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融通無碍 翼を休めてみませんか

新温泉町浜坂にある日本キリスト教団浜坂教会の
牧師日記

「愛に導かれて」

2025年01月11日 | 聖書のお話

「愛に導かれて」 マタイによる福音書 2章1~12節

 東の国から占星術の学者たちがやって来ました。占星術とは、彼らにとって信仰そのものです。彼らは、星占いによってユダヤ人の王が誕生したことを知り、星に導かれ、困難をいとわず行ったこともない国に向かって旅をして、エルサレムにやって来ました。

 ユダヤのベツレヘムに生まれたイエスさんは、その生涯を通し「互いに愛し合いなさい」と教え、十字架の死と復活を通して福音を世に宣べ伝えました。キリスト教で最も大切なのは、愛です。イエスさんを信じるとは、互いに愛し合い、愛に導かれて人生の旅路を歩み続けることなのです。

 東の国の占星術の学者たちは、夢で「ヘロデのところに帰るな」とのお告げを受けました。彼らは、夢のお告げをその通りに実行し、また一つ信仰を現しました。イエスさんの教える愛は、私たちの信仰そのものです。私たちも占星術の学者たちが星に導かれて困難をいとわず旅をしてその信仰を現したように、イエスさんの愛に導かれて困難をいとわず平和を希求しつつ歩みましょう。

 


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あれから一年

2025年01月07日 | 日記

 一年前の元日、能登半島地震が発生しました。あれから一年経ちましたが、普及の速度は鈍く、政治家の関心もれいわ新選組以外を除いて、低いように思います。地方を大事にしているようなことを言っていた石破首相も、口先ばかりで中身が伴わない二世議員に共通する仕草を感じ、能力の限界を垣間見るばかりで残念です。もっと頑張ってもらいたいものです。

 昨年の元日、私はちょうど外でヤンキー座り(もはや死語)をしてネギを洗っていたところ、体がグラグラと揺れたので、目眩でも起こしたのかと思ったら、周りの建物の窓がワサワサと音を立てているので、あぁこれは地震だと思い、屋内に入って情報を調べていたら、町内放送にて避難するようにという放送が入り、家族で避難したことを思い出します。

 ネットで調べていたら、当時のニュース動画がありましたのでご紹介いたします。

 

【LIVE】津波情報 2024年1月1日(月)/震度7の地震で津波警報が発表中〈ウェザーニュースLiVE〉14:00〜


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明日は礼拝です

2025年01月04日 | 礼拝のご案内

 明日1月5日(日)は、新年礼拝です。午前10時から礼拝が始まります。メッセージは「愛に導かれて」、賛美歌は「新しい年を迎えて」、「馬槽のなかに」です。礼拝後は、1月定例役員会があります。

 一言で、2024年は激動の一年でした。2025年も激動の一年が予想されます。一昔では、「交通戦争」とか「受験戦争」という言い方がありました。現在では、「情報戦争」が真っ盛りの状況にあります。情報は、私たちが生活するために必要不可欠なものであり、誰もが簡単に得られることが良いことだと考えられます。一方で、自分の足で情報を集める必要がなくなり、努力することを忘れてはいないでしょうか。また、情報を鵜呑みして、自分の頭で考えることもやめてしまってはいないでしょうか。その結果、簡単に騙されて、煽動されてしまってはいないでしょうか。情報を受け取る際には、最低限の確認として発信源や信憑性、そして誰が利するのかをチェックすることが必須となりました。そして、結局のところ全体像を把握しないことには何も分からないことに気づかされました。本当のことを知っているのは、当事者のみです。第三者が何を伝えようとも、空想や伝聞に過ぎないことも多いのが実情です。そして、それを目にし、耳にする自分もまた第三者です。

 2025年は、新たな情報戦が次々と襲って来ることでしょう。情報の発信源は曖昧にされ、人々をある方向へと煽動するようなことが起こるでしょう。文明の機器は便利に使いつつ、情報とは本来的に簡単に得られるものではないことを肝に銘じて、自分の足で、自分の頭で、多方向の意見に耳を傾けながら、誰が利するのかについても考察し、安易に行動しなことが求められているように思います。それぞれ利害によって立つ場所が違うものです。一市民として互恵の精神によって、対立するのではなく協力し合って誰とでも仲よく過ごしたいものだと願います。「連帯」という言葉がありますが、ある先輩が「お金の伴わないような連帯は、綺麗事の絵に描いた餅だ」というようなことを言われていたのを思い出しました。私にとっての「連帯」とは何か、そんなことを考える今日この頃です。

 

 


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「馬小屋は愛」

2025年01月04日 | 聖書のお話

「馬小屋は愛」 ルカによる福音書 2章1~7節

 ルカによる福音書では、イエスさんが誕生したのはローマ皇帝による住民登録の勅令が出された時期であったと伝えています。ヨセフは、臨月を迎えたマリアと一緒に故郷のユダヤのベツレヘムに向かって旅をしました。途中、マリアが産気づいたため、宿屋に泊まろうとしましたが、彼らが泊まる場所はありませんでした。住民登録のために旅をする人が多く、出産の「ケガレ」に伴う休業を避けるために、“出産お断り”になっていたのかも知れません。結果的にマリアは無事出産し、イエスさんは飼い葉桶に寝かされました。出産した場所は、宿屋ではなく馬小屋でした。

 宿屋は、利益追究のために「清い」ことを優先し、臨月を迎えたマリアを拒絶しました。馬小屋は、元々が「ケガレ」ているとされていたこともあり、出産の「ケガレ」は問題になりませんでした。イエスさんの誕生物語は、イエスさんが産まれるにあたり、人間が作り出した「清い」という概念が、「聖なる神の子」を拒絶したと伝えているのです。別の言い方をすれば、「清い」とは、互いに支え合い、困っている人がいたら皆で助け合うことの方ではないのかと問うているのです。イエスさんが馬小屋で産まれた物語を通して、人間が作り出した概念なんかよりも、愛が最も大切であることが教えられているのです。

 


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