そよそよ風がふいてます

青い葉っぱが揺れてます

10☆いろんなホームスクーリング

2006年07月22日 | Weblog
 この4月からホームスクーリングを始めた家族とともに3日間過ごしました。週に2回教会でチャーチスクール、それ以外の日は家庭でホームスクーリング。でも掃除に行ったり日曜学校に行ったりでほとんどを教会で過ごしているとのことでした。一人の11歳の女の子に「好きなことは?」と聞いたら すぐに「教会にいくこと!」と返ってきたのでホームスクーリング=教会になっているようです。
 
親たちは「カリキュラムがまだうまくいかなくて・・・悩んでる」と言ってましたがホームスクーリングに関してはうまくいかないほうが健全だと思います。自分のことで悩んでいる親を子どもたちはみたくありません。返っていっしょに楽しく行動したり、親も自分の好きなものに熱中して子どもと自慢し合ったりしていくほうが結局うまくいくのです。

私はいつも思います、親は悩む必要はない、子どもに悩ませよ、と。子どもがホームスクーリングで得た自分の時間をまずは存分に思ったように過ごしてみるのがいいと思います。しばらくぼーっと過ごしているかもしれませんが頭の中はフル回転、知らず知らず興味のあるものに向かい、何か試してみたくていろいろ失敗をするようになります。そんな繰り返しの中で自分という宝物に出会って行く子どもたちをたくさんみてきました。そして、大人が作ったカリキュラムなんて問題にならないぐらい自分流の学び方を身につけていきます。子どもが本来持っている、学びたいという本能が花開くのでしょうね。親には到底できないことです。これは見守りがいのある「忍耐」という親への試練です。でも試練と思うのは最初だけ、次はどうなるんだろう?、何が始まるんだろう?と楽しみにこどもたちをみられるようになります。

 「ホームスクーリングを始めた時、妹とは喧嘩しまくる、母さんはわあわあ怒鳴りまくる、いったいどうなるんだと思った」と言った14歳の少年がいました。自己紹介のときでしたので、よくみんなの前でいえるなぁと感心しました。心が開放されてなくては言えないことではないでしょうか。世の中の人が驚くようなことを始めて納得しつつもとまどいがあったんですね。それが4月、今7月、続けて「今はやってよかったなぁって感謝してます」でくくりました。ちょっと頑張りすぎかな?でも本音のようでした。

9☆ホームスクーリングネット Star Kids

2006年07月16日 | Weblog
 回想録ばかりだったので今回は明日からのことを書きましょう。
明日から3泊4日、ホームスクーラーのファミリーが天文台に集まってキャンプをします。大阪茨木、姫路、たつの、さぬきから6ファミリーが来ます。もう5年前から我が家の娘が呼びかけて年に数回、最近は2ヶ月に1回の頻度で天文台にお泊りです。今までは3歳から76歳、なんて言ってましたが明日は1歳の乳児さんが来るので最小年齢更新?
1歳、3歳、(2人)、4歳、7歳、10歳(2人)、11歳、14歳、15歳、若者もいて、19歳、20歳、23歳。あとは父さん母さん。

 いつもいっしょにいるわけではないですがこれだけともに過ごすとみんな兄弟のように仲良くなってしまいます。
ふだんはそれぞれの場所でホームスクーリング、母親たちの情報交換の場でもあり、夜を徹しての話がはずむこともあります。昼間が雨でも、話の最中にスーッと空が晴れてきたりして真夜中に外に望遠鏡を持ち出して見たりします。起こせる子は起こしてあげていっしょに。

お互いの存在があるだけでいい、子どもたちに味わって欲しい幸せです。
ホームスクーラーはいたって元気です。だからといって世の荒波にもまれてないかというと、実社会に積極的に出ている分風当たりは強く、学校に行ってないのに元気なのはあってはならないことのように非難されたりしている子どもたちもいます。

だからときどき会ってお互いの過ごし方、風のかわし方?を知るのです。
別に統一されたプログラムがあるわけでもなく、その家族のホームスクーリングを山に持ち寄って、やりたいことがあったら呼びかけあったり、食事の時間もまちまちで、たまにいっしょにたべたりどこかに潜り込んでごちそうになったりみな小さくても自分の意志で動きます、とっても自然で無理がないので親も子どもにてがかかることなく親も十分楽しめるのです。

