連載も終盤局面に入る!
愛の法則は、人間関係にも貫かれている?!
双子の魂の存在は、何と心強い福音ではないか?
しかし、相見える事は少ないとは??
未だ、進化の余地を多く残している・・・!!
赤い糸に繋がれたカップルも、しばしば、どちらかがその糸を絡める訳である。
で、どこに繋がっているか、皆目、見当が付かなくさせる。我欲がそうさせるのである。実際、そうしたことが多いのが現状であろう。
勿体ない話であるが、自業自得であるから文句は言えない。
この物質世界は、まさに迷いの世界であると言える。様々な誘惑や、利害得失や、目に見えるもの、触るもの、そして、五感によって感性(感情)を狂わすからである。娑婆たる所以である。
長い時を経て、その虚しさを感じ、やがて、真正の魂の友を発見する歓びは、いかばかりであろうか? それは必ず訪れると確信する。それは大きな福音である。
又、様々な魂の群れも、所詮は一つの大きな同胞であることに変わりはないが、その道程は遠い。その過程にうり二つの双子の魂が存在するというのは、夢多き話ではないか。
同時に、その魂同士が、大きく迂回することもあり得るのである。心すべきである。裸で生まれ、裸で肉体を去る。何も持って行くものは物質ではない。我欲で積もった執着か、さもなければ、磨かれ輝く純粋な心の魂か二つにすぎない。
冷静に考えれば、後者だろう。
前者は、今は良いかも知れないが、長い目で見れば、無意味なものだ。
50年、100年のスパンでものを観るのは、虚しいことだ。「魂の法則」を知れば、誰ものがそう思えるに違いない。魂は不死である。
様々な人間関係を、「魂の法則」から、説いてある。分かり易いし、納得できるであろう。中には青天霹靂の見解もあろうが、そう思うのは、これまでのドグマ(教義)に洗脳されているからだ。
魂の自由法則、愛の法則で、点検すればこうなるとの見解は斬新であろう。
尚、全文を読むには、日本語サイト:http://tamashiinohousoku.blogspot.com.esで、ダウンロードできる。
題名: 「魂の法則」
スペイン語原題: “LAS LEYES ESPIRITUALES”
著者: Vicent Guillem Primo ヴィセント ギリェム・プリモ
邦訳: 小坂 真理
知的財産権登録番号 V-2095-08 (Valencia, España)
Copyright © 2008 Vicent Guillem Primo
Japanese Translation Copyright © 2013 Mari Kosaka
ホームページ: http://lasleyesespirituales.blogspot.com.es/
日本語サイト:http://tamashiinohousoku.blogspot.com.es
メールアドレス:tamashiinohousoku@gmail.com
http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.es_ES
「魂の法則」 by Vicent Guillem is licensed under aCreative Commons Reconocimiento-NoComercial-SinObraDerivada 3.0 Unported License. Creado a partir de la obra enhttp://lasleyesespirituales.blogspot.com.es/.
本書に修正を加えず営利目的にしない条件で、現在利用可能な全ての媒体によって、本書全体またはその一部の複製を許可するものとする。
【本文転載その⑲開始】
人間関係と「愛の法則」
*愛についての話で思い出したのですが、僕たちには全員双子の魂がいるのだと言われましたよね。
その通りだ。
*双子の魂は存在するのですね。
そういうことだ。
*想像の世界の中の幻想で、ロマンチックな夢とばかり思っていました。
そうではなく、実在するのだ。ただ、君たちが想像する通りだとは限らない。
*それでは、双子の魂とはどういうものですか。
お互いを補い合える、100%似通った魂のことだ。双子の魂は、愛で結びつくように創造され、完全に幸せになるためには、お互いを必要とし合うのだ。
