そよそよ風がふいてます

青い葉っぱが揺れてます

4☆自己肯定ー先生たちのホームスクーリング学習会

2006年06月30日 | Weblog
 長男が、次男にはあの中学は合わない、と言ってくれたものの、
小学校はダメでも中学なら、と行き始めました。けれど、先生いじめや
生徒いじめの現実に心張り裂けてしまって2ヶ月でホームスクーリング
に切り替えることになりました。
驚いたことに、担任がホームスクーリングネットの通信を持って我が家
に訪れてくれました。ネットを知って1ヶ月でしたでしょうか。
「こんなのもありますよ」、彼女はよくわかってくれていました。

 学校にホームスクーリングをしたい旨を申し入れに行った時、学校の
一大事になりました。彼が小学時代100mを12秒台で走る学校の役に立つ
生徒だったからです。

「ホームスクーリングってなんだ!なんなんだ?」
その後、学年の先生たち十数人でホームスクーリングの学習会が
始まりました。自分たちでいろいろ資料を集めたり、少しでも知っている
先生に聞いたり。
すごいことだと思います。私たちもどれほどびっくりしたことでしょう。

その後、学年主任の先生が我が家を訪れて言いました。
「ホームスクーリングをうちの生徒が知ったら、
こんな学校一人も来うへんやろな」
徹底的に調べられたのだと思います。感謝でした。
次男にとっても胸のはれた一瞬でした。

先生方はよく訪問されましたが、2時間、3時間といつも話し込まれて
いきました。我が家の子供たちはその度にお茶を入れたり、ケーキを
作ったりもてなしたので、いつしか、「先生たちの保健室」状態に
なりました。家でしっかり生き生きと育っている子供たちにほっとする
ものもあったのでしょう。

学校に行きづらい、また家に帰りづらい子供たちもよく来ました。
何らかの彼らのクッションになれたのかな、と思います。
そして少しずつ少しずつ学校に行ってない自分を肯定していきました。

そのうちに彼の持ち前の吸収力、集中力が前面に出てきて止められなく
なりました。今の仕事につながっているパソコンサポートの技術は
すべて独学です。13,4歳でパソコンを自分用に組み立てあげました。
その年頃はほんとはものすごいパワーで満ちているんだと思います。
大人がじゃまをしなければ・・・・。

3☆自己肯定ー仲間の存在

2006年06月29日 | Weblog
 その後ふたりは素敵な10代を過ごしました・・でまた完結ですね。

子供たちが成長してから出会う人たちは、明るい快活な彼らを見てちょっと
生意気に思うかもしれません。それほど堂々としているし、学校へ行ってい
た以上の学力や知識や生活力をしっかり身につけているのです。


 周りの理解が非常に重要でした。まず父親の協力が必要でした。
中1の男の子の場合は認めても小4の娘はまだ小さいから行かせようとしていました。父親を説得したのは本人です。手紙と、1対1で向かって訴えて
了解を得ました。

そして、教科書をすべて捨ててしまうのをだまって見てました。次々に学校
の匂いのするものが封印されていきました。それほどの辛さに気づいてあげ
られなかったとしみじみ思いながら見ていました。

 ほかの子供たちが登校する時間帯の前によく朝ご飯のおにぎりを持って赤
とんぼの山やアンテナの山に登りました。おにぎりを食べながら本を読んだ
り、思いっきり走ったり、そして授業が始まって子供たちの姿がみえなくな
って下りていきました。
よく科学館にも行きましたが、学校の前を通る時はいつも外から顔を見られ
ないよう顔を座席にうずめていました。

 ホームスクーリングのネットをみつけて(NHKBSの番組で)同じような子
供たちに会いましたがなかなかとけこもうとせず、各家庭でのお楽しみや
シロトピア公園での外遊びに行っても、半年私の隣りにじっといたものです。

あとから聞くと、あそこは学校のように誘ってきたり、やりたくないのに
無理やりしてこないので見ているだけで楽しかった、良かったと言ってい
ました。彼女は彼らを見ているだけで、彼らと遊ばないで信頼関係を確信
していたのです。ずっとそばにいてそれがわかりました。
(ホームスクーラーの親たちと接していて、この世に児童心理学者、
小児精神科医と称する者たちがたくさんいるけれど、我が子においては
どんな専門家より有能な心理学者、精神科医であることを発見しました。)