 子どもたちは自分で学ぼうとしています。自分で責任もとろうとしています。何よりも成長したいと思っています。その思いは親が子を思うより強いということを我が子の10年のホームスクーリングで知りました。
明日からの3泊4日、5感を使って子どもたちの感性が(歓声が)天文台の山に響き渡ります。

8☆子どもに必要な学び

2006年07月15日 | Weblog
 小学生年齢だった2年間のホームスクーリングをともに過ごして
思ったことは、いかに学校の学びがうすっぺらで限界のあるものか、
ということでした。学校の外には好奇心旺盛な子どもたちをワクワク
させるようなもので溢れていました。

交通機関ひとつとってもそのしくみ働いている人、バス・鉄道・船・
飛行機それぞれの乗り方の違い、駅、港、エアポート。地名や地図の
重要性、お金の扱われ方、広告。丁寧なことばや外国語、。
ちょっと友だちの家に電車、バスを乗り継いでいくだけでたくさんの
ことが学べるのです。
人の観察はその中でも大きな収穫になるものでした。

みんなで科学館や博物館に行っても、ただ解説員について行き説明を
受けるだけではなく、行ったそれぞれが違う感性で動き回る様子に
面白さを発見したりできるのです。誰かの物知りに目を丸くしたり、
あこがれてみたり、学年を越えて面白さを満喫できるのです。

 大人は子ども時代の感性を軽く見過ぎてしまっているように思えて
なりません。子どもの時こそ一箇所にしばられることなく5感を働か
せてそのときにしかできない経験を思いっきりするべきと思います。
ホームスクーラーの子どもたちはやってのけました。
お互いに刺激しあいながら、世の中のこと、世界のこと、人間模様・・・。

充実した経験は子どもたちを早熟にし、学ぶべきものからしっかり学ぶ
ことをおぼえ、社会に貢献できる若者へと成長させました。
みようみまねでお金を稼ぐことも試してみました。手芸やお菓子作り、
ティールーム洋裁。とても有意義な経験でした。
それでも教科書の学びがしたい子は1学年の1科目を一ヶ月で終わら
せる芸当もしていました。必要と思えるものに集中力が働くんですね。

学校でなければ子どもは学べない、ではありませんでした。
学校で学べなかった子どもたちは実社会で、自分と向かい合うことで
学びの必要性に気づき、なかば遊ぶかのように学んでいけたのでした。

英語に目覚めた娘に小6のある日県立高校の入試問題を差し出したら
87点取りました。楽しんで学んだ結果です。そのときは誰でもでき
るんだと思っていたようです。そんなことも他と比べられないで自分
なりに学んでいるからで、素敵ではありませんか。

7☆平日のお出かけ

2006年07月04日 | Weblog
 家庭も家族がいてそれなりにひとつの社会ですし、家の台所も
りっぱな実験室ですが、やはり世の中にあるたくさんのリソース
を使わない手はありません。

しょっちゅう行くのは図書館、棚ごとに攻めていけます。
貸切状態になる科学館、プラネタリウム、こっそりいたずらもで
きました。博物館、美術館、記念館、水族館、スケートリンク、
映画、名所旧跡。忘れちゃいけない天文台。
図書館では「不思議の国のアリス」に出会い、民博では世界に出
会い、子供だけで動くことも新鮮になってきて、天文台には11
歳から15歳、7人で泊まりに行ったりしたこともあります。
「子供さんたちだけできていますが親御さんはご存知ですか?」
という電話一本でOKにしてくださった当事の方に感謝です。
子供たちの繋がりが深められましたから。
天文台は今でもホームスクーラーが目をキラキラさせる場所です。

民博のモンゴル展で食べた羊のモンゴルうどんなど初めての味
でした。モンゴルの王族衣装などもみんなで着て館内を歩き回
ったり・・・・。モンゴル将棋に興じる男の子たちもいましたね。
そういえば、西アフリカ展では教えてもらいながらみんなで太鼓
を打たいたものです。

小学時代は語学しか学んでいませんでしたが、あてはめてみると
9教科の分野にわたって生の体験ができていたので、1度学校に
報告をしたことがあります。でも子供たちはそれを嫌ったのでそ
れからは止めました。

 スポーツは市営プールでの水泳、アリーナでのスケートでした。
水泳は浸かっている
程度、スケートは最初からみようみまねで滑れて気にいっていま
した。とても気にいったので、地区の子供会の遠足のスケートに
参加したりもしました。12歳くらいになってまわりの目も少し
平気になったんでしょうね。私自身も子供が学校に行ってなくても、
6年の親がする子供会の役員をしてました、あえて1番大変な会計。

