映画だけに使われるのではないのである。たとえば「エイリアン」はその典型だし、「ブラックホークダウン」においては、どんどん迫ってくるソマリア民兵(生身の人間!)をアメリカ兵がどんどん撃っていく内容になっている。さすがにここまで来るとモラルが問われるのだが。

さて、このブログは、ある映画を紹介する伏線となっている。また次回。