*各人の双子の魂は一つだけですか、それとも複数存在するのですか。
とても似通った魂は複数あり得るが、100%類似するたった一つのものだけが、双子の魂だ。
*双子の魂は、どういう目的で創造されるのですか。
誰もが絶対に、孤独を感じることのないように。自己覚醒を促し、愛の道を歩むよう突き動かしてくれる自分と同じ存在がいるためだ。双子の魂は、君の理想のパートナーで、永遠の伴侶だ。
*それは、双子の魂は一緒になるために同時に生まれ変わる、という意味ですか。
多くの場合にそうだが、いつもそうとは限らない。魂の発達に求められることによる。例えば、自己の意志力を発展させて相手に依存しないようになるために、独りで物事を経験しなければならない場合も時にはある。
*一緒に転生する場合には、カップルとして暮らすためにそうするのですか。
それは理想的な状況で、多くの場合にそうなるように転生が準備されるのだが、必ずしもそうなるとは限らない。また一緒に転生しても、カップルとしてではなく、身近な家族や別の関係に生まれ変わることもある。
魂の成長のために要請されることや、魂自身の選択にもよる。転生した後で、一緒にならない選択をする可能性もあるのだ。
*では、今生で関わる人達が選ばれるのは、転生前の決定なのですか、それとも生まれ変わってから決めるのでしょうか。
家族構成や特定の友人や将来のパートナーなど、一番身近な人間関係は、転生以前に話し合われる。これに関しては、生まれ変わる魂たちの間で、それぞれの使命や試練においてお互いに助け合う約束がなされる。例えば、将来生まれ変わって来る子どもに対して親になる約束をすることなどだ。ただ、その約束がのちに果たされるかどうかは別物だ。*転生以前の約束は、大抵守られるのですか。つまり、ある人とカップルになる約束をしたのに、のちに生まれ変わってから、違う人を相手に選んでしまったり、ある夫婦が二人の子どもを持つ約束をしていたのに、一人しか、あるいは一人も生まなかったということもあり得るのですか。
君たちの世界ではごく頻繁に、転生以前の約束が破られている。
*約束が破られてしまう原因は何でしょう。
通常は、本人自身の欠点である我欲に身を委ねてしまい、頭で決断を下すからだ。頭は、君たちの住む物質界のありさまに多大に影響されている。物質の獲得にのみ努力すること(消費主義)や、物質的な悦びを味わうこと(快楽主義)にだけ焦点を当てた生活へと誘導され、自分の志や霊的な約束を忘れてしまうのだ。
*魂は転生以前のことを全く覚えていないのに、転生してから、生まれる前の霊的な約束がどんなものだったのかを、どうやって知ることができるのですか。
霊的な直感に従えばいいのだ。人は、心で感じた通りにする時には、どの道を選ぶべきか察している内面の声に従っているのだ。そして、当初の目的を果たしていくにつれて、もっと幸せになり、更に自信がついて落ち着いて、人生での次の目標が明らかになってくる。
心の声に耳を貸さなければ、頭脳のみに導かれるが、頭脳は感情とは異なり、純粋に物質的な目的を追うように仕向けるので、人は虚無感を覚え、自分自身と折り合いがつかず、不満足で自信がなく、人生に意義を見い出せないのだ。
*具体的なケースで説明下さいますか。
生まれる前にカップルになる合意があった二つの双子の魂が、今生で出会ったとしてみよう。双方の魂はお互いを認識し、両者に愛情が芽生えたとする。しかし、一方がひどく自我に洗脳されていて、今生での決定を下す際に、その我欲のままになったとしよう。
我欲は頭の中で、物的に不利な状況を悪影響を与えるために利用し、あらゆる方法で感情を無視させようとする。「いい相手じゃない、お金がない、学歴がない、社会層が違う、肉体的魅力がない、家族は反対するだろうし面倒はご免だ、遠くに住んでいる、これこれしかじかの人ではない」などと。
こうして、本物の感情を味わって、真の幸福の一端を共に経験できる霊的に似た人と暮らす機会が現れたというのに、その機会を見送って、気持ちに反した選択をして、双子の魂との転生以前の約束を破ってしまうのだ。
我欲の言いなりになると、自分の気持ちには従わず、知的・物的な期待に沿って相手を選ぶことだろう。こうして、肉体的にもっと魅力的な人やもっとちやほやしてくれる人、もっと経済力がある人など、別の人を優先し、表面的にはもっと刺激的な生活や安楽な生活を送るだろうが、感情的には虚しいのだ。