 平日のお出かけは行く先々で様々な人に出会い刺激を受けるまた
とない機会でした。子供たちの興味関心が日々ふくらんでいきました。
今の日本は学校以外でも充分学べるのです、痛感しました。



6☆家で育つ

2006年07月02日 | Weblog
 家で育つ、おうちが大好きって素敵なことだと思います。母子分離が
できないだのなんのかんの専門家に言われましたが、それって小さい子
供にとって当然の大切にしてあげなければいけない感情ではないでしょ
うか。学校に合わないからそんな言い方もできてくるんですね。

子供が退屈するぐらいたっぷり自分のために時間を使う、家族と過ごす、
家にくる客を接待する、勉強のこと、宿題のこと、起きる時間寝る時間、
などなどを気にせずに自分のペースで自分なりに選んで決めて動く。

 ひとつ年上の女の子のホームスクーラーがラジオで基礎英語を聴いて
いる、と知って離れていた勉強でしたが、小学校にないからと理由をつ
けて英語を学びだしました。11歳、みんなで会う日以外朝昼夕すべて
の基礎英語の放送を聞く日々が始まりました。
内容も面白かったのでしょう、引き込まれていました。

ある日、アメリカの教育省のホームスクーリング関係で仕事をしていた
方をネットで招くという機会がありました。母親たちは娘が英語を学ん
でいるのを知っていたので「飲み物、コーヒーか紅茶かお茶か聞いてき
てくれる?」と頼んだのです。
私は、えっ!?と思いながらも娘はずかずか聞きに行くんですね、あの
ときは目を疑いました。帰ってくるなり、「あの人にも私と同じ名前の
子供がいるんだって!」と達成感の笑みを見せました。

 英語の学びのために少しだけおせっかいして「国語」の学びをを薦め
ました。英語の上達にかかせないからという理由でしたが、すべての生
活の基本になると思ったからです。ラジオは最初テキストを使っていま
したが、そのうち、英文を聴いて書く、というやり方に自分で変えてい
きました。

わからない知らない単語はスペルを予想して辞書で調べる・・・
自分なりの学び方です、耳が鍛えられたのはいうまでもありません。
理解し出してくると英語で書かれた本にも興味を示し、神戸の本屋さん
によく出かけたものです。本に出てくる新しい単語はノートにabcと
項目を作って、マイ辞書を作っていました。それは日本文学を読むとき
にも発展し、マイ辞書作りはことばに挑戦する前段階になりました。

独学ってこんなふうに展開するんだ、とただただ驚いてる親でした。

5☆子供がひとりでいること

2006年07月01日 | Weblog
 「なにしてるのー?」
 「なんにもしてなーい」
 「ふぅーん・・・、なんにもしてないことしてるのかぁ」

こんな会話がよくありました。たまには針を持って布の図柄にそって
縫い物をしたり、広告紙とセロテープで何やら作ったりしていました
が、そういえばそんなのもひとりでしたね。
ぼーっと空を眺めたり、ほおづえついて何をしようか
考えるのに多くの時間を使っていたように思います。

いざすることが決まると、がぜん夢中になってひとりの世界に入り込
み、ご飯の時間をそれに合わせるしかなくなって・・・。
ひとりでめいっぱいやりたいことをする、あたりまえのことのようで
すが、そんな時間を大人は奪っていたかもしれない。子供がものごと
に徹底的に向かうのは本能ではないだろうかと驚きっぱなしでした。

ひとしきり裁縫なり小説なり(?)手紙なり何日かで満足して、
「こんどのあーちゃんちの料理教室、行くからねー」とおっしゃる。
そしてどなたからかいただいた緑のミニスーツをきておでかけ。
それを着ていくと駅員に「あんた、こどもっ!」なんていわれたり、
小5で。

ひとりでいたいときと、ほかの人に会うときを自由に自分のさじ加減
で選べるのは子供だっていい、ひとりが幸せな子供もいて、たまに友
だちに会って人物観察。会うとホームスクーラーの女の子7.8人い
ました。一番年下で一番おとなしくて。
みんなのこと見ているだけでも幸せそうでした。

まだまだ駆け出しホームスクーラー。
最初は元気なみんながまぶしくて、でもみんな学校行ってなくて自分
と同じで、面白いお母さんたちの話しの輪のなかにもよくいました。

ひとり、ひとり、ひとり、それは子供から取ってはいけない素敵な世界
です。のーんびり子供といっしょにいなければわからないことでした。