北の国の人生ノート

これからの人生を有意義に生きていくための道程。自分で自分のために書く日記です

こどもは、親の鏡。世界がせまいと見えるものが違う。情報過多が生み出す幻想

2006-09-03 | Weblog
世の中には、お金と引き換えにしてはならない人がものがある。 
生きるのに共通の土俵と考えられてきた「常識」が、
崩れていく思いがする。子供が親を殺すこと自体は、
悲しいが決してまれではない。
しかし現金を支払う約束で親を殺害するよう友人に依頼し、
またそれを受けた稚内の事件は、日本の少年犯罪史上でも
相当に希有(けう)なのではないだろうか親子でも人間同士だ。
そんな事情を友人から打ち明けられることもあるかもしれない
でも大抵はどちらかが途中で思いとどまる。
殺人は悪いに決まっているし、まして親だ。
二人とも、他人が起こした事件を見たら
「よせばいいのに」と思うのではないか
それなのに「殺してくれ」「わかった」と
いった話がそのまま実行に移されてしまったのならば衝撃的だ。
テレビでは、幸せなホームドラマが流れる。そうでなければ
不幸だ。現実を見ない話を進めるうち、
どんどん現実と空想の境が消えていったのか。
ゲーム風に言えば「殺人モード」に入ってしまったことになる
「大変なことをしてしまった」と後悔しても、後戻りができないのだ。
 「象徴的貧困」とは、過剰な情報やイメージを消化しきれない人間が、
貧しい判断力や想像力しか手にできなくなった状態を言うそうだが、
まさにそうだ。
自分だけが。自分にとって許せないことがあるのだ。
それを狭い世界だと教えてくれた大人が周りにいた
親戚のおじさんや近所のおばさんが
いろいろ教えてくれたり話をきいてくれた。
そしてバランスを整えていった。こどもは、親の鏡・大人の鑑。
自分たち大人といわれる歳になった世代が
箍を締めるときだ。