*本当に約束を果たそうとする人達はどうなるのですか。例えば、前のケースで拒絶されてしまった人は、どうなるのですか。
Bプラン、つまり代替計画は常に存在する。霊的なガイド役たちは各人の能力を把握し、その限界が分かっているのだ。霊的にはそれほど類似していなくても、我欲のためにではなく、感情のために努力する気のある別の人と人生をやり直すことが可能だ。
*それでは、例えば、未来の両親がもう転生していて、彼らが打ち合わせとは違う選択をしてしまって、それぞれが別の配偶者を見つけて最終的に一緒にならなかったとしたら、二人の子どもになろうと決めていた魂はどうなるのですか。生まれ変わるのを止めるのですか。
眠っている間に、魂はほぼ毎晩霊界に戻っているので、転生していても、霊的世界から切り離されてはいない。他の魂が関わることは、その状態にいる時に決めることができる。
例えば、最初に準備した計画とは異なるものの、将来子どもになる筈だった魂と、かつての約束を再考することもできる。両親になる予定だったどちらの親も引き受けない場合には、その魂が子どもとして生まれ変わることに同意してくれる、似た特徴を持ったカップルを代わりに探す。
ガイド役たちは、生まれ変わった後で人間が考えを変えやすいことを知っているので、進化の代替プランを数多く用意してくれている。こうして、選ばれた環境が、転生前の計画からどんなにかけ離れてしまっていても、進化のための選択肢が残るように努めてくれているのだ。最初に描いた「ルート」から逸れてしまったら、自分が選んだ道から新たな「ルート」を再検索するのだが、目的地は同じである。
*約束を果たさなかったことは、魂に影響しますか。
一見すれば、その人が幸福への最短距離から逸れてしまったかのごとく、否定的なことに思えるだろう。しかし、好きな時に考えを変える自由も、味わってみなければ自覚できない状況を経験することも、自由意志の一部なのだ。
それに、ある方法で学ばないことは、別の方法で学べるのだ。同じ場所に行き着く道は色々あって、それぞれが異なる選択肢だが、体験することと学ぶことは同じなのだ。
*転生する魂は、自分の家族や近親者となる人達を前世から知っていたのですか。
それは、色々だ。同じ家族に生まれた人の中に、前世での仲間がいるかもしれないし、別のケースでは、同じ家族に一緒に生まれ出るのは初めてかもしれない。
*家族構成、つまり、父親や、母親や、兄弟を決めるのは誰ですか。
通常は、一緒に生まれるそれらの魂自身が、霊的ガイドの支援や助言を得て、相互に合意して決めている。
*家族関係は何によって決まるのですか。
贖罪や使命など、転生する魂の進化に求められることによる。
*進化に求められることがどのように家族構成に影響するのかと、贖罪と使命との場合で、どう異なるのかを教えていただけますか。
よかろう。兄弟・親・子を問わず家族の構成員が前世の天敵で、憎悪や報復欲や恨みに駆られて酷い危害を加えた合った過去を持つ場合がある。これらの魂は、血縁から生まれる愛情を奮い起こしてお互いの傷を癒すという目的で、一緒に生まれ変わる。つまりこの場合は、前世でお互いに傷つけ合い「愛の法則」に反したために、彼らの間に清算すべき負債があった訳なので、一種の贖罪となるのだ。
使命の場合には、魂は帳尻を合わせるために集まるのではなく、愛し合っているからであり、より進んだ霊的な目的を果たすために助け合おうとして一緒に転生する。このような霊的な目的は、進化の遅れている人達を支援することに関係しているが、同時に、自分たちの霊性向上にも役立つのだ。
この二つの極端なケースの間に、我欲と愛情、贖罪と使命とが混在する、色々な意味合いの中間的な状況が存在する。魂は、霊的進化の道程を進んで行くにつれて、支払うべき借りが少なくなり、無条件に与えられる愛が大きくなるのだ。
*でも、家族関係が贖罪の場合には、逆効果にならないでしょうか。つまり、憎しみ合っている人達が同じ屋根の下で共存を強いられたら、虐待・暴力・緊張・口論などが絶えないのではありりませんか。
共存を強要された訳ではない。自分たちの悪感情を克服するために、彼ら自身が霊的ガイドの提案を受け入れたのだ。
君が言う、虐待・暴力・緊張・口論は、これらの魂がまだ霊的な悪習にしがみついており、自己改善をしたくないから起こるのだ。
