そよそよ風がふいてます

青い葉っぱが揺れてます

ようわからへん

2010年03月20日 | Weblog
僕は捨てられたのか、
かってにあそこで迷ったのか、
おうちに帰ろうとしてたのか、

今ではわかんなくなっちゃった。
ここにいなきゃいけないのかなぁ?

お外はお散歩の時だけだったのに、
ずーっと外、もう慣れた、ここは寒いとこ。

家の人はよく留守になるし、今日も明日まで帰ってこない。
またあの男の子がお散歩してくれるんだ、嬉しいな。

僕は抱っこしてもらうのが大好き、幸せーって感じ。
コンクリートの上も慣れなくちゃね、今日は暖かいよ。

でも夜は雨が降るらしい、小屋に入ってもう濡れないけど。
初めて雨を見たときはびっくりして濡れながら吠えたよ、
何時間も、何時間も、お散歩も雨の中。
水溜りで足を洗わせられちゃった、奥さん強気。

僕元気だから負けないさ、元のおうちも忘れそう。
どうしているのかな、僕に服を着せてくれた人。

悲しいのは、僕の名前を誰も呼んでくれないこと。
ようわからへん、悩んじゃう僕、ふぅ~。

友の祈り

2010年03月20日 | Weblog
気力なく過ごしていたのはわずか10日前。
薄皮をはがすように体力は戻ってきた。

心の健康はどうだろう?
人間、心が健康でなくてもその場しのぎができる。
しかしそれはつかの間、ボロは出る。

真剣に祈ってくれる友がいる。
自らも病魔との戦いで生き抜いてこられた方。

きのうの朝、祈りのメールが届いた。
繰り返し繰り返しその祈りに合わせた、
心の重石が取れた。

ひるむことなく、主のために楽しく生きよう。
助けられる人がいるかもしれない。

彼女が私にいつも愛を込めて迫ってくださる。
幸いなるかな、よき訪れを告げる者の足は。

友の体調も守られますように。
壮絶な病気との戦いの姉妹はもうひとりいる。

私が祈る側であるにもかかわらず、祈り続けてくださるふたり。
思えばこのような愛を小さい時から受けてきた。
受けるばかりで与える人になりたかった。

痛み苦しむのが自分の嗣業だと思ってた。
それさえも非難されたら袋小路に入った。

自分で折り合いをつけるバランスが一瞬で壊れた。
暴走した制止のきかない車のように大切な人を責めた。

そのときも
そのときも
友は祈り続けてくれていた。
与える人生の入り口が見える。

できることから幸せを感じながら彼らと交わろう。
支えられ、支えられる仲間の存在。

超一線級の優しさ思いやりの世界を持ってる人々。
「いねいぶる」しかり、
「ホームスクーラー」しかりである。

窮地に置かれている子どもたちのためにもできることをしたい。
母親たちの友となりたい。

友の祈りの答えは早い、あなたの苦しみは
私より何倍もあったのにいつも他のために心を使う。

愛をほんとうにありがとう。
体いっぱいで受けて喜びで千切れそうです。