そして少しずつ動き出していったのです。同じ仲間がたくさんいてみんな
元気にしている様子に「学校に行かなくても大丈夫なんだ」とやっとふっ
きれたのです。半年かかって。
無理強いしない子供たちにも大人を感じました。人の気持ちをとっても
大切に思えるのは自分も同じような体験をしたからでしょう。

 そうそう彼女は「石橋をたたいてもわたらない」ほどの性格の持ち主
でした。
ふつうなら半年もかかりませんよね、とけこむのに。
その彼女が6年後に、16歳でヨーロッパ5カ国を英語、フランス語を
駆使して1ヶ月一人旅をするなんて当時は思いもよらないことでした。
イギリス、フランス、フィンランド、エストニア、スイス・・・・。

2☆10年の休暇の始まり

2006年06月28日 | Weblog
 みんなりっぱな大人になりました・・・前ので完結しちゃいましたね。

この10年、いえ親が知らないで子供たちが苦しんでいた時からは15年。
最初のころのことが嘘のようです。
苦しくても学校に行くのがあたりまえと子供たちは思ってがんばって
いました。ついにひとりが体に変調をきたしました。変調というより
体の生きようとする機能が止まってしまったのです。
「子供は死ぬまでがんばる、そばにいる大人がストップかけないで
どうする!」医者から激しく言われたのにもかかわらず、転居してでも
学校に行かせようとした,子供の側に立てない子供の安全の責任の取れ
ない親でした。

転居した学校に行かせて、体だけではなくもう心で、死んでしまいたいと
思わせるまでになりました。成長期に体重ががたおちしていたもうひとり
にも山村留学の田舎の学校だったら、と行かせてしまいました。

今思うとなぜあれほど学校にこだわり続けたのか、そんな教育を受けて
きたんだ、といえば言い訳になってしまうけれど、子供が成長して必死に
訴えることができて、やっと子供の置かれている状況がぼんやりと見えて
きたおそまつな親でした。

ふたりともその後とても素敵な10代を過ごしました。
耐えていたエネルギーを躍動するエネルギーに代えて、
自分のうちから溢れ出るものを実社会の中で工夫しながら、
ある時は行き詰まりながら、ああでもないこうでもないと失敗を
恐れることなく繰り返しながら着々といろんなものを、
ものにしていきました。

でもそれは自己肯定できてから。
学校を辞めても、行かなくてもいいとなっても、
ホームスクーリングだね、と
胸をはろうと思っても、一度ざっくり傷ついた傷は
いつまでも痛かったようです。
できればそこをなんとかしたかった・・、
すぐに情報を探して早くもうひとつの
いや、今はたくさんある
学校以外の道を歩ませてあげたかったです。







10年の休暇?

2006年06月28日 | Weblog
 子供たちの生き生きとした顔が好きです。そして何かに夢中に
なってる顔も。夢中になって夢中になって、難しくても遠回りしても
なんとしてもやってのける。子供ってすごいな、と何度思わされたこと
でしょう。

 きょうホームスクーリングファミリーで1日過ごす「ばおばぶ」
がありました。絵本を読んでもらう子、ゲームで盛り上がりいつの間に
仲良くなったの?という男の子たち、パソコンを直すお兄さん、
教えてもらうお母さん、またお母さん同士の情報交換。
この8月出産予定のもとホームスクーリングっ子のヤンママさん。

ひとりのお母さんがある教育向けに書かれている本を持って来られとても
憤慨しておられました。学校に行ってない、行けない子供たちのことを
ものすごく否定的に書いていたからです。教育向けの本を書くような人
なのに情報が皆無のようで、自分の経験に基づいてだけ書かれていて目も
あてられない内容でした。

 辛い学校に行くか、それとも死ぬか、それしかない子供たちがいたと
したら大人はどうしたらいいのでしょう。

 我が家のホームスクーリングの始まりは、息子が「学校に行かなくても
いいらしいよ」と本屋でそんな本をみつけてきたことと、娘が子供の日
特集のNHKBSの番組「学校に行かない子供たち」を見て
「わたしもこれがいい!」と訴えたことから始まります。

それからのこと・・・・・どこまで書けるかわかりませんが、
我が家の場合はホームスクーリングがベストだったそのことを
伝えたいと思います。
「別の道もあるんだよ」

そして、みんなしっかりりっぱな大人になりました。