*どちらにせよ、憎み合っている人達を同じ家族に入れるのは、過激な療法に思えますよ。それでは、危険な囚人をまとめて同じ独房に入れるようなものではないですか。しまいにはやり合いませんか。こんな状況から愛が生まれるとは思えません。
家族の全員がお互いに仲が悪いとは言っていない。例えば、父親と息子の間で衝突が起こるとか、兄弟間の仲が悪くても、他の家族とは問題がないケースだ。通常、このような家庭には、より進化した魂が転生し、愛情に満ちた行いとはどのようなものであるべきかの手本を示す。似たような欠点のある魂が一緒に転生するのは、まさに一方が他方の鏡となるためであり、自分と似た人との共存体験から学ぶためだ。
*この経験から学ぶべきことは何ですか。
一番大切なことは、我々は皆兄弟だと知ること。これは、まさに文字通りだ。前世で最も憎むべき人が、次の転生では君の兄弟となり得るのだ。
一つはっきりさせよう。 一部の人だけを愛して、その他を憎んでいては、進化はできない。憎悪を愛に変えない限り、前進できないのだ。
だから、憎しみによってしてしまったことを償う必要があるのだが、一番苦手で最も借りのある人に償いをするのが理想的なのではなかろうか。
また、我欲が顕現したものが欠点だが、我々と同じ欠点を持つ他者のエゴを認識したり、それを身を持って体験してみることも有益である。
我々は、隣人の目の中のおが屑が見えるのに、自分の目の中の丸太に気づかない傾向にある。要は、我々は、特に嫌いな人の欠点には、非常に注意を払うのだが、それと似ていることが多い自分自身のものは見ようとしないのだ。
他者の我がままのために実際に苦しんでみれば、欠点がどう影響するのかを体験できるので、欠点を自覚でき、それをなくすべきだと考えるだろう。
*人間関係のテーマに戻りますが、どういう理由で二人の人がカップルになるのでしょう。
愛によって、霊的な進化の必要性によって、あるいは執着によって。
最初の二つの理由は、霊的な判断に従ったもので、転生以前に取り決められる。
最後のものは、転生してしまってから本人が選択するもので、霊的というより「現世的な」理由によって決められる場合が多く、転生以前に交わした魂の約束が何度も変更される。
*これらの結びつきの種類による違いを説明いただけますか。
最初のものは、愛情の結びつきと魂の類似性によるものだ。
霊的な進化のための結びつきは、互いの学習上の必要性によるもので、通常、課題が残っている魂の間や、特定の欠点・美徳に共に取り組むことで霊的に向上し得る魂の間で見られる。
三つ目の執着による場合は、肉体または性的な魅力、知的・物的な目標が似ていること、物質的な必要性、愛情の欲求や、一緒になる二人の便宜・義務などによって結びつく。
*子ども達の転生が、霊界で決められることは理解できるのですが、二人がカップルになるというような決定は、生まれ変わった後に、いつも物質界でなされるのではないでしょうか。
確かに最終決定は転生してからなされるが、見ず知らずの二人が、何十億という人の中で出会うというのは、どれほどの確率だろうか?
偶然であろうか? その環境が整うには、つまり、特定の人達が出会って知り合う機会ができるには、無数の状況が重なる必要があり、実はこれが霊界で調整されているのだ。
それに、自分の人生において、ある人が重要な人になると予感できるのは、前世の記憶からの感覚によるのだ。
*お話から推察すると、各転生で違うパートナーになるかもしれないのですね。
もちろんそうだ。君たちの進化レベルの世界ではそれが普通であるし、おまけに多くの場合、霊性進化のために変える必要があったり、前世の行為の結果として変わることがある。
*どういう意味ですか。
霊的に完全に似通った双子の魂の場合でも、愛情よりも欠点が勝ってしまって、それを認識も修正もしたくなければ、一時的であるにせよ、別れてしまうこともある。人は、失ってから初めて大切なものに気づくことがあるからね。そうして、次生では余り似てはいないが、悪習を修正するために役立つ人を相手に選ぶことになる。
君たちの世界では、大半の人が内面をほとんど気にかけていないので、愛によって結びつくカップルは非常に少ない。大多数は、物的または情緒的な必要性や便宜、性的な魅力などによって一緒になり、魂の要請に従って結びつく者はごく一部だ。
