古賀茂明氏、ついに経産省を退職!!
経済産業省大臣官房付だったが、閑職に干され、
ついに堪忍の限界か?
よほど目の上のたんこぶであったことは
窺えるが・・・・・・・。
そもそも閑職という、言わば公務員に『窓際職』が存在することが可笑しい。公僕に閑職があっては可笑しいだろうが、現実には存在するようだ。如何に人事権の行使が歪んでいる証だろう。
まあ、内部改革が如何に難しいか、露呈している。もはや、官僚に自浄能力が欠落している証左だろう。警察もそう、検察もそうだ。おまけに裁判所もそうだと言うことになると、この国の将来は暗い。
国が自壊して何が官僚か、と言うことになるが、いよいよその状況になってきたことを現している。明治以来百有余年、国体は官僚化のために簒奪されてきた。戦後、財閥は解体されたが、官僚制度は残った。
今や、強固な官僚制度のために国が売られる状況をひた走っている。これに追随しているのは、俄財閥化した一部の官製談合利権組織だ。その一つ、原子力村は、未曾有の人災を引き起こし、国難を招いた。その国難は、やがて官を通じて、日本の資産を食い尽くしようとしている。
その資産とは何か?
最大の資産は、人的資産だ。多くは放射能被曝で、特に次代の子供達を危機に追いやっている。広大な国土もそうだ。勿論、金融資産などは、大きく地獄の口を開け始めた金融崩壊に全てを投げ込もうとしている。それでも官製利権組織は生き延びようとしている。それが実情、実相である。
政治家はそれらの僕(しもべ)を脱することなく、ますます、恭順の意思を示しているようだ。近視眼的には、それが容易いからだし、取りあえずは現状が安泰だからに過ぎない。
これは罠である。
すでに気づきはじめをしている人々は多いが、既得権者がその罠にはまって、気づきを放棄しているのだ。あわよくば、溺れる船から助かりたいと願っているかも知れないが、それは無理だ。
やられる時は、一族郎党、一国総なめになることを忘れてはならない。それを称して、国難と呼んでいるのである。物や金はどうでも良い。総なめにされても又生み出すことが出来る。又、永遠に保持することは出来ないものだ。
しかし、
次代の子孫と魂を抜き取られることは、哀しい。哀しいを通り越して許されない。そう言う時期に到っていることを気付く必要がある。
今や、日本総攻撃の最中にあることは、間違いがない。そして、気づき人々も多いが、安逸の白日夢に覚めない人々も多い。それらが内部の敵として、外部の敵と呼応して、資産を食いつぶそうとしている。
それは無益な儚い望みで、何れ総なめにされることを気付いていない。国破れて、何が利権か? その事を思い知ることが必ず来る。その前に、生きている意味を呻吟して問い直す羽目になる。
そう言うことだ。
今、日本に生を受け、この国難に立ち向かう時、どう生きるかが問われている。
【転載開始】@kogashigeaki 古賀茂明
ついに経済産業省を退職しました。みなさんのご支援に心から感謝申し上げます。長い一日が終わりました。明日から新しい一歩。引き続きよろしくお願いします。Mobile Webから 【転載終了】
古賀氏には是非国政に場を移して活躍してもらいたい。
公務員制度改革や官僚改革を推し進めるには彼のように内部まで細かく知る存在が不可欠だと思うからです。
官僚たちにとっては組織が絶対であり、自分たちが国を動かし、自分たちの組織があたかも国そのものであるかのような大きな勘違いしている現状では、国とは国民あってこその国であるということには永久に気が付かないのでしょう。