我欲の大部分を取り除き、魂が気持ちと一致している進化した世界では、大半の結びつきが愛に基づくものだ。それは、類似する魂同士が相手を見間違えることがないためであり、物的な欲望がどれほど満たされようと、相互の愛情ほど幸せを感じさせてくれるものはない、と知っているからだ。その世界では、私欲によって相手を選ぶ男女は皆無だし、双子の魂ではないカップルには滅多にお目にかかれない。
*「人は、神が結び合わせたものを引き離してはなりません」という有名な言葉があるので、世間では、ただ一人だけを伴侶にすることが最も霊的だと思われてきました。それなのに、あなたは、多くの相手を持つのが「普通」で、霊的にも有益となり得ると言われました。矛盾するのではありませんか。
愛の絆と結婚の絆とは別物なのだ。
ある程度の時間が経つまでは夫婦にははっきり分からないものの、地上の90%の結婚に真の愛は存在しないのだ。だが、一枚の紙に署名してしまったために、どうやら人には、考えを変える権利がないようだ。
自分たちの関係を感情に基づいて選ぶようになれば、進化した世界のように、君たちの関係も永続的なものとなろう。しかし、その世界で二人を結びつけているものは、義務ではなく、愛情なのだと知らねばならない。
人には誰もに、相手を選ぶ自由と同じく、自分で決意するなら別れる自由があるし、自己の決定については誰にも言い訳をする必要がない。
はっきりさせておきたいのは、二人を結びつけるものは相互愛であるが、それぞれが個人の自由を完全に保持しているということだ。司祭の前であろうと宗教遺物と花で飾り立てられた祭壇の前であろうと、サイン入りの契約書では結びつかないのだ。そのようにして二人を結びつけているものは神ではなく、君たちが作り上げた法律や習慣によって、君たち自身がそうしているのに過ぎないからだ。
神が本当に与えてくれたものは、愛せる能力と、愛を体験して幸せになるための双子の魂であり、自らの運命を決定できる自由だ。
だが、君たちの世界では、愛情で結びつく僅かな夫婦も、まだそれぞれの我欲を克服する必要がある。多くの場合に我欲が勝ってしまい、感情を押さえつけるからだ。
それゆえ、「人は、神が結び合わせたものを引き離してはなりません」という常套句は、真の幸福を体験したい者の助言となり得る、「愛が結び合わせたものを、我欲が引き離してはなりません」というより適切な文言に置き換えられるだろう。
*それでは、霊的な観点からは、離婚は肯定できることなのですか。キリスト教の大半が離婚に反対なので、いつも悪いことなのだと思ってきました。
宗教と霊性とは異なるものだ。
誰と一緒にいたいか、またはいたくないかを選ぶ自由があるのは、いつも良いことだ。自由意志を行使できるので、肯定的なことだ。霊界は、いつも自由意志の味方なのだ。
ただ紙に署名をしたというだけで、なんの愛情もない相手といることを強制したり、気持ちはあっても、理由はともあれ、一緒に暮らすことが不可能な人を強要することは、自由意志の侵害となる。
君たちは、夫婦になるということは、自由意志の一部を放棄することだとまだ思い込んでいるが、そうではない。例えば君たちは、結婚したり同棲すれば、絶対に果たすべき義務であるかのように、相手と性関係を持たねばならないと思っているが、それは違う。人は、嫌だったり望まないのであれば、ただ結婚しているという理由だけで、性関係を義務づけられたりはしない。
また、単に性関係を持ったというだけで、その相手と一緒になる義務もない。更に、どんな状況で一緒になったにせよ、自分にない気持ちを感じなければならない義務もない。
そして、これが一番重要なのだが、そのために罪悪感を覚える必要はない。感情とは強制されるものではなく、自発的に湧き出なければならないのだ。霊的な観点からは、全ての上に自由意志があり、他のあらゆることに勝るのだ。
執着を手放さない限り、愛の至福を味わえはしない。愛にとっての執着とは、鳥にとっての鳥かごなのだ。
*性関係を持つ人達が、愛し合っているからではなく、単に愉しいひと時を過ごしたいのであれば、何らかの霊的な法則に背くことになりますか。
いや、その人達が自由にそう選択したのであれば、全く問題とならない。
ただ魂は、進化すると性関係以上のものを期待し、ただの肉体関係だけでは満ち足りなく虚無感を覚えるものだ。しかも、お互いに性的に惹かれ合っても、魂の類似性がなく内面の気持ちがなければ、単に性関係だけの結びつきでは、しまいには飽きてしまう。そのため、長続きしないことが多い。続いたとしても、二人の絆はとても弱いものなので、不安定な関係となり、いざこざが絶えないことだろう。
魂が成長していくにつれ、性関係は、本能という生物的な欲求から、気持ちを表現する手段へと変わる。原始人の性は、基本的に本能的なものであり、好きでもない人と性交しても、まだ感情がほとんど発達していなかったために、空虚感を覚えることもなかった筈だ。
愛の能力の高い進化した魂ならば、本能を満足させるだけの性関係には、大きな虚無感を覚えるだろう。進化した魂にとっての性的関係は、親密な愛情表現なのだ。
性関係を持つ魂が、霊的に似ていて互いに愛し合っている場合には、その深い愛情が、性関係にも反映される。肉体の交歓と共に、お互いのエネルギーが交流し、活力を与え満たし合うのだが、これはアストラル体・メンタル体・霊体が交わることから生じるのだ。
それに反して、完全に性的な関係、つまり、性行為に及ぶ男女が双方ともに愛情を感じていない場合は、肉体が満足しても、アストラル体・メンタル体・霊体などの精妙な体の交じわりに欠ける。その結果、虚無感と不満感がもたらされるだろう。
進歩した世界では、一緒になろうと魂を奮い立たせるものは、純粋に内面に感じる愛だけで、その他の理由で二人が結びつくことは、極めて稀である。また、そこでは洞察力が非常に発達しているので、地球で良くあるケースのように、外見に惑わされたせいで思っていた通りの人と違って、後で騙されたり失望したりすることがない。
*性の問題をどう解決できますか。
君たちの性の問題は、その大半が、ほとんどなんの愛情も感じない人と性関係を持つということに由来している。君たちは、まだ肉体の部分しか見ておらず、性の悦びの最たるものは、肉体的に非常に魅力的な人と関係を持つことだと思い込んでいる。
大多数の人は感情面を認識しようとはせず、霊的に似ている愛する人と一緒にならない。そのため、愛情がないことから問題が生じる。内面が満たされたと感じられないことが問題なのだ。愛のない性関係を持つことで一番苦しむのは、進化した魂だ。
愛情がないことが問題なのだと気づき、気持ちに従って行動すべきだと認める代わりに、同じように愛のない別の人との体験を求め続けたり、セックスを魅力的にしようと色々な要素を加えてみるが、相変わらず虚しいのだ。こうして、感情でしか埋められないものを、物質で埋めようとするので、悪循環に陥るのだ。
*それなら、映画で見る関係のように、ロマンチックな愛は、僕たちの世界には不足しているのですか。
この場合は男女の愛のことだが、問題は、愛というものの君たちの概念が、霊的な視点からの愛から歪められていることだ。
君たちが誤って「情熱的」な愛とか「ロマンチック」な愛と呼ぶ、強い肉体的な魅力からの関係は少なくはない。それは、花火の光のようで一瞬は強烈だが、その後は完全に消えてしまう。
そのため、物的な調味料で感覚を過剰刺激(高価なレストランでのディナー、豪華なプレゼント、五つ星ホテルのスィートルームでの一夜、
楽園のような島でのバカンス)して、なんとか継続させようと無駄な努力をする。そしてこれら全てを、君たちはロマンチックな愛と呼ぶが、実際には、ひと度性欲が満たされるやだんだんと薄れていく、強い性的魅力を指しているに過ぎない。
情熱に関しては、多くの場合、愛とは何の関係もなく、誰かを所有したいという満たされぬ欲求であり、我々が執着と呼ぶところの自我が顕現したものだ。人は物ではないので、所有できないし、本人以外の誰にも属さない。愛すことと所有したいこと、愛と執着とを、混同してはならない。
はっきりさせておこう。 誰かを愛すように強いることはできない。愛が自由でないならば、それは愛ではないのだ。
感情は強要することができない。感情は提言・操作・強要・命令に従わない。愛されたいのであれば、何の見返りも期待せず、無条件に愛すのだ。そうすれば、いつか、原因-結果の法則が、与えたものをもたらすだろう。【本文転載その⑲終了→その⑳に